江戸時代後期の握り鮨は、屋台で気軽につまめる食べ物として広まりました。
現代の寿司には、高級な料理というイメージもあります。
しかし、江戸の屋台で売られた鮨は、庶民が仕事の合間や夜の小腹を満たす軽食でもありました。
値段は一つ四文、八文ほどだったといわれます。
では、江戸の鮨屋台はどのような場所で、どのくらい身近な食べ物だったのでしょうか。
江戸の握り鮨は屋台で広まった
江戸の握り鮨は、屋台との相性がよい食べ物でした。
職人が酢飯を手に取り、仕込んだ魚介をのせて、さっと握って出す。
客はその場で二つ三つつまみ、すぐに歩き出すことができます。
これは、忙しい江戸の町に合っていました。
江戸には、大工、左官、鳶、行商人、駕籠かきなど、体を使って働く人が多くいました。
そうした人々にとって、屋台で手早く食べられる握り鮨は便利な食べ物だったのです。
握り鮨が江戸で流行した理由は、江戸の握り鮨はなぜ流行したのか|待つすしから、すぐ食べるすしへで詳しく紹介しています。
一つ四文から八文ほどだった
江戸の屋台では、握り鮨が一つ四文から八文ほどで売られたといわれます。
四文や八文は、江戸時代のお金の単位です。
現代のお金に正確に換算するのは難しいですが、屋台の鮨は庶民が手を出しやすい値段でした。
一つずつ買えるため、客は腹具合に合わせて食べられます。
少しだけ食べたいなら一つ。もう少し腹を満たしたいなら二つ三つ。
この調整しやすさも、屋台の鮨が広まった理由のひとつでしょう。
一つずつ買えるのが便利だった
江戸の外食では、量を調整できることが大切でした。
蕎麦なら一杯を食べることになりますが、鮨なら一つずつ買えます。
仕事の途中で、少し腹が減った。芝居見物の帰りに、軽く何か食べたい。
そんなとき、握り鮨はちょうどよい食べ物でした。
大きめの鮨を二つ三つ食べれば、軽い食事になります。
今の寿司のように、何貫も並べて食べるというより、屋台でつまむ感覚に近かったのです。
江戸の鮨は今より大きかった
江戸時代の握り鮨は、現在の寿司より大きかったといわれます。
現在の寿司は、一口で食べやすい大きさに整えられています。
一方、江戸の握り鮨は、今の二倍から三倍ほどあったともされます。
そのため、一つ四文、八文と聞くと小さな間食のように思えますが、実際には食べごたえがありました。
二つ三つ食べれば、十分に小腹を満たせたのでしょう。
現代の寿司との違いは、江戸時代の鮨は現代と何が違うのか|大きさ・値段・ネタ・食べ方でもまとめています。
押し鮨も切り売りされた
握り鮨が広まる前から、江戸には押し鮨や箱鮨がありました。
押し鮨は、箱に飯と魚を詰め、重しで押し固めたすしです。
それを切り分けて売りました。
一箱を十二等分し、一切れ四文ほどで売ったという話もあります。
つまり、江戸の人々は、握り鮨が流行する前から、すしを切り分けて少しずつ買う感覚に親しんでいました。
握り鮨の屋台は、そうした売り方をさらに手早くしたものともいえます。
稲荷鮨も四文で買える食べ物だった
江戸では、稲荷鮨も庶民に親しまれました。
稲荷鮨は、油揚げに飯などを詰めた寿司です。
長い油揚げに詰めたものを切り売りし、一切れ四文ほどで売ったともいわれます。
一本十六文、半分八文、一切れ四文という売り方も伝えられています。
握り鮨だけでなく、稲荷鮨もまた、江戸の庶民が手軽に買える食べ物でした。
稲荷鮨の歴史については、元祖いなりずしは飯ではなくおから入りだった?|江戸庶民に広まった稲荷鮨で扱っています。
四文で買える食べ物の魅力
江戸の町では、四文で買える食べ物がいろいろありました。
団子や菓子、軽い屋台食など、庶民が小銭で楽しめるものです。
鮨もその中に入っていました。
四文で一つ買えるなら、少しだけ食べることができます。
財布に余裕があれば、二つ三つ買うこともできます。
この気軽さは、江戸の屋台文化にとって大きな魅力でした。
屋台の鮨は江戸のファストフードだった
江戸の握り鮨は、現代でいうファストフードに近い食べ物でした。
注文してから長く待つ必要がありません。
職人がその場で握り、すぐに出してくれます。
手でつまめるため、箸や大きな膳もいりません。
屋台の前でさっと食べられることが、江戸の握り鮨の強みでした。
待つすしから、すぐ食べるすしへ。
この変化が、江戸の町で握り鮨を広めたのです。
屋台で出せたのは仕込みがあったから
屋台で鮨をすぐ出すには、事前の仕込みが必要でした。
小鰭を酢でしめる。マグロを醤油に漬ける。穴子を煮る。海老を茹でる。
こうした下ごしらえがあったから、屋台では酢飯を握ってネタをのせるだけで出せます。
江戸前ずしの「仕事」は、屋台の速さを支える準備でもありました。
見た目にはすぐ出てくる食べ物でも、その裏には職人の手間がありました。
江戸前ずしの仕事については、江戸前ずしの「仕事」とは何か|冷蔵庫のない時代の工夫で詳しく紹介しています。
蕎麦屋と並ぶ江戸の外食文化
江戸の外食といえば、蕎麦を思い浮かべる人も多いでしょう。
しかし、江戸後期の資料には、鮨屋が町ごとに一、二軒あり、蕎麦屋より多いという趣旨の記述もあります。
これは厳密な統計というより、鮨屋が町に多く見られたことを示す表現として読むのがよいでしょう。
それでも、鮨が江戸の外食文化の中で目立つ存在だったことはわかります。
蕎麦と鮨は、どちらも手早く食べられる江戸の人気食でした。
鮨屋と蕎麦屋の関係は、鮨屋は蕎麦屋より多かった?|江戸の町に広がった外食文化で詳しく紹介しています。
仕事の合間に食べる鮨
江戸は、多くの人が働く大都市でした。
職人、商人、行商人、駕籠かき、荷を運ぶ人など、町には体を動かして働く人がたくさんいました。
そうした人々にとって、屋台の鮨は便利でした。
店に長く座らなくてもよい。大きな食事を取らなくてもよい。
小銭で買えて、すぐ食べられて、腹にたまる。
握り鮨は、江戸の働く人々の生活に合った軽食だったのです。
芝居町や夜の町にも合った
江戸の鮨は、仕事の合間だけでなく、遊びの場にも合いました。
芝居見物の帰りや、夜の外出のあとに、屋台で鮨をつまむ。
そんな場面も考えられます。
夜の町に屋台の灯りがあり、そこに人が立ち寄る。
鮨は、江戸のにぎわいの中で食べられる料理でもありました。
浮世絵にも、宴席や屋台の鮨が描かれることがあります。
浮世絵に描かれた鮨については、浮世絵に描かれた江戸の鮨|宴席・屋台・遊郭のすしで紹介しています。
安い鮨と高級鮨があった
江戸の鮨は、屋台で四文、八文ほどでつまめる庶民の味でした。
しかし、すべての鮨が安かったわけではありません。
深川の松がすしや、両国の与兵衛鮨のような名店では、高級な鮨も売られました。
材料を吟味した鮨は、江戸名物として評判を集めます。
つまり、江戸の鮨には二つの顔がありました。
庶民が屋台で食べる軽食としての顔。
名店で食べる高級料理としての顔。
この二面性は、現代の寿司にも通じています。
高級化した鮨は取締りの対象にもなった
江戸の鮨は、高級化しすぎたことで取締りの対象になったともいわれます。
天保の改革では、ぜいたくを禁じる政策が進められました。
その中で、高級鮨を商う職人たちが処罰されたという話があります。
人数や細部には資料によって揺れがあるため、断定しすぎる必要はありません。
ただ、鮨がぜいたくな料理として語られるほど価値を高めていたことは重要です。
屋台で四文、八文の庶民食でありながら、高級店では幕府が目を向けるほどの料理にもなっていたのです。
高級鮨と天保の改革については、高級化しすぎた江戸の鮨|天保の改革で処罰された鮨職人たちで詳しく扱っています。
冬には売れ行きが落ちたこともある
江戸の鮨屋台は、季節にも影響されました。
鮨は酢飯と魚介を使うため、さっぱりした食べ物です。
暑い時期には食べやすかった一方で、寒い冬には売れ行きが落ちたともいわれます。
冬には、冷たい鮨よりも、温かい蕎麦や汁物の方が好まれたのでしょう。
そのため、鮨店では十月以降、鮒の昆布巻を作り、鮨とともに売ったという話もあります。
江戸の鮨屋は、値段だけでなく、季節に合わせた商売もしていました。
江戸の鮨と季節感については、江戸の鮨と季節感|冬に売れにくい鮨と鮒の昆布巻で紹介しています。
現代の寿司と比べると違いが見える
現代の寿司は、寿司店や回転寿司で、何貫もまとめて食べることが多いです。
しかし、江戸の屋台鮨は、もっと軽い食べ方でした。
大きめの鮨を一つ、二つ、三つとつまむ。
食べ終えたら、また歩き出す。
今の寿司とは、食べる場所も、量も、感覚も違っていました。
江戸の鮨は、町の暮らしの中にある軽食だったのです。
この違いを知ると、現代の寿司がどれほど変化してきたかも見えてきます。
まとめ
江戸の鮨屋台では、握り鮨が一つ四文から八文ほどで売られたといわれます。
江戸の握り鮨は現在より大きく、二つ三つ食べれば軽い食事になりました。
屋台でさっと食べられる鮨は、仕事の合間や芝居見物の帰り、夜の小腹を満たすのに向いていました。
また、押し鮨や稲荷鮨にも、一切れ四文ほどで買えるものがありました。
江戸の鮨は、庶民が小銭で楽しめる食べ物だったのです。
ただし、江戸の鮨には高級店の鮨という別の顔もありました。
屋台で気軽につまむ庶民の味であり、名店では高級な江戸名物にもなる。
その幅広さが、江戸の鮨文化の面白いところです。
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