江戸のにぎずしは、屋台で気軽につまむ庶民の味として広まりました。

一つ四文、八文ほどで食べられる鮨もあり、仕事の合間や夜の小腹を満たす軽食として親しまれていきます。

しかし、江戸の鮨は安い屋台食だけではありませんでした。

深川の松がすしや、両国の与兵衛鮨のような名店では、鮨は高級な江戸名物にもなっていきます。

やがて高級化した鮨は、天保の改革でぜいたくの取締り対象になったともいわれました。

江戸の鮨には二つの顔があった

江戸の鮨には、二つの顔がありました。

ひとつは、屋台で気軽につまむ庶民の味です。

もうひとつは、名店で売られる高級な江戸名物です。

屋台では、一つ四文、八文ほどで握り鮨を食べることができました。

一方で、評判の店では、材料を吟味した高価な鮨も売られていました。

この幅の広さが、江戸の鮨文化の面白いところです。

江戸の鮨全体の流れを先に知りたい場合は、江戸の鮨文化まとめ|握り鮨・マグロ・稲荷鮨・屋台の話も参考になります。

屋台の鮨は庶民の軽食だった

江戸の屋台で売られた握り鮨は、庶民が小銭で楽しめる食べ物でした。

職人が酢飯すめしを握り、仕込んだ魚介をのせて、すぐに出す。

客は二つ三つつまみ、小腹を満たしてまた歩き出します。

江戸時代の握り鮨は、現在の寿司より大きかったといわれます。

そのため、少し食べるだけでも軽い食事になりました。

仕事の合間、芝居見物の帰り、夜の外出のあと。

握り鮨は、江戸の町の生活に合った便利な軽食だったのです。

屋台鮨の値段や食べ方については、江戸の鮨屋台はいくらだったのか|一つ四文でつまむ庶民の味で詳しく紹介しています。

江戸前ずしは高級化していった

握り鮨は、手軽な屋台食として広まりました。

しかし、人気が出れば、よりよい材料を使い、より高く売る店も現れます。

江戸前の魚介を使い、職人が丁寧に仕事をする。

見た目もよく、味もよい鮨は、ただの軽食ではなく、評判の料理になっていきました。

江戸の鮨は、屋台の庶民食であると同時に、名店で食べる特別な料理にもなったのです。

深川の松がすし

江戸の高級鮨を語るうえでよく名前が出るのが、深川の松がすしです。

松がすしは、江戸前の握り鮨の名店として知られています。

文化のはじめごろ、深川六間堀に松がすしができ、世の中の鮨の風が一変したという趣旨の記述もあります。

それだけ、松がすしの登場は印象的だったのでしょう。

松がすしは、単に鮨を売る店ではなく、江戸の鮨の価値を高めた店として語られています。

派手な宣伝の話もある

松がすしには、派手な宣伝の話も伝わっています。

開業時に、鮨の中へ一朱銀を入れて配ったという話です。

一朱銀はお金です。

本当にどの程度行われたのかは慎重に見る必要がありますが、こうした話が伝わること自体、松がすしが派手な店として語られていたことを示しています。

江戸の町では、ただおいしいだけでなく、評判を作ることも重要でした。

松がすしは、味だけでなく、話題性でも人々の記憶に残った店だったのでしょう。

三両の鮨という話

松がすしには、三両の鮨という有名な話もあります。

三両というと、庶民が屋台で四文、八文の鮨をつまむ感覚とは、まったく違います。

この話は、江戸の鮨がどれほど高級化したかを示す材料としてよく語られます。

ただし、このような話は、誇張や評判も含んでいる可能性があります。

そのため、当時の鮨がすべて三両だったと考えるのは正しくありません。

大切なのは、鮨が高級品として語られるほど、江戸で価値を高めていたという点です。

玉子は金、飯は水晶

松がすしについては、玉子は金、飯は水晶のようだと語られることもあります。

これは、実際に金や水晶を使ったという意味ではありません。

それほど見た目が美しく、ぜいたくであるというたとえです。

江戸の鮨は、味だけではなく、見た目も大切でした。

白い酢飯、黄色い玉子、赤い海老、銀色の小鰭、赤身のマグロ。

色の違うネタが並ぶ鮨は、宴席にも映える華やかな料理になります。

高級店の鮨は、江戸の人々にとって、見る楽しみもある食べ物だったのでしょう。

両国の与兵衛鮨

江戸前の握り鮨を語るとき、もう一つよく名前が出るのが両国の与兵衛鮨です。

与兵衛鮨は、華屋与兵衛はなやよへえが開いた店として知られています。

華屋与兵衛は、握り鮨を広めた人物として語られることが多く、江戸前ずしの元祖説にも関わります。

ただし、握り鮨の元祖をひとりに決めるのは簡単ではありません。

松がすし説もあり、与兵衛鮨説もあります。

握り鮨は、江戸の鮨屋たちの工夫の中で形を整えていったと考える方が自然です。

握り鮨の元祖説については、握り鮨の元祖は誰だったのか|松がすしと華屋与兵衛の話で詳しく扱っています。

名店が鮨の価値を高めた

松がすしや与兵衛鮨のような名店は、江戸の鮨の価値を高めました。

屋台で気軽に食べるだけだった鮨が、名店で味わう料理としても認識されるようになります。

材料を選ぶ。魚に仕事をする。見た目を整える。評判を作る。

こうしたことによって、握り鮨は江戸名物になっていきました。

江戸の鮨は、庶民の日常食でありながら、名店では特別な食べ物でもあったのです。

天保の改革とは何か

江戸時代後期、幕府は社会の乱れや財政の悪化に対応するため、天保の改革を行いました。

中心になったのは、老中の水野忠邦です。

天保の改革では、ぜいたくを禁じ、倹約を求める政策が進められました。

華美な服装、ぜいたくな料理、派手な商売などが取締りの対象になります。

その流れの中で、高級化した鮨も問題にされたといわれます。

鮨職人が手鎖になったという話

天保の改革では、高級鮨を商う職人たちが処罰されたという話があります。

処罰の内容として、手鎖が語られます。

手鎖とは、両手に鎖をかけられる刑罰です。

命を奪う刑ではありませんが、社会的には重い処罰でした。

人数については、二百人以上とされることもあります。

ただし、この人数や細部については資料によって揺れがあるため、断定しすぎない方がよいでしょう。

重要なのは、鮨がぜいたく品として取締りの対象になったと語られるほど、高級化していたという点です。

なぜ鮨が取締りの対象になったのか

鮨はもともと、屋台で気軽に食べる庶民の味でした。

それなのに、なぜ取締りの対象になったのでしょうか。

理由は、名店の高級化にあります。

材料を吟味し、見た目を整え、高価に売る鮨が登場すると、それは単なる庶民の軽食ではなくなります。

ぜいたくな料理として見られるようになります。

天保の改革のように倹約を重視する政策の中では、こうした高級鮨も問題にされやすかったのでしょう。

屋台の鮨まで禁止されたわけではない

ここで注意したいのは、江戸の鮨すべてが禁止されたわけではないことです。

屋台で四文、八文ほどで売られる庶民的な鮨まで、すべて問題になったと考える必要はありません。

問題にされたのは、ぜいたくな材料を使い、高価に売る高級鮨だったと考える方が自然です。

江戸の鮨には、庶民の軽食と高級料理の両方がありました。

天保の改革で語られるのは、そのうち高級化した側の鮨です。

高級鮨は江戸のブランドだった

松がすしや与兵衛鮨のような店は、江戸のブランドのような存在でした。

同じ鮨でも、どの店で食べるかによって価値が変わります。

有名店で食べること自体が、話題になります。

評判の店へ行き、高価な鮨を味わう。

それは、江戸の人々にとって一種の楽しみでもありました。

現代でも、同じ寿司でも、回転寿司と高級寿司店では意味が違います。

江戸の鮨にも、すでにそうしたブランド性があったのです。

鮨は見栄の食べ物にもなった

高級鮨は、味だけでなく、見栄とも関わります。

高い店で食べた。珍しい鮨を食べた。評判の店を知っている。

こうしたことは、江戸の町でも話題になったはずです。

鮨は、屋台で腹を満たす食べ物であると同時に、名店で楽しむぜいたく品にもなりました。

天保の改革が問題にしたのは、こうしたぜいたくや見栄の部分だったのでしょう。

高級化は悪いことだけではない

鮨が高級化したことは、悪いことだけではありません。

高級店が現れたことで、鮨職人の技術も磨かれます。

材料の選び方、魚の仕込み、酢飯との合わせ方、盛り方。

こうした工夫が重ねられることで、江戸前ずしは料理としての完成度を高めていきました。

屋台の手軽さと、名店の技術。

その両方があったから、江戸の鮨文化は広がりを持つことができたのです。

現代の寿司にも通じる二面性

江戸の鮨の二面性は、現代の寿司にも通じています。

現代にも、気軽に食べられる寿司があります。

回転寿司や持ち帰り寿司は、家族や一人でも食べやすい身近な食べ物です。

一方で、特別な日に行く高級寿司店もあります。

同じ寿司でも、日常食にもなり、ぜいたくな料理にもなる。

この幅の広さは、江戸時代の鮨にもすでにありました。

江戸の鮨を知ると、現代の寿司文化の奥行きも見えてきます。

江戸の鮨文化の面白さ

江戸の鮨文化は、一言では説明できません。

屋台で四文、八文ほどでつまむ庶民の味。

松がすしや与兵衛鮨のような名店で食べる高級な江戸名物。

天保の改革でぜいたくとして語られるほど価値を高めた料理。

これらが同じ「鮨」という食べ物の中にあります。

江戸の鮨は、町の暮らし、職人の技術、流行、見栄、政治の取締りまで関わる食文化だったのです。

まとめ

江戸の握り鮨は、屋台で気軽につまむ庶民の軽食として広まりました。

一つ四文、八文ほどで食べられる鮨もあり、江戸の町人や職人に親しまれていきます。

しかし、江戸の鮨は安い屋台食だけではありませんでした。

深川の松がすしや、両国の与兵衛鮨のような名店では、鮨は高級な江戸名物にもなります。

やがて高級化した鮨は、天保の改革でぜいたくとして取締りの対象になったともいわれました。

人数や細部には揺れがあるため、断定は避けるべきですが、鮨がぜいたく品として語られるほど価値を高めていたことは確かです。

江戸の鮨には、庶民の味と高級料理という二つの顔がありました。

その二面性こそ、江戸の鮨文化の面白さです。

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