今の日本では結婚は恋愛結婚がほとんどでたまにお見合い結婚が行われているようです。

それでも、お見合い結婚をするにしてもお見合いで相手に会ってそれからお付き合いが始まります。

男性・女性が自分の好みか。年収や趣味、人間性などを知るためにも即座に結婚ではなくデートだったりと時間をかけるのが一般的です。

外国ではたまに顔も見ず、そのままその日のうちに結婚やアメリカでは酔った勢いで結婚してしまい、次の日に離婚をするといったことがあります。

江戸時代の結婚の事情はどうだったのでしょうか。

庶民の結婚

江戸時代と今の時代の結婚にたいしての価値観で考えるには混乱してします。

庶民の結婚は親や大家がそろそろいい年になった男のもとにそろそろ結婚しないかという話を持ってきます。男のそろそろ所帯を持ってもいいかなと思ったら2人の中を仲人が取り持って結婚となります。

結婚をするからと言って結婚式といったことは行いません。結婚式の行事は明治になってから外国から入ってきた風習なのです。この時代は庶民なら仲人が取り持って盃を酌み交わす程度で、お金がある家になりと、夕刻から花嫁行列で相手の家に向かい入家式を行い、祝宴をおこない、その後に床入れといった形式をとったりします。。

こういった結婚のとき仲人はとても重要な存在です。結婚する両方のことをよく知っている人物が仲人として二人の仲を取り持ちます。

理由は夫婦になる二人も結婚するときにはじめて顔を合わせることもあり手のことを何も知らずに結婚することもあるからです。そこで仲人が前もってこの二人なら夫婦になっても大丈夫だと判断して縁談話を持ちかけるのです。

初めて会ってた人とそのまま夫婦になるという話ばかりを説明しましたが、庶民は恋愛のすえに結婚ということもありました。

また、親が縁談を取り持とうとしても息子は

「私も成人して大人になっているのだからたとえ親だといえども私に相談なく縁談の話をするとは何事だ」

親の意見だけを押し通すことができなかったという話が江戸時代の文学にたびたび登場します。

とはいえ、これは男性の話ばかりで女性はそこまで強い反論ができない時代だったようです。

 

武士の婚礼

 

武家の社会では庶民のようにある程度の自由があるという状況ではなく、基本的には相手を選ぶことはできませんでした。

といっても、大名などの上級武士の話で下級武士は吉宗の時代まではある程度の自由がありました。

大名のような上級武士の重要事項は家を残すことであり、婚姻はそのために行うことであるという側面が強かったためです。

それともう一つは、江戸初期に制定された武家諸法度で”幕府の許可ない婚姻は禁止”という内容がありました。

庶民と違い、武士の結婚には他の武家との関係を近づけることが重要視されており、家康もいずれは敵になるとわかっている秀頼にたいして娘を嫁がせています。

こういった駆け引きのために行われるものだったことから、江戸幕府に歯向かい勢力を作らないためにも婚姻への幕府からの干渉をする必要があったのです。

御家のために婚姻を行う武士たちの縁組は、上司や親によって家格のつり合い、仕事の内容、所属する派閥などの要因から決められます。

上級武士でなくても武士の結婚は大抵が上司の娘だったり先輩や同僚の妹だったりとある程度は見知った女性との婚姻となります。

しかし、相手のことをよく知らないので必殺仕事人の藤田まことが演じる中村主水のように頭の上がらない妻を娶ることになります。

 

大名の婚礼

され、大名になるともっと面倒になります。

大名の婚礼になると家の格が重要視されるようになります。幕府としても手を結んでほしくない藩同士の婚姻についての干渉もします。どうにか相手が決まると婚礼の当日に顔合わせることになります。

大名ほどの家の格になるとそう簡単に同じ格の女性と出会うことはありませんので仕方がないのですが、大名の正妻は江戸で人質という扱いで江戸で生活しますので大名も参勤交代で江戸に来ない限り会いません。多少好みでなくても大した問題ではなかったのかもしれません。

問題でも、大名は家のために正妻以外にも家を存続させるためには側室を持ちます。そのため好みの女性を側室に迎えていました。自由の少ない江戸の生活よりも自らの領地で好みの女性を自分の周りに置いたほうがいいとおもっていたのかもしれません。

天皇や将軍、大名は家を守るために一夫多妻制を行っていたのですが、その中でも妻1人だけという人物もいました。