焼き芋といえば秋の終わりから冬にかけて食べられる季節の食べ物で。一昔前には専門の店でもなければ食べられない物でした。赤外線で焼く機械が世の中に出回ったおかげで冬になるとスーパーでも買うことができるようになり手軽に食べることができるようになりました。

そんな焼き芋を江戸時代、製造して販売をすることが出来たのは木戸番と呼ばれる仕事をしている人たちでした。

歌川広重 1858「名所江戸百景」「びくにはし雪中」

焼き芋を売るのは木戸番の副業


木戸番とは江戸は細かく区切られており1つ1つの町の入り口には門があった。その門が木戸であり、そこで明け六ツに門を開け夜の四ツに門を締めていた。今で言うところの午前6時頃に門が空き、午後10時ごろ門が閉められていた。

木戸番は番太郎とも呼ばれ、彼らは門を締めていた時間の人の出入りを監視する役目を担っていた。浪人の監視が目的に作られ、盗賊や火付けとのような存在を町に入らないように取り締まった。

仕事である木戸番はとても給料の安く、木戸番と同時に様々な物の販売を行っていました。生活雑貨やお菓子、草履、蝋燭、糊、箒、鼻紙、草履などなど生活に必要な物は何でも販売して生活の足しにしていました。。

その中で木戸番での販売を許されていたものとして焼き芋がありました。

今の時代では焼き芋はスーパーに行けば遠赤外線の熱で作る機械で作られて美味しく食べることが出来ますが、昔は火を使って作るしか方法はありません。しかし、江戸の町で火を使うことにはかなり厳しく取り締まっていた。

特に江戸の町で火事が多い冬に火を使って作る焼き芋の製造販売に関しては木戸番以外にのみ許可されていました。木戸番の仕事として町の出口の監視の他に江戸の町での火事の監視も行っていたので火を使った商売にたいして許しが出ていたというよりも監視役の仕事の給料が安いために許可が出ていたようです。

他にも焼き芋の製造販売を許されていた商売として橋番です。橋の番人をしている人たちも同じように雑貨の販売と冬には木戸番と同じように焼き芋を販売していました。

歌川広重の「名所江戸百景 びくにはし雪中」では橋番の小屋で「○やき」と描かれているのは焼き芋の販売していること示す看板です。

販売していた焼き芋はただ焼くだけですが、デンプンが糖に変わりとても甘みを増します。甘みの少ない江戸時代にはとても人気があったようです。