江戸時代の料理本や、井原西鶴の『日本永代蔵』を読んでいると、ある香辛料の名前が頻繁に登場することに気づきます。
それは「胡椒(コショウ)」です。
「ご飯にかける」「吸い物の薬味にする」といった記述があり、一見すると現代の私たちのようにブラックペッパーを使っていたかのように思えます。
しかし、ここで一つの疑問が浮かびます。
「鎖国をしていて、しかも今より寒かった江戸時代に、熱帯の植物であるコショウがそんなに普及するだろうか?」
今回は、江戸の文献に残る「胡椒」の正体について、当時の経済や気候の面から検証してみましょう。
この記事の要点
- 江戸の文献にある「胡椒」は、黒胡椒(ブラックペッパー)ではない?
- 当時は「小氷期」で寒く、熱帯植物のコショウ栽培は不可能だった
- 九州の「柚子胡椒」のように、当時は「唐辛子」をコショウと呼んでいた
検証1:気候と栽培の矛盾
一部の説では「鑑真和上が伝えたコショウが日本で栽培されていた」と言われることがあります。
しかし、植物学的に考えるとこれはかなり無理があります。
胡椒(ブラックペッパー)は熱帯原産の植物で、最低気温が5度〜10度はないと枯れてしまいます。
現代のビニールハウス栽培ならともかく、江戸時代は現在よりも気温が低い「小氷期」と呼ばれる時代でした。
そんな寒冷な日本の冬を、熱帯植物が露地栽培で乗り越えられたとは考えにくいのです。

検証2:価格の矛盾

もう一つは「お金」の問題です。
もし日本で栽培できず、中国やオランダからの輸入に頼っていたとしたら、コショウは「金と同等の価値」を持つ超高級品になります。
一部の大名や豪商なら使えたでしょうが、料理本に出てくるような「日常的な薬味」として使うには高すぎます。
庶民が食べるうどんや蕎麦は、現代でいう数百円のファストフード。
そこに、一杯の値段より高いかもしれない高級スパイスをかけていたとは考えにくいのが自然です。
結論:「コショウ」=「唐辛子」だった説
では、文献に出てくる「胡椒」とは一体何だったのでしょうか?
最も可能性が高いのが、「唐辛子(または山椒)をコショウと呼んでいた」という説です。
九州に残る呼び名の名残
この説を裏付ける有力な証拠が、今の日本にも残っています。
九州地方では、現在でも唐辛子のことを「コショウ(洋胡椒)」と呼ぶ文化があります。
鍋料理の定番「柚子胡椒(ゆずこしょう)」を思い出してください。
あれに入っているのは黒胡椒ではなく、「青唐辛子」ですよね。
また、世界的に見ても、辛いスパイス全般を「ペッパー(胡椒)」の名で呼ぶことは珍しくありません。
日本古来のスパイスである「山椒(さんしょう)」も、英語では「ジャパニーズ・ペッパー」と呼ばれます。
つまり、江戸時代の文献に出てくる「胡椒」の多くは、輸入された黒胡椒のことではなく、「日本でも栽培できて安価な唐辛子(南蛮コショウ)」を指していたと考えるのが、経済的にもつじつまが合うのです。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
西鶴が描いた「本物」と「偽物」
ちなみに、井原西鶴の『日本永代蔵』には、当時の商人が「胡椒」などの輸入品で儲けようとする話が出てきます。
これは高級品としての「本物の黒胡椒」を扱った話かもしれません。
江戸の町には、超高級品の「輸入黒胡椒」と、庶民が薬味にする「唐辛子(通称コショウ)」の二つが同時に存在し、名前が混同されていたのかもしれませんね。
まとめ
「江戸時代はうどんにコショウをかけていた」という雑学を耳にすることがありますが、その「コショウ」の正体は、私たちがイメージする黒胡椒ではなかった可能性が高いです。
言葉の意味は時代とともに変わります。
「昔はコショウをかけていた」という記録は、実は「昔から日本人は唐辛子が好きだった」という証拠なのかもしれません。
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参考文献
- 井原西鶴『日本永代蔵』
- 歴史の謎を探る会『江戸の食卓』
- 興津要『江戸食べもの誌』





