現代の生活において、冷蔵庫が壊れたら大パニックですよね。
肉も魚も野菜も、冷凍食品もアイスも全滅。私たちの食生活は、冷蔵庫という「保存技術」の上に成り立っています。
しかし、当然ながら江戸時代に冷蔵庫はありません。
「じゃあ、肉や魚はどうやって保存していたの?」と思いますよね。
答えはシンプル。
江戸っ子たちは「そもそも保存なんてしなかった」のです。
今回は、冷蔵庫なしでも豊かに暮らした庶民の知恵と、権力者だけが許された「真夏の氷」の贅沢について解説します。
「まとめ買い」はしない。江戸は究極の地産地消
冷蔵庫がない以上、食材を買いだめすることは不可能です。
そのため、江戸の庶民は「その日に食べる分を、その日に買う」というスタイルを徹底していました。
「毎日買い物に行くなんて面倒くさい!」と思うかもしれません。
しかし、江戸の町では、向こうから勝手に食材がやってくるのです。

歩くコンビニ? 「棒手振り(ぼてふり)」の存在
江戸の路地裏には、朝から晩まで「棒手振り(ぼてふり)」と呼ばれる行商人たちの声が響いていました。
- 朝: 納豆、シジミ、豆腐
- 昼〜夕: 旬の魚、野菜、お惣菜
- おやつ: 飴、団子、冷や水
彼らは天秤棒に商品を乗せて、長屋の玄関先まで売りに来てくれます。
当時の江戸は男性が人口の7割を占める「独身男性社会」。
料理の手間を省きたい彼らにとって、調理済みの惣菜や新鮮な食材を届けてくれる棒手振りは、今のコンビニやUber Eatsのような便利な存在だったのです。
冷蔵庫がなくても、町の機能そのものが「巨大なパントリー(食料庫)」だったと言えるでしょう。
将軍だけの特権! 真夏の「天然冷凍庫」
庶民が「その日暮らし」を楽しむ一方で、将軍様だけは真夏でもキンキンに冷えたものを楽しんでいました。
電気のない時代にどうやって?
それは「氷室(ひむろ)」という天然の冷凍庫を使っていたからです。
金沢から480kmを4日で走れ!
冬の間にできた天然の氷を、涼しい洞窟(氷室)や土の中に埋めて保存しておきます。
そして真夏になると、それを切り出して江戸城へ運ばせたのです。
特に有名なのが、加賀藩(現在の石川県)からの氷献上です。
金沢から江戸までは約480km。普通なら10日以上かかる道のりです。
しかし、氷は時間との勝負。
飛脚たちは氷が溶けるのを防ぐため、昼夜を問わず走り続け、なんとわずか4日で届けたと言われています。
将軍が口にする一口の氷は、多くの人々の労力とコストがかかった、ダイヤモンドより貴重な味だったのです。
庶民に「冷蔵庫」が届いたのは明治から
庶民が氷を使えるようになったのは、明治時代に入ってからです。
初期の頃はまだ製氷技術がなく、なんとアメリカのボストンや、北海道の函館から「天然氷」を船で輸入していました。

やがて製氷所ができて氷が安くなると、上の段に氷を入れて下の段の食材を冷やす木製の「氷冷蔵庫」が普及します。
私たちが今使っている電気冷蔵庫が当たり前になるのは、さらにその先の昭和の高度経済成長期を待たなければなりません。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
旧暦の6月1日(現在の7月上旬頃)は「氷室の日」と呼ばれ、加賀藩では将軍へ氷を献上する重要な日でした。
庶民には氷なんて高嶺の花。
そこで、代わりに氷の形に似せたお菓子「氷室饅頭(ひむろまんじゅう)」を食べて、無病息災を祈ったそうです。
金沢では今でもこの日に饅頭を食べる習慣が残っています。
まとめ
冷蔵庫のない江戸時代、庶民は「保存」を諦める代わりに、毎日新鮮な食材を買う「贅沢な不便さ」を楽しんでいました。
一方で、権力者は莫大なコストをかけて「氷」を手に入れていました。
スイッチ一つで食材が冷える現代。
それは、かつての将軍様以上の魔法を使っているようなものなのかもしれません。
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脂の多いトロは冷蔵庫がないとすぐに腐る…。保存できなかったからこそ生まれた「ねぎま鍋」の話。
参考文献
- 箔一「氷室饅頭の由来」
- 歴史の謎を探る会 編『江戸の食卓―おいしすぎる雑学知識』(河出書房新社)<







