現代の買い物では、現金はもちろん、クレジットカードやスマホ決済が当たり前。
カードなら月に1回、銀行口座から引き落とされますよね。
では、江戸時代はどうだったのでしょうか?
実は、江戸の庶民も「キャッシュレス(現金なし)」で買い物を楽しんでいました。
いわゆる「ツケ払い(掛け売り)」です。
しかし、その支払いルールは現代よりもかなり大らかで、そして年末には命がけ(?)のイベントが待っていました。
江戸は「顔パス」が通じる信用社会
江戸の町では、棒手振り(行商人)や屋台での少額決済は「現金」でしたが、店を構えている商家での買い物は、基本的に「ツケ」で行われていました。
「これ頂戴。ツケといて」
その一言で商品を持ち帰ることができる。
これは、店と客の間に強い「信用(クレジット)」があったからこそ成立したシステムです。
支払いは「年に2回」だけ!
現代のカード払いは「翌月払い」が多いですが、江戸時代のサイクルはもっと長期的でした。
支払いのタイミングは、基本的に以下の年2回だけ。
- お盆(7月)
- 大晦日(12月)
つまり、半年分の買い物代金をまとめて支払うのです。
いちいち財布を出さなくていいので楽な反面、半年分ともなると請求額はかなりの金額になります。

「ツケ払い」の常識をぶっ壊した! 越後屋の革命
この「ツケ払い」が当たり前だった1673年(延宝元年)。
江戸の商売の常識を覆し、大成功を収めたのが呉服店の「越後屋(えちごや)」(現在の三越)です。
従来の「屋敷売り」は高かった
それまでの呉服屋は、大名や武家の屋敷へ商品を持って出向く「訪問販売」が主流でした。
代金はもちろん「ツケ(盆暮れ払い)」で、価格もその都度交渉して決める「言い値」でした。
しかしこれには問題がありました。
「いつ払ってくれるか分からない(貸し倒れリスクがある)」ため、店側はそのリスク分を上乗せして、商品の値段を高く設定せざるを得なかったのです。
「現金掛け値なし」の衝撃
そこで越後屋は、画期的な商法を打ち出しました。
それが「現金掛け値なし(げんきんかけねなし)」です。
- 現金: その場で現金を払ってもらう(ツケお断り)。
- 掛け値なし: 誰に対しても定価で売る(値引き交渉なし)。
「ツケ損ない」のリスクがない分、商品を劇的に安く売る。
このシステムは、安さを求める庶民に爆発的にヒットし、越後屋は江戸一番の豪商へと成長していったのです。
大晦日は「取り立て屋」VS「逃げる庶民」
越後屋のような例外はありましたが、多くの店ではやはり「ツケ払い」が基本でした。
そしてやってくるのが、1年で最も忙しい日、大晦日(おおみそか)です。
店側にとって、大晦日までにツケを回収できないと、無事に年を越すことができません。
一方、お金がない庶民も必死です。
彼らは居留守を使ったり、親戚にお金を借りに行ったり、あの手この手で取り立てから逃げ回ります。
逃げ切れば勝ち? お正月の「休戦協定」
なぜそこまでして逃げるのかというと、江戸にはある「暗黙のルール」があったからです。
それは、「除夜の鐘が鳴って新年を迎えたら、借金の取り立てをしてはいけない」というもの。
お正月の三が日は、神様を迎えるめでたい日なので、無粋な金の話はナシ。
つまり、大晦日の夜さえ逃げ切れば、とりあえずお正月は平穏に暮らせるのです。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
「越後屋、お主も悪よのう」……時代劇でよく聞くセリフですが、実際の越後屋(三井家)は、この「現金安売り」で庶民の味方として大成功しました。
このビジネスモデルを築いた三井高利(みついたかとし)は、後に日本最大級の財閥「三井財閥」の祖となります。
現代のデパートの定価販売も、ルーツはこの時代の越後屋にあるんですね。
まとめ
江戸の買い物は、互いの信用で成り立つ「ツケ払い」が基本でした。
しかし、その不便さと高コストを解消した越後屋の「現金商法」が、経済に革命を起こしました。
「信用(クレジット)」で買うか、「現金(キャッシュ)」で安く買うか。
決済方法を巡るドラマは、300年前から続いていたのです。
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現金払いだった棒手振り(納豆売り)。彼らはツケではなくニコニコ現金払いでした。
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