時代劇で移動シーンといえば、大名行列の「籠(かご)」を思い浮かべますよね。

しかし、実際の江戸の町で、庶民や遊び慣れた武士たちが愛用していたのは、籠ではありません。

彼らが選んだのは、江戸中に張り巡らされた水路を走る「舟(水上タクシー)」でした。

今回は、江戸っ子の最速移動手段であった「猪牙舟(ちょきぶね)」について解説します。

この記事の要点

  • 江戸は「水の都」籠よりも舟の方が早くて便利だった
  • 小型で速い「猪牙舟(ちょきぶね)」が大流行
  • 主な用途は「吉原通い」粋な大人の遊び道具だった
舟から降りる美人 鈴木春信 江戸時代・18世紀
舟から降りる美人 鈴木春信 江戸時代・18世紀

家康が作った「東洋のベニス」江戸

今の東京で「川」というと、「橋を渡るのが面倒くさい」というイメージがあるかもしれません。

しかし、徳川家康が設計した江戸の町は、全く逆の発想で作られていました。
湿地帯だった土地に掘割(水路)を張り巡らせ、「船でどこへでも行ける都市」を作り上げたのです。

当時、自分の足で歩くとかなりの時間がかかります。
かといって「籠(かご)」を使うと、人間2人を雇うため人件費が高く、スピードも駆け足程度しか出ません。

そこで選ばれたのが、信号も渋滞もない水路をスイスイ進む「舟」だったのです。

江戸のスピードスター「猪牙舟(ちょきぶね)」

数ある舟の中でも、特に人気だったのが「猪牙舟(ちょきぶね)」と呼ばれる小型船です。

  • サイズ: 長さ約9m(30尺)、幅約1.4m(4尺6寸)
  • 特徴: 屋根がなく、細長くてスピードが出る。

船底が鋭く尖っており、その形が「猪(イノシシ)の牙」に似ていることからこの漢字が当てられました。

非常に細長いため、狭い水路でも自由自在に進むことができますが、そのぶん左右に揺れやすく、乗るには少しコツが必要だったと言われています。

気になるタクシー料金は?

では、料金はどれくらいだったのでしょうか。

江戸前期の相場で、「水道橋」から「浅草」までの移動でおよそ2匁(もんめ)。
現代の感覚に直すと、約5,000円といったところです。

決して安くはありませんが、数人で割り勘にしたり、ここ一番の急ぎの用事には欠かせない交通手段でした。

💡 やさしい江戸案内の雑学メモ

名前の由来は「長吉」さん?

「猪牙(ちょき)」という強そうな名前ですが、語源には意外な説があります。

明暦年間に、「長吉(ちょうきち)」という船頭が考案した舟が評判になり、「長吉舟(ちょうきちぶね)」→「ちょき舟」となまったという説です。

あとから「猪牙」というカッコいい漢字を当て字にするあたり、江戸っ子のセンスを感じますね。

舟に乗ってどこへ行く? 目的地は「吉原」

この猪牙舟、誰が何のために使っていたのでしょうか。

一番の用途は、「吉原遊郭」への通いでした。

隅田川から「山谷堀(さんやぼり)」という水路に入れば、吉原の入り口はすぐそこ。
陸路を行くよりも人目につかず、優雅に舟に揺られて遊びに行くのが「粋(いき)」とされたのです。

そのため、落語などでは「山谷舟(さんやぶね)」や、親に内緒で遊びに行くドラ息子を乗せることから「勘当舟(かんどうぶね)」なんてあだ名でも呼ばれていました。

まとめ|水路は江戸の大動脈

現代の東京では埋め立てられてしまった場所も多いですが、かつての江戸は水路が網の目のように走る水の都でした。

揺れる猪牙舟に乗り、川風を感じながら吉原へ向かう。
それは当時の男性たちにとって、最高に胸が高鳴る移動時間だったに違いありません。

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参考文献