現在の寿司の原型とされる江戸の握り鮨。
では、この握り鮨を最初に始めたのは誰だったのでしょうか。
江戸前ずしの元祖として、よく名前が出るのが、深川の松がすしと、両国の与兵衛鮨です。
松がすしは、江戸の鮨の風を一変させた店として語られます。
与兵衛鮨を開いた華屋与兵衛は、握り鮨を広めた人物として有名です。
ただし、どちらか一方を「本当の元祖」と断定するのは簡単ではありません。
握り鮨の前には押し鮨があった
江戸で握り鮨が広まる前には、押し鮨や箱鮨がありました。
押し鮨は、箱に飯と魚を詰め、重しで押し固めて作るすしです。
作ったものを切り分けて売るため、職人がその場で握って出す握り鮨とは違います。
江戸の町には、箱を担いで押し鮨を売り歩く商人もいました。
つまり、握り鮨が突然何もないところから生まれたわけではありません。
古いすし、押し鮨、早ずしの流れの中で、江戸の握り鮨は形を整えていったのです。
すしの変化を詳しく知りたい場合は、なれずしから握りずしへ|日本のすしはどう変わったのかも参考になります。
握り鮨は「すぐ食べられる」すしだった
握り鮨の大きな特徴は、すぐ食べられることです。
職人が酢飯を手に取り、魚介をのせて、その場で握ります。
客は、目の前で作られた鮨をすぐに食べることができます。
押し鮨のように箱で押す必要がありません。
切り分ける手間も少なく、屋台でも出しやすい食べ物でした。
この手軽さが、江戸の町で握り鮨が広まった大きな理由です。
握り鮨が流行した理由は、江戸の握り鮨はなぜ流行したのか|待つすしから、すぐ食べるすしへで詳しく紹介しています。
深川の松がすし説
握り鮨の元祖として、まず名前が出るのが深川の松がすしです。
松がすしは、江戸の高級鮨を代表する店として語られています。
文化のはじめごろ、深川六間堀に松がすしができ、世の中の鮨の風が一変したという趣旨の記述があります。
この話から、松がすしは、江戸の鮨を大きく変えた店と考えられてきました。
ただし、ここでいう「風が一変した」という言葉を、すぐに「松がすしが握り鮨を完全に発明した」と読むのは慎重であるべきです。
松がすしは、握り鮨の評判を高めた店、または新しい鮨の流行を強く印象づけた店と見るのがよいでしょう。
松がすしは高級店として有名だった
松がすしは、単に早く食べられる鮨を売った店というだけではありません。
高級な江戸前ずしの名店としても知られています。
材料を吟味し、見た目にも美しい鮨を出したことで評判を集めました。
松がすしには、三両の鮨や、玉子は金、飯は水晶のようだと語られる話もあります。
これらは誇張や評判を含む可能性がありますが、松がすしが高級鮨の象徴として語られていたことはわかります。
高級鮨としての松がすしについては、高級化しすぎた江戸の鮨|天保の改革で処罰された鮨職人たちでも扱っています。
両国の与兵衛鮨説
もう一つの有名な説が、両国の与兵衛鮨です。
与兵衛鮨を開いた華屋与兵衛は、江戸前の握り鮨を広めた人物として知られています。
両国は、人の集まるにぎやかな場所でした。
芝居や見世物、回向院への参詣など、人の流れが多い地域です。
そうした場所で、目の前で握ってすぐ食べられる鮨を出すことは、江戸の外食文化によく合っていました。
華屋与兵衛は、江戸前の魚介を使い、握り鮨の形を広めた人物として語られています。
華屋与兵衛とはどんな人物か
華屋与兵衛は、江戸前ずしの歴史でよく名前が出る鮨職人です。
両国で与兵衛鮨を開き、握り鮨を広めた人物とされています。
現在の寿司の原型を考えるとき、華屋与兵衛の名前は外せません。
ただし、与兵衛ひとりが現在の握り寿司を突然完成させたと考えるのは、少し単純すぎます。
すでに押し鮨や早ずしがあり、江戸の町には鮨を売る商売もありました。
その流れの中で、与兵衛鮨が握り鮨を洗練させ、広めたと見る方が自然です。
松がすしと与兵衛鮨は役割が違う
松がすしと与兵衛鮨は、どちらも江戸の握り鮨を語るうえで重要です。
しかし、同じ役割だったとは限りません。
松がすしは、江戸の鮨の風を変えた店、高級鮨として評判を高めた店として語られます。
与兵衛鮨は、華屋与兵衛によって、握り鮨を広めた店として語られます。
どちらかだけを選んで、もう一方を否定する必要はありません。
江戸の握り鮨は、複数の店や職人の工夫によって広まったと考える方が、無理が少ないでしょう。
「元祖」は一人に決めにくい
食べ物の歴史では、元祖を一人に決めるのが難しいことがあります。
とくに江戸のような大都市では、同じ時期に複数の店が似た工夫をしていた可能性があります。
ある店が新しい形を始め、別の店がそれを洗練させ、さらに別の店が広める。
こうしたことは十分に考えられます。
握り鮨も、ひとりの発明品というより、江戸の食文化の中で育った料理と見るべきでしょう。
そのため、松がすし説、華屋与兵衛説のどちらも、江戸前ずしを考えるうえで重要な手がかりになります。
川柳に詠まれた握り鮨
江戸後期には、握り鮨が川柳にも詠まれるようになります。
たとえば、「妖術といふ身で握る鮓のめし」という句があります。
これは、鮨職人が飯を握る手つきを、妖術つかいのようだと見立てたものです。
目の前で飯を握り、魚をのせ、あっという間に鮨ができる。
その手早さが、江戸の人々にとって面白かったのでしょう。
川柳に詠まれるということは、握り鮨が人々に知られ、町の話題になっていたことを示します。
川柳から見た握り鮨については、川柳に詠まれた江戸の握り鮨|妖術のように握る職人の姿で詳しく紹介しています。
文政末から天保期には広まっていた
握り鮨は、江戸時代後期に広まった食べ物です。
川柳や資料を見ると、文政末から天保期には、かなり人々に知られていたと考えられます。
これは、握り鮨が一部の珍しい料理ではなく、江戸の町で流行していたことを示しています。
松がすしや与兵衛鮨のような名店だけでなく、屋台や小さな店でも握り鮨は広まっていきました。
握り鮨は、江戸の町の生活に入り込んだ新しい食べ物だったのです。
大阪には江戸風の握り鮨として伝わった
江戸で広まった握り鮨は、やがて他の地域にも知られていきます。
大阪には、江戸風の握り鮨として伝わったとされます。
これは、握り鮨が江戸らしい新しいすしとして認識されていたことを示しています。
もともと関西には押しずしや箱ずしの文化が強くありました。
そこへ、江戸で流行した握り鮨が入っていったのです。
この点からも、握り鮨が江戸の町の文化と深く結びついた食べ物だったことがわかります。
元祖より大切なのは、なぜ流行したか
松がすしが元祖なのか、華屋与兵衛が元祖なのか。
この問題は、たしかに興味深いものです。
しかし、江戸の鮨文化を考えるうえでは、元祖を一人に決めることよりも、なぜ握り鮨が流行したのかを見る方が大切です。
握り鮨は、すぐ食べられる。屋台で出しやすい。江戸前の魚介を使える。職人の手さばきも見せられる。
こうした特徴が、江戸の町に合っていました。
だからこそ、握り鮨は一部の名店だけで終わらず、江戸の外食文化の中に広まっていったのです。
江戸前の魚介と職人の仕事
握り鮨が広まるには、江戸前の魚介も重要でした。
江戸の近くの海や川では、小鰭、白魚、海老、穴子、貝類などがとれました。
これらの魚介を、酢飯に合わせて仕込む。
小鰭を酢でしめる。マグロを醤油に漬ける。穴子を煮る。海老を茹でる。
こうした江戸前ずしの仕事があったから、握り鮨はただの早い食べ物ではなく、おいしい江戸名物になっていきました。
江戸前ずしの仕事については、江戸前ずしの「仕事」とは何か|冷蔵庫のない時代の工夫で詳しく紹介しています。
名店が鮨の評判を高めた
松がすしや与兵衛鮨のような名店は、握り鮨の評判を高めました。
屋台で食べる庶民の味だった鮨が、名店で食べる江戸名物にもなっていきます。
評判の店ができることで、鮨はただの軽食ではなく、話題になる料理になります。
江戸の人々は、新しいものや評判の店に敏感でした。
そのため、名店の存在は、握り鮨の流行をさらに広げる力になったのでしょう。
屋台と名店の両方で広がった
江戸の握り鮨は、屋台だけで広まったわけではありません。
また、名店だけで広まったわけでもありません。
屋台では、庶民が手軽に鮨をつまみます。
名店では、材料や仕事を工夫した高級な鮨が評判になります。
この両方があったから、握り鮨は江戸の町に広がりました。
安い鮨と高級な鮨。
気軽な鮨と評判の鮨。
その幅広さが、江戸の鮨文化を大きくしたのです。
現代の寿司にもつながる話
現代の寿司にも、似たような幅広さがあります。
回転寿司のように気軽に食べられる寿司があります。
一方で、職人の技を楽しむ高級寿司店もあります。
同じ寿司でも、日常の食べ物にもなり、特別な料理にもなります。
江戸の握り鮨にも、すでにその二面性がありました。
松がすしと与兵衛鮨の話は、現代の寿司文化にもつながる、鮨の幅広さを考える手がかりになります。
まとめ
握り鮨の元祖としては、深川の松がすしと、両国の与兵衛鮨を開いた華屋与兵衛の名前がよく挙がります。
松がすしは、江戸の鮨の風を変えた店として語られ、高級鮨の名店としても知られています。
華屋与兵衛は、江戸前の握り鮨を広めた人物として有名です。
ただし、どちらか一方を本当の元祖と断定するのは簡単ではありません。
握り鮨は、押し鮨や早ずしの流れを受けながら、江戸の町の中で複数の職人や店の工夫によって形を整えていったと考える方が自然です。
大切なのは、誰が最初かだけではありません。
握り鮨が、江戸の生活の速さ、屋台文化、江戸前の魚介、職人の仕事に合っていたことです。
松がすしと華屋与兵衛の話は、江戸の握り鮨がどのように評判を高め、江戸前ずしとして広まっていったのかを知る手がかりになります。
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