江戸前ずしの特徴は、魚をそのまま酢飯すめしにのせることだけではありません。

小鰭こはだを酢でしめる。マグロを醤油に漬ける。穴子を甘く煮る。海老を茹でる。

こうした下ごしらえは、江戸前ずしの「仕事」と呼ばれるものにつながります。

このような技術が発展したのは、今のような冷蔵庫がないため、魚介をおいしく食べるには、職人の工夫が必要だったのです。

江戸前ずしの「仕事」とは何か

江戸前ずしでいう「仕事」とは、魚介を鮨に合うように下ごしらえすることです。

ただ切った魚を酢飯にのせるだけではありません。

魚の水分を抜く。酢でしめる。醤油に漬ける。煮る。茹でる。甘辛く味を含ませる。

こうしたひと手間と技術を書けることによって、鮓ネタとして酢飯に合う味へ変えられます。

江戸前ずしの仕事は、保存のための工夫であり、味を作るための工夫でもありました。

江戸の鮨全体の基本を先に知りたい場合は、江戸の鮨を読む前に知っておきたい基礎知識|中学生でもわかる江戸前ずし入門も参考になります。

冷蔵庫がない時代の鮨

現代の寿司は、冷蔵庫や冷凍技術、流通の発達に支えられています。

魚は低温で管理され、遠くの海でとれた魚介が日本全国の寿司店に届きます。

しかし、江戸時代にはそのような仕組みはありません。

冷やして保管する方法がないため、魚は傷みやすく、特に暑い時期には扱いが難しくなります。

生の魚をそのまま出すことは、衛生面としても現代よりずっと危険でした。

そのため、江戸の鮨職人は、魚介を安全に、そしておいしく食べるためにさまざまな仕事をしました。

この工夫こそが、江戸前ずしの味を支えていたのです。

小鰭は酢でしめる

江戸前ずしを代表するネタのひとつが、小鰭です。

小鰭は、コノシロの若い魚です。

そのままではなく、塩をして余分な水分を抜き、酢でしめて使います。

酢でしめることで、魚の生臭さが抑えられ、酢飯と合う味になります。

小鰭は、江戸前ずしらしさがよく出るネタです。

魚の大きさ、脂ののり、季節によって、塩や酢の加減を変える必要があります。

つまり、小鰭は、職人の仕事が味に出やすいネタでもありました。

また、酢で絞めること微生物の細胞膜に浸透して、不活性化させるはたらきがあるために長期保存は難しくても、2,3日の保管が可能となります。

マグロは醤油に漬けた

現代ではマグロは代表的な人気ネタです。

しかし、江戸時代のマグロは、今とちが人気にある鮓ネタではありませんでした。

脂の多いトロは好まれにくく、捨てられたり、鍋や肥料に回されたともいわれます。

それでも江戸の鮨として、マグロが使われたのは赤身の部分でした。

その赤身を醤油に漬けたものが、ヅケとなります。

醤油に漬けることで、魚の傷みを抑え、赤身から水分がでて細菌の繁殖を抑え、さらに味をしみ込ませることができます。

マグロの赤身は、ヅケにすることで酢飯と合う鮨ネタになりました。

マグロとトロの評価の変化については、マグロは江戸時代には下魚だった|トロが高級ネタになるまでで詳しく紹介しています。

穴子は甘く煮る

江戸前ずしでよく知られる仕事に、煮穴子があります。

穴子あなごは、そのまま生でのせるのではなく、甘辛く煮て使います。

やわらかく煮た穴子は、酢飯とよく合います。

煮たあとには、煮汁を煮詰めたツメ(タレのこと)を塗ることもあります。

甘みと香ばしさが加わり、魚の味だけではなく、技術がわかるため職人の仕込みの腕がわかる鮨ネタと言われます。

穴子は、江戸前ずしが「生魚をのせるだけの料理ではない」ことをよく示すネタです。

海老やタコは茹でる

海老やタコも、江戸の鮨では大切なネタでした。

これらは、生のままではなく、茹でて使うことが多く、茹でることで身がしまります。

色もよくなり、見た目にも華やかになり、特に海老は、赤い色が鮨桶の中でよく映えます。

江戸の鮨は、味だけでなく見た目も大切でした。

白い酢飯に、赤い海老、黄色い玉子、銀色の小鰭が並ぶと、かなり華やかな料理になります。

海老そぼろという工夫

江戸の鮨ネタには、海老そぼろもありました。

海老を細かくして、味をつけたものです。

現在の寿司ではあまり目立たないネタですが、江戸の鮨ではこうした加工したネタも使われました。

海老そぼろは、魚介をただ切ってのせるのではなく、手を加えて味を作る江戸前ずしの特徴が伝わってきます。

冷蔵庫のない時代には、材料をどう生かすかがとても重要でした。

海老そぼろのようなネタは、保存や味つけの工夫から生まれたものなのです。

玉子焼きも鮨ネタだった

江戸の握り鮨には、玉子焼きも使われました。

魚ではありませんが、玉子焼きは鮨ネタとして人気がありました。

玉子は、色が明るく、鮨桶の中でも目を引きます。

甘みもあり、酢飯との相性もよい食材です。

現代とは違い、江戸の鮨では、玉子がぜいたくなネタとして扱われたこともあります。

江戸の鶏の卵は、今のように品種改良がされておらず、毎日のように卵を産むことがなく、徹底的な管理もされていなかったため、卵は長らく高級品だったのです

魚介だけではなく、玉子焼きのようなネタも含めて、江戸の鮨は彩りのある食べ物でした。

江戸の鮨ネタを一覧で見たい場合は、江戸の鮨ネタ一覧|玉子・白魚・小鰭・穴子・海老・マグロをご覧ください。

仕事は鮨の保存のためだけではない

江戸前ずしの仕事は、魚を傷みにくくするためだけのものではありません。

もちろん、冷蔵庫のない時代には、保存の工夫が重要でした。

それだけなら昔ながらのなれずし、鯖の塩漬けのように塩に漬けたりすることで保管することができました。

その方法ならただ塩辛くはなりますが、強く酢でしめたりすれば食べられる料理にはなります。

しかし、江戸前ずしの仕事は、鮨としておいしく食べるための工夫に力が注がれました。

酢飯に合う酸味。醤油のうまみ。煮穴子の甘み。海老の色。玉子のやわらかさ。

こうした味や見た目を整えることで、鮨はただの保存食ではなく、江戸の人気食になっていきました。

江戸前とは魚の産地だけではない

現代では想像しづらいですが、東京の海はとても豊かな海でした。

江戸前とは、もともと江戸(東京)の近くの海や川でとれた魚介を指す言葉です。

江戸の近くでとれた小鰭、白魚、海老、穴子、貝類などが、鮨のネタに使われました。

しかし、江戸前ずしの魅力は、すばらしい魚の産地があったからだけではありません。

その魚介に、職人がどのような仕事をするかも大切です。

同じ魚でも、酢でしめるか、醤油に漬けるか、煮るかで味は変わります。

江戸前ずしとは、江戸前の魚介と、職人の仕事が合わさった料理だったのです。

現代の寿司との違い

現代の寿司では、新鮮な魚をそのまま味わうことが重視されることがあります。

もちろん、今でも江戸前の仕事を大切にする寿司店はあります。

しかし、冷蔵や流通が発達した現代では、生の魚を新鮮なまま出すことがしやすくなりました。

江戸時代は違います。

生魚をそのまま出すより、魚に手を入れることが必要でした。

そのため、江戸の鮨は、現代の寿司よりも「仕込みの料理」という性格が強かったといえます。

江戸の鮨と現代の寿司の違いは、江戸時代の鮨は現代と何が違うのか|大きさ・値段・ネタ・食べ方でもまとめています。

仕事があったから屋台でも売れた

江戸の握り鮨は、屋台で売られることも多い食べ物でした。

屋台で鮨を出すには、あらかじめネタを仕込んでおく必要があります。

小鰭をしめる。マグロを漬ける。穴子を煮る。海老を茹でる。玉子を焼く。

こうした仕事をしておくことで、屋台では酢飯を握り、ネタをのせてすぐ出すことができます。

つまり、屋台で早く食べられる握り鮨は、見えない仕込みに支えられていました。

江戸の鮨がファストフードのように食べられたのは、職人の事前の仕事があったからです。

屋台鮨の値段や食べ方については、江戸の鮨屋台はいくらだったのか|一つ四文でつまむ庶民の味で紹介しています。

季節に合わせた仕事もあった

江戸の鮨は、季節にも左右されました。

魚介は季節によって味が変わり、気温によって傷みやすさも変わります。

小鰭のしめ方も、季節や魚の状態によって加減が必要だったでしょう。

暑い時期には傷みやすさを考え、寒い時期には客の好みに合わせる必要があります。

また、冬には鮨の売れ行きが落ちたため、鮨店では鮒の昆布巻を一緒に売ったともいわれます。

江戸の鮨屋は、魚だけでなく、季節や客の気分も読んで商売をしていたのです。

季節との関係は、江戸の鮨と季節感|冬に売れにくい鮨と鮒の昆布巻で詳しく扱っています。

江戸前ずしの仕事は今にも残っている

江戸時代の仕事は、現代の寿司にも残っています。

小鰭を酢でしめる。マグロをヅケにする。穴子を煮る。海老を茹でる。玉子を焼く。

これらは、今の寿司店でも見られる仕事です。

冷蔵庫がある現代では、保存の意味は昔ほど強くありません。

それでも、酢飯に合う味を作るための技術として、江戸前の仕事は続いています。

江戸前ずしの仕事を知ると、寿司を食べるときに、ただネタを見るだけでなく、その裏にある仕込みも見えてきます。

まとめ

江戸前ずしの「仕事」とは、魚介を鮨に合うように下ごしらえすることです。

冷蔵庫のない江戸時代には、魚を生のまま安全に出すのは簡単ではありませんでした。

そのため、鮨職人は、小鰭を酢でしめ、マグロを醤油に漬け、穴子を甘く煮て、海老を茹でました。

こうした仕事は、保存のためだけではありません。

魚介を酢飯に合う味に整え、見た目も美しくするための工夫でした。

江戸の握り鮨が屋台でさっと食べられたのも、職人が前もってネタを仕込んでいたからです。

江戸前ずしは、生魚をのせるだけの料理ではありません。

魚をどう扱い、どう味を整えるか。

その職人の工夫こそが、江戸前ずしの大きな魅力だったのです。

次に読むおすすめ記事

江戸前ずしの仕事と関係が深い記事はこちらです。