江戸の外食といえば、蕎麦そばを思い浮かべる人は多いかもしれません。

江戸っ子が屋台で蕎麦をすする姿は、江戸の食文化を象徴する場面としてよく語られます。

しかし、江戸後期の資料には、鮨屋すしやが町ごとに一、二軒あり、蕎麦屋より多かったという趣旨の記述もあります。

もちろん、現代の統計のように厳密な数字としては信用にかけます。

それでも、江戸の町で鮨屋がかなり目立つ存在だったことは伝わってきます。

江戸の都市には外食が多かった

江戸は、多くの人が暮らす大都市でした。

武士、町人、職人、行商人、奉公人など、さまざまな人が行き交う都市です。

人が多く集まる場所には、外で食べられる食べ物も増えます。

蕎麦、天ぷら、鰻、団子、汁粉、大福餅、焼き物など、江戸には多くの屋台や棒商い(ぼうふり)の商売がありました

にぎずしも、その外食文化の中で成長していきます。

江戸の鮨文化全体の流れは、江戸の鮨文化まとめ|握り鮨・マグロ・稲荷鮨・屋台の話でも紹介しています。

鮨屋は町ごとにあった?

江戸後期の資料には、江戸には鮨屋が毎町一、二軒あり、蕎麦屋は二町に一軒ほどだったという趣旨の記述があります。

江戸時代の町の店を、現代のように細かく統計にした数字はありませんが、感覚としては蕎麦売りよりも鮨売りのほうが多かったようです。

正確ではないとしても、鮨屋が町でかなり目につくのは確かでした。

江戸の外食といえば蕎麦の印象が強いですが、鮨もまた、江戸の町では当たり前の食べ物だったのです。

なぜ鮨屋が増えたのか

鮨屋が増えた理由のひとつは、握り鮨が屋台や小店に向いていたことです。

握り鮨は、酢飯と仕込んだネタがあれば、その場で握って出すことができます。

箱で押して固める押し鮨よりも、客の前で手早く作ることができます。

江戸の人々は、仕事の合間や外出中に、すぐ食べられるものを求めました。

握り鮨は、そうした需要に合っていたのです。

商売としても、蕎麦の店とは違い、温める道具や器が必要なかったことで、お店として始めるハードルが低かったこともあります。

握り鮨が江戸で流行した理由は、江戸の握り鮨はなぜ流行したのか|待つすしから、すぐ食べるすしへで詳しく扱っています。

屋台で食べやすい鮨

江戸の握り鮨は、屋台で食べるのに向いた食べ物でした。

職人が酢飯すめしを握り、魚介をのせて、すぐに出します。

客はその場で二つ三つつまみ、仕事に戻ったり、小腹を満たし歩き出すことができます。

大きな膳も、長い食事時間もいりません。

この手軽さは、江戸の町の生活に合っていました。

江戸の鮨屋台の値段や食べ方は、江戸の鮨屋台はいくらだったのか|一つ四文でつまむ庶民の味でも紹介しています。

鮨は一つずつ買えた

江戸の屋台では、握り鮨が一つ四文から八文ほどで売られたといわれます。

一つずつ買えるため、客は腹具合に合わせて食べられました。

少しだけ食べたいなら一つ。

もう少し腹を満たしたいなら二つ三つ。

この買いやすさは、江戸の外食文化に合っていました。

蕎麦なら一杯を18文ほどで食べることになりますが、鮨なら腹の具合もお財布の具合もちょうどよかったのです。

蕎麦も鮨も早い食べ物だった

蕎麦と鮨には、共通点があります。

どちらも、江戸の町で手早く食べられる食べ物でした。

蕎麦は、屋台や店でさっと食べられます。

鮨も、職人が握ってすぐ出せます。

江戸の町では、こうした「早い食べ物」が好まれました。

働く人が多く、人の移動も多い大都市では、外で短時間に食べられるものが求められます。

蕎麦と鮨は、その需要を支えた江戸の代表的な外食だったといえます。

江戸の人々は外で食べることに慣れていた

江戸の人々は、外で食べることにかなり慣れていました。

長屋では、台所が小さかったり、火を使うことに気を使った生活です。

また、独身の男性や奉公人、職人なども1人暮らしが多く暮らしていました。

そうした人々にとって、煮売りなどの屋台や小さな店で食事を済ませること生活の一部でした。

鮨屋や蕎麦屋が広まった背景には、江戸の住まい方や働き方も関係していたのです。

鮨屋は職人の町に合っていた

江戸には、体を使って働く人が多くいました。

大工、左官、とび、駕籠かき、荷を運ぶ人、行商人たちです。

そうした人々にとって、屋台で食べられる鮨はとても便利でした。

江戸時代の握り鮨は、現在の寿司より大きかったともいわれます。

大きめの鮨を二つ三つ食べれば、小腹を満たせます。

働く人が短い時間でさっと食べられる飯として、握り鮨は江戸の生活にあっていました。

鮨屋は夜の町にも合った

鮨屋は、昼だけでなく夜の町にも合う食べ物でした。

芝居見物の帰り、遊びの帰り、夜のちょっと小腹を満すことができました。

屋台の灯りに誘われて、鮨を二つ三つつまむ。

江戸の人たちには鮨は、ただ空腹を満たすだけではありません。

町のにぎわいや、外出の楽しみとも結びついていました。

浮世絵に描かれた鮨については、浮世絵に描かれた江戸の鮨|宴席・屋台・遊郭のすしで紹介しています。

鮨屋が多いほど握り鮨は身近だった

鮨屋が町ごとにあったという記述は、江戸の人々にとって鮨が身近だったことが伝わります。

特別な日にだけ食べる料理ではなく、当たり前に町の中で見かける食べ物でした。

通りを歩けば鮨屋がある。

小銭で二つ三つ買える。

そうした環境があったからこそ、握り鮨は江戸の町に広がっていったのでしょう。

ただし高級店もあった

鮨屋が多かったといっても、すべての鮨屋が同じような店だったわけではありません。

屋台で気軽に食べる鮨もあれば、名店で食べる高級な鮨もありました。

深川の松がすしや、両国の与兵衛鮨のような店は、江戸前ずしの名店がありました。

屋台の庶民的な鮨と、高級店の鮨。

この二つが同時に存在していたことも、江戸の鮨文化の発展が見えてきます。

高級鮨については、高級化しすぎた江戸の鮨|天保の改革で処罰された鮨職人たちで詳しく紹介しています。

鮨屋が増えるには仕込みが必要だった

握り鮨は、目の前ですぐ作れる食べ物です。

しかし、本当に何も準備せずに出せるわけではありません。

小鰭を酢でしめる。マグロを醤油に漬ける。穴子を煮る。海老を茹でる。

こうした仕込みがあって、はじめて屋台や店で素早く鮨を出せます。

鮨屋が町に広がった背景には、職人の仕事もありました。

江戸前ずしの仕事については、江戸前ずしの「仕事」とは何か|冷蔵庫のない時代の工夫で詳しくまとめています。

江戸前の魚介が支えた

江戸の鮨屋を支えたのは、江戸前の魚介でした。

江戸の近くの海や川では、小鰭、白魚、海老、穴子、貝類などがとれました。

これらを酢飯に合わせて仕込み、握り鮨として出します。

魚介を近くで手に入れられることは、鮨屋にとって大きな強みでした。

江戸前ずしは、江戸の町と江戸前の魚介が結びついて生まれた食べ物だったのです。

江戸の鮨ネタについては、江戸の鮨ネタ一覧|玉子・白魚・小鰭・穴子・海老・マグロで紹介しています。

稲荷鮨も庶民の外食だった

江戸の鮨文化には、魚を使う握り鮨だけでなく、稲荷鮨もあります。

稲荷鮨は、油揚げに飯やおからを詰めた寿司です。

一切れ四文ほどで売られたともいわれ、庶民が小銭で買える食べ物でした。

魚を使わないため、握り鮨とは別の形で広まっていきます。

鮨屋や行商が多い江戸の町では、こうした食べ物も庶民の腹を支えました。

稲荷鮨については、元祖いなりずしは飯ではなくおから入りだった?|江戸庶民に広まった稲荷鮨で扱っています。

鮨屋の多さは流行の証拠でもある

鮨屋が多かったという話は、握り鮨が流行していたことの証拠にもなります。

売れない食べ物なら、町に多くの店は成り立ちません。

鮨屋があちこちにあったということは、それだけ食べる人がいたということです。

江戸の人々が日常の中で鮨を求めていたからこそ、鮨屋が増えました。

握り鮨は、名店だけの食べ物ではなく、町の屋台で外食として広まっていた。

蕎麦屋より多いという表現の読み方

「鮨屋は蕎麦屋より多かった」という話は、目を引きます。

ただし、これをそのまま現代のランキングのように受け取ることはできません。

江戸の資料の記述は、当時の印象や見聞を含んでいるからです。

そのため、「江戸では鮨屋が非常に多く、蕎麦屋と並ぶほど目立っていた」と読むべきです。

大切なのは、正確な数ではなくそういった印象を持ったということです。

それは鮨が江戸の外食文化の中で、それほど存在感を持っていたという点です。

江戸の外食文化の中の鮨

江戸の外食文化は、とても豊かでした。

蕎麦を食べる人がいる。

天ぷらをつまむ人がいる。

団子や汁粉を楽しむ人がいる。

納豆売りやところてん売りなど今では考えられないほど、煮売屋が生活に根付いていました

そして屋台で鮨を二つ三つ、つまむ人がいる。

鮨は、このにぎやかな外食文化の中にありました。

江戸の町の食べ物を考えるとき、鮨は蕎麦や天ぷらと並ぶ、重要な存在だったのです。

現代の寿司とは違う身近さ

現代の寿司には、寿司店で落ち着いて席に座って食べる料理という印象があります。

しかし、江戸の鮨は、もっと町の中でさっと寄って食べる食べ物でした。

屋台で食べる。

歩きながら買う。

小銭で少しだけつまむ。

この身近さは、現代の寿司とは少し違います。

江戸の鮨は、町の暮らしに近い場所で食べられていたのです。

現代の寿司との違いは、江戸時代の鮨は現代と何が違うのか|大きさ・値段・ネタ・食べ方でもまとめています。

まとめ

江戸後期の資料には、江戸には鮨屋が毎町一、二軒あり、蕎麦屋は二町に一軒ほどだったという趣旨の記述があります。

これは厳密な統計というより、鮨屋が江戸の町で目立つほど多かったことを示す表現として読むのがよいでしょう。

握り鮨は、屋台で手早く食べられる江戸の人気食でした。

一つずつ買えて、二つ三つつまめば小腹が満たせます。

蕎麦と同じように、鮨も江戸の外食文化を支える食べ物でした。

鮨屋が町に多かったという話からは、握り鮨が名店だけの料理ではなく、江戸の人々の日常に近い食べ物だったことが見えてきます。

江戸の鮨シリーズ全体を読みたい場合は、江戸の鮨シリーズ一覧|江戸前ずしをやさしく読むにまとめています。

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