江戸時代、天下泰平の世が260年近く続いたおかげで多くの文化が花開いていきます。その中で料理も大きな変化がありました。

様々な変化を見せる江戸時代の料理本の中に出てくる香辛料として胡椒が出てきます。

江戸の物書きであった井原西鶴の『日本永代蔵』の中にも胡椒についての記述があったります。

料理本などの記述を見ていると柚子と一緒にご飯にかけたり、粉末を吸いものに浮かべて香味として利用したりと、胡椒が江戸時代では日常的に使う香辛料として名前が挙がっていたりします。

 

 

今100円でも昔は金と同じ価値の胡椒!!


胡椒がこうも当たり前に普及するとは考えずらいものがあります。ヨーロッパの大航海時代も胡椒を獲得することが一つの要因であったといわれるほどに高価なものでした。

一時では胡椒と金が同じ重さで取引されたといわれています。

今では100円ショップで購入することができるほどに安価に手に入りますが、昔はインドあたりの地域でしか手に入らなかったために最も高価な香辛料の一つとして扱われていました。

 

胡椒の日本への伝来

日本に伝来したのは中国から何度か流れてきており、高級な薬として扱われていたようです。聖武天皇・光明皇后ゆかりの品などをおさめている正倉院にもいくつか保管されていたといわれています。

そんな貴重だった胡椒ですが言い伝えでは8世紀ごろに鑑真和上が日本に伝えたといわれています。

ちなみに鑑真和上は日本の仏教の戒律を日本に広めた方です。

 

胡椒は日本で栽培されていたのか?

さて、鑑真和上が持ち込んだ胡椒を奈良で撒いたところ何本か根付いて育ったという話なのですが・・・

でも待ってください。インドを原産とする植物が日本の環境で育つのかという話です。これが八丈島なら話は別ですが本土の環境では熱帯の植物、根付くことがあっても寒さに耐えられず年を越えられるとは思えません。

胡椒は最低気温が5度程度までしか耐えられないのでビニールハウスのない時代に日本で育てるのはかなり難しいです。

 

 

江戸時代の胡椒は本当に胡椒だったのか?

一つの可能性として胡椒という呼び名から今の胡椒を想像するのが間違いの場合もあります。

1542年、ポルトガルの宣教師が大友義鎮に献上した唐辛子は南蛮コショウと呼ばれていました。九州では胡椒のことを洋胡椒と呼び唐辛子のことをコショウと読んで区別されています。

また、柚子胡椒のように柚子と唐辛子を用いた調味料が存在しており、そのタイプの調味料が一般化して、柚子という名詞が省かれるようになってコショウと呼ばれていた可能性もあります。

とはいえ江戸時代は1868年まで続き、1800年ごろには胡椒もそこら中で栽培されるようになり、安くなったので江戸後期には日本に入ってきて少し高級品として料理に使われてもおかしくはないかもしれません。