
現代の日本でも、18歳未満の若者が深夜に出歩くことは条例で禁止されています。
夜の9時、10時になれば「そろそろ帰りなさい」と親も心配する時間ですよね。
しかし、江戸時代には「いい大人が夜に出歩くこと」を厳しく禁止されていた職業がありました。
それが、天下の支配階級であるはずの「武士」です。
彼らには、現代の高校生よりも厳しい「無断外泊禁止」のルールが課せられていたのです。
武士の特権と引き換えの「義務」
江戸時代、武士は15歳前後で元服し、大人として認められます。
庶民であれば、大人になれば夕方から吉原(遊郭)へ繰り出し、そのまま朝までどんちゃん騒ぎ……なんてことも自由でした。
しかし、武士はそうはいきません。
彼らは帯刀などの特権を認められている代わりに、「常在戦場(いつ戦が起きてもいいように備える)」という義務があったからです。
夜12時には家にいなさい
携帯電話もGPSもない江戸時代。
もし夜中に緊急事態が起きた時、家臣がどこで遊んでいるか分からなければ、軍隊として機能しません。
そのため、武士には「夜の12時(九つ半〜八つ時)頃までには屋敷に帰っていなければならない」という決まりがありました。
もし無断で外泊し、それが幕府や上司にバレてしまうと大変です。
最悪の場合、「お家断絶(武士の身分剥奪)」という重い処分が下されるリスクさえありました。
日帰りならどこまでも?健脚すぎる武士たち
「門限があるなら、遠くへ遊びに行けないじゃないか」と思いますよね。
しかし、当時の武士の日記を読むと、意外にも広範囲に旅行や行楽を楽しんでいることが分かります。
その理由は、彼らの「健脚ぶり」にあります。
当時の人々は、1日に40km〜50kmの距離を歩くのは当たり前。
江戸の町自体が現代ほど肥大化していなかったこともあり、「朝早く出て、50km歩いて遊んで、夜中に帰ってくる」というハードな日帰り旅行が可能だったのです。
門限を破ったら…「賄賂」で解決!?
とはいえ、人間ですから失敗もあります。
ついついお酒が盛り上がり、門限の12時を過ぎてしまうこともあったでしょう。
「有事(戦争)なんて起きないし、しれっと帰ればバレないだろう」
そう思いたいところですが、武家屋敷のあるエリアには、境界ごとに「木戸(ゲート)」があり、そこには門番が立っています。
夜遅くに帰れば、当然怪しまれます。
では、遅刻した武士はどうしたのでしょうか?
ここで登場するのが、江戸の万能ツール「袖の下(賄賂)」です。
門番に小銭をこっそり渡し、
「ちょっと遅くなったが、見て見ぬふりをしてくれ」
と頼み込み、こっそり屋敷に入れてもらっていたようです。
厳格な武士のルールも、現場レベルでは意外と「お金」で解決できていたのですね。
吉原遊びも「昼間」だけの悲しさ
この「外泊禁止」のルールは、夜の遊びにも影響しました。
庶民が夜の吉原を楽しむのに対し、武士は基本的に「昼間の吉原」しか楽しめません。
夕方には帰らないといけないからです。
さらに切実だったのが「お財布事情」です。
下級武士は常にお金がありません。
そのため、吉原に行っても店に上がる(遊女と遊ぶ)お金はなく、ただ遊郭の中を歩いて遊女を眺めるだけ……ということが多かったようです。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
「ひやかし」の語源はここから?
お店に上がらず、ただ遊女を見て回る客のことを「ひやかし(素見)」と言います。
一説によると、浅草の紙漉き(かみすき)職人が、紙の原料を水で冷やしている待ち時間に、吉原へやってきては遊ばずに見て回ったことが語源と言われています(冷やし+からかい)。
お金のない武士たちも、この「ひやかし」の常連だったのかもしれませんね。
まとめ
「武士は食わねど高楊枝」と言いますが、その生活は門限に縛られ、お金もなく、なかなか窮屈なものでした。
夜中に自由に遊び歩ける現代の私たちの方が、ある意味では「殿様」よりも自由な生活を送れているのかもしれません。
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