江戸時代の脚気について調べていると、廖育群氏の「江戸時代の脚気について」という論文がありました。現在では脚気はビタミンB1が不足することで起こる病気だと分かっていますが、この論文では、江戸時代に「脚気」と呼ばれていた病気を、そのまま現在の脚気、つまりベリベリ※と考えてよいのか、という疑問が出されています。
※ベリベリ(beriberi):ビタミンB1の不足によって起こる、現代医学でいう脚気。手足のしびれや筋力低下、むくみなどが起こり、重症になると心臓にも障害が出ます。
読んでみると、確かに納得できるところがあります。昔は現在のように病気を細かく分けることができず、血液検査もなければ、ビタミンというものの存在さえ知られていません。足がしびれる、痛む、力が入らない、むくむといった症状を見て「脚気」と判断していたのなら、その中に現在なら別の病名がつく患者が混じっていたとしても不思議ではありません。
ただ、読み進めているうちに、自分はここで少し引っ掛かりました。
江戸時代の医師が「脚気」と診断した患者の中に、現在なら別の病気とされる人が混じっていたことと、江戸という都市で実際に大流行した「江戸患い」がビタミンB1欠乏症だったかどうかは、同じ話なのだろうか。
この二つは、いったん分けて考えたほうがよいように思えます。
江戸の脚気と白米の関係について
白米からビタミンB1が失われる理由や、江戸でなぜ「江戸患い」が広がったのかについては、こちらの記事で詳しく紹介しています。
江戸の国民病「脚気(かっけ)」と白米の関係|将軍も苦しんだ「江戸わずらい」の原因
昔の「脚気」は、現在よりずっと広い病名だったのかもしれない
脚気という病気についての知識は、中国医学の影響を受けながら日本へ伝わってきました。廖氏の論文では、中国で作られてきた脚気という疾病概念と、日本で脚気がどのように理解されていったのかが詳しく検討されています。
ここで面白いのは、当時の「脚気」が、現在のビタミンB1欠乏症だけを指す言葉ではなかった可能性があることです。足に痛みやしびれがある、動きにくい、腫れる、水がたまるといった症状をまとめて脚気と考えていたなら、その中には神経の病気、血管の病気、腰や脊椎に原因がある病気、あるいは感染症など、現在ならまったく別の診断になるものも含まれていたでしょう。
そう考えると、「江戸時代の史料に脚気と書いてあるのだから、その人はビタミンB1欠乏症だった」とそのまま置き換えるのは確かに危ないように思えます。同じ「脚気」という文字が使われていても、その言葉が指していた病気の範囲まで現在と同じとは限りません。
この点は、廖氏の論文を読んで一番納得できたところでした。
ただし、そうなると次の疑問が出てきます。
個々の診断に間違いや混乱があったことから、江戸の都市部で集団的に流行した脚気まで、現在の脚気とは違う病気だったと考えてよいのだろうか。
江戸で実際に起きていた「江戸患い」は別に考えたい
江戸時代が進むと、都市部では白米を食べる習慣が広がっていきました。玄米には胚芽や糠の部分が残っているためビタミンB1が含まれていますが、精米して白米にすると、その多くが失われます。
しかも当時の食事は、現在よりも米の占める割合がかなり大きなものでした。今ならご飯を一膳か二膳食べ、それ以外に肉、魚、野菜などを食べることが普通ですが、当時は大量の米を食べ、それに少量の副食を合わせるという食べ方も珍しくありません。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」に「一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ」とありますが、これは昭和初期の文章とはいえ、主食を大量に食べる日本の食生活が現在とはかなり違っていたことを想像するには分かりやすい例です。
地方で玄米や麦、雑穀などを混ぜて食べているうちは、そこからビタミンB1を取ることができます。それが都市へ出て、白米を腹いっぱい食べられるようになると、食事は豊かになったように見えるのに、かえってビタミンB1が足りなくなる。
そう考えると、江戸の脚気が一種の「贅沢病」と言われたことにも納得できます。
食べ物がなくて栄養失調になるのではありません。むしろ白米という当時としては好ましい食べ物を十分に食べられるようになったために起こる病気です。生活水準が上がったことが、逆に病気を増やしてしまったわけです。
「江戸には副食も豊富だった」という説明で十分なのだろうか
廖氏の論文を読んでいて、もう一つ気になったのが、江戸時代には料理が発達し、副食もそれほど貧しくなかったのだから、白米だけを脚気の原因と考えることには疑問がある、という話です。
確かに江戸には魚もあり、豆腐や納豆、味噌などの大豆食品もありました。野菜についても、大根、ナス、キュウリ、ネギ、カブなどが江戸近郊で盛んに作られています。江戸の巨大な消費市場を相手にするため、近郊農業はかなり発達しており、下肥を肥料として利用したり、温床を作って野菜を早く出荷するような工夫まで行われていました。
そのため、「江戸には野菜がなかった」「野菜を作る技術がなかった」という話ではありません。
ただ、それと100万ともいわれる都市の人々が、毎日十分な量の野菜や副食を食べていたことは別ではないでしょうか。
米は保存がききます。各地で作った米を集め、蔵に保管し、船で大量に江戸へ運ぶことができます。しかも江戸時代の経済や年貢の仕組みそのものが米を中心に作られていたため、巨大都市へ大量の米を供給する仕組みは非常に発達していました。
一方で野菜は、いくら江戸周辺で大量に作っても、収穫すれば傷み始めます。現在のような冷蔵倉庫も冷蔵トラックもありません。季節によって取れる種類も量も変わり、基本的には江戸の周辺から短時間で運び込む必要があります。
近郊農業がかなり発達していたとしても、100万都市のすべての階層に、一年を通して十分な副食が同じように行き渡っていたと考えるのは難しいように思えます。
ここで自分が知りたいのは、江戸料理の本に何種類の料理が載っていたのかではありません。
丁稚や奉公人、職人など普通の人が、昨日も今日も明日も、白米をどれだけ食べ、それに対して豆、魚、野菜、麦などをどれだけ食べていたのか。
こちらのほうが脚気を考えるには重要でしょう。
たとえば白飯はおかわりできるけれど、おかずは味噌汁や漬物程度という食事をしていたのであれば、腹はいっぱいになります。しかし食事の多くを精白米に頼ることになるため、ビタミンB1不足を起こす条件としてはかなり危ういものになります。
江戸料理が豊かだったことと、江戸のすべての人の栄養状態が豊かだったことは、同じ意味ではありません。
「副食もあった」というだけで白米と脚気の関係を弱めるのであれば、実際に一般の人々が何をどれくらい食べていたのかまで見てみないと判断できないように思えます。
「江戸を離れると治る」という話はかなり気になる
さらに白米と脚気の関係を考えると、「江戸患い」という呼び方そのものが気になります。
地方から江戸へ来た人が病気になり、江戸を離れて故郷へ戻ると症状が改善することが経験的に知られていました。当時はビタミンB1など知りませんから、江戸の土地や水、湿気、空気などに原因があると考えることもあり、患者を江戸から離れた場所へ移す転地療養も行われていました。
しかし、今から考えると、江戸を離れたことで変わるのは空気や水だけではありません。
食事も変わります。
江戸では白米を中心に食べていた人が地方へ戻り、玄米、麦、雑穀、豆などを食べる生活へ戻れば、自然にビタミンB1を取る量も増えるでしょう。
もちろん、江戸を離れた患者一人ひとりについて、故郷へ帰った後の献立が残っているわけではありません。そのため、「地方へ帰って治ったのは食事が変わったからだ」と断定することは難しいでしょう。
それでも、白米食の多い都市で発病し、都市を離れると改善するという現象は、ビタミンB1欠乏症として考えればかなり納得できるものです。
逆に、これをビタミンB1欠乏症ではないと考えるなら、「なぜ江戸で増え、江戸を離れると改善したのか」を別の理由で説明する必要が出てきます。
飢饉のときに脚気が減るのなら、むしろ白米との関係を考えたくなる
論文の中で興味深かったのが、飢饉などの時期と脚気の流行との関係です。
普通なら飢饉になれば栄養状態は悪化するので、病気は増えそうに思えます。それなのに脚気が減る時期と飢饉の時期が重なっているのは、少し不思議です。
しかし脚気を白米偏重の病気として考えると、逆に説明できる可能性があります。
米が十分に取れる時期には白米を大量に食べられる。しかし飢饉になれば、白米だけを十分に食べる余裕がなくなり、麦、雑穀、豆、芋など、手に入るものを何でも食べなければならなくなる。その結果、食事全体は貧しくなっているのに、ビタミンB1については精白米だけを大量に食べる生活より補いやすくなることも考えられます。
もちろん飢饉になると人口移動や死亡者も増え、記録の残り方そのものも変わります。そのため、脚気が減ったことだけを見て「雑穀を食べたからだ」とするのは乱暴でしょう。
それでも、平穏になって生活水準が上がり、白米を十分に食べられる時期に脚気が増え、それを食べられなくなる時期に減るのであれば、「白米は関係なかった」と考えるより、むしろ関係があった可能性を考えたくなります。
江戸の脚気を考えると、明治の軍隊を無視できない
ここまで考えていくと、どうしても明治の軍隊で起きた脚気の大流行が気になります。
この話は江戸時代そのものではありません。ただ、江戸からそれほど時間がたっておらず、白米を豊かな食事と考える感覚や、農村と都市での食生活の違いも大きく変わっていない時代なので、少し触れておきたいと思います。
明治に徴兵された兵士の多くは農村出身でした。普段は麦や雑穀を混ぜた飯を食べていた若者にとって、軍隊へ入れば白米を腹いっぱい食べられるというのは大きな魅力だったともいわれています。
ところが、その軍隊で脚気が大量に発生しました。
江戸では地方から都市へ出て白米を食べるようになると脚気になり、明治になると農村から軍隊へ入って白米を大量に食べるようになった兵士が脚気になる。
時代も生活環境も違いますが、かなり似た構図に見えます。
海軍軍医の高木兼寛は、脚気患者の出方と食事の違いに注目し、兵食を改善しました。高木自身はビタミンB1を知っていたわけではなく、なぜ食事を変えると脚気が減るのかについての説明も現在とは違います。それでも、食事を変えると海軍の脚気患者は大幅に減り、その後は麦を混ぜた飯も取り入れられました。
一方の陸軍では、脚気を食事だけの問題とは考えず、伝染病的な原因を考える説も強く残りました。森林太郎(森鷗外)もその側に立ち、白米中心の兵食が続いた結果、日清戦争や日露戦争でも多くの脚気患者を出しています。
ここで、「江戸時代から麦や豆が脚気によいことを知っていたのなら、なぜ明治の軍隊でも脚気を防げなかったのか」という疑問について、論文でも触れられています。
しかし、これも考えてみればそれほど不思議ではありません。
「麦飯を食べると脚気の人がよくなることがある」という経験と、「白米からビタミンB1が失われるため、麦を食べれば欠乏を防げる」という原因まで含めた知識はまったく違います。
原因が分からなければ、麦飯で治ったとしても、薬が効いたのかもしれない、土地を変えたからかもしれない、その人の体質だったのかもしれない、といくらでも別の説明ができます。
しかも白米は当時の人にとって、単なる主食ではありませんでした。
農村で麦飯を食べていた若者からすれば、軍隊へ入り、ようやく白米を腹いっぱい食べられるようになったのに、「健康のために麦を混ぜます」と言われれば、食事の質を落とされたように感じるでしょう。海軍でも麦飯への不満を抑える必要がありました。
麦飯が体によいという経験があったことと、人々が白米を喜んでやめたことは別の話です。
人は飢饉でもないのに、健康によいと言われただけで、一度手に入れた「白米を腹いっぱい食べられる生活」を簡単には手放せなかったのでしょう。
明治海軍の結果は、かなり大きな手掛かりではないか
明治の海軍だけで江戸時代の脚気を証明することはできません。それでも、自分にはかなり大きな手掛かりに見えます。
白米を多く食べる集団で脚気が発生し、食事を変えると大幅に減った。その後になってビタミンB1が発見され、なぜ白米中心の食生活で脚気が起こるのかまで説明できるようになったからです。
江戸時代の「脚気」という病名に別の病気が混じっていたことは理解できます。しかし、江戸から明治へ続く都市型・白米型の脚気まで本当の脚気ではなかったと考えるなら、この食事との強い関係をどう説明するのかという問題が残ります。
少なくとも、
- 白米を多く食べる生活で増える
- 地方より都市で多くみられる
- 生活する場所を変えると改善することがある
- 麦などを取り入れた食事にすると大きく減る
という現象が重なっている以上、江戸の都市部で流行した脚気のかなりの部分が、本当のビタミンB1欠乏症だったと考えるのは、それほど無理のある話には思えません。
徳川家茂の死因も簡単には決められない
論文では、江戸時代に脚気と診断された人物についても、本当に脚気だったのかという疑問が出されています。
たとえば第14代将軍の徳川家茂には胸の痛みなどがあり、別の病気だった可能性も考えられています。
昔の人物について、現代の検査もしていないのに「間違いなく脚気だった」と言うことができないのは確かです。ただ、胸に症状があったから脚気ではないということにもなりません。
ビタミンB1欠乏が重くなると心臓にも影響が出て、いわゆる「脚気心」になることがあります。動悸や息切れ、むくみなどが現れ、重症になれば死亡することもあります。一度症状が軽くなったとしても、それだけで脚気を否定できるわけでもありません。
家茂については、脚気だったと完全に証明することもできなければ、別の病気の可能性を示しただけで脚気ではなかったと決めることもできない、くらいに考えるのがよいように思えます。
八味丸で治った症例は、むしろ診断の曖昧さを示しているのではないか
廖氏の論文では、ビタミンB剤を使っても改善しなかった患者が、漢方薬の八味丸を使うことで改善した症例も紹介されています。
これも最初は面白い内容に思いました。
ただ考えてみると、この症例を「ビタミンB剤が効かなかったのだから、ビタミンB1欠乏症ではない脚気もあった」という話以上に広げるのは難しいように思えます。
そもそも使ったビタミンB剤が何だったのか、どれほどの量を投与したのかも重要ですし、その患者が本当にビタミンB1欠乏症だったのかも分かりません。
八味丸は、疲れやすさ、手足の冷え、足腰の痛み、排尿の異常などにも使われる漢方薬です。そう考えると、その患者は初めから現在の医学でいう脚気ではなく、別の病気だった可能性もありますし、複数の病気や症状を抱えていた可能性もあります。
それなら、この話は「ビタミンB1を与えても治らない脚気がある」という例というより、
「脚気と診断されてきた患者の中には、現在なら別の病名がつく人も混じっていた」
ことを示す例として読むほうが分かりやすいように思えます。
この症例は、当時の「脚気」という診断がかなり広い範囲で使われていたという考えを補う材料にはなるでしょう。しかし、それ以上に、現在なら別の病気と診断される患者だった、あるいは複数の病気を抱えていた可能性を考えたほうが自然にも思えます。
結局、「病名としての脚気」と「江戸患い」を分けると分かりやすい
ここまで考えてみると、この論文は「江戸時代の脚気には本当の脚気ではなかったものも含まれていた」という話だけで読むより、昔の「脚気」という病名が現在考えているよりずっと広かったことを示した研究として読むと、納得できる内容になるように思えます。
中国医学から伝わってきた脚気という疾病概念があり、当時の医師はそれを使って患者を診察していました。その中には本当のビタミンB1欠乏症もあれば、足のしびれやむくみが出る別の病気も含まれていたのでしょう。地域や医師によって知識に差があったことも考えれば、診断が統一されていなかったことも不思議ではありません。
その意味では、
「江戸時代に脚気と診断された人は、すべて現在の脚気だったのか」
と聞かれれば、そうではなかった可能性が高いと思います。
しかし、
「では、白米食の広がった江戸で大流行した江戸患いまで、本当の脚気ではなかったのか」
というと、自分にはそこまで言う材料はありません。
白米食の広がった都市で次々に脚気が増え、江戸などの都市を離れると改善するといわれ、麦や豆を食べることが経験的に勧められ、さらに明治になると白米中心の軍隊で大量発生し、海軍では食事を変えることで大幅に減った。その後、ビタミンB1不足が脚気を起こすことまで分かりました。
この流れを見ると、江戸の都市部で実際に流行した脚気のかなりの部分には、現在の医学でいう本当の脚気が含まれていたと考えるほうが、自分には自然に思えます。
結局、問題は「江戸時代に本当の脚気があったのか」ではなく、
「江戸時代に『脚気』と呼ばれた病気のうち、どこまでが現在の脚気だったのか」
なのではないでしょうか。
昔の史料に現在と同じ病名が出てきても、その文字だけを見て現代の病気と同じものだと決めてはいけない。一方で、昔の診断が曖昧だったことだけを理由に、実際に起きていた流行病まで別の病気だったと考えるのも早い。
廖氏の論文を読んで面白かったのは、脚気について新しい答えが出たことよりも、昔の病名を現在の医学で読むときには、病名そのものと、実際に起きていた病気を一度分けて考えなければならないことかもしれません。
現代でも医学が進むにつれて、それまで一つの病気だと思われていたものが、原因や症状、検査結果の違いによって、いくつもの病気に分けられることがあります。そう考えると、現在のような検査方法のなかった江戸時代に、「脚気」という一つの名前の中へ複数の病気が入っていたとしても、それほど不思議ではありません。
だからこそ、「昔の脚気は現在の脚気とは違った」と一言で終わらせるのではなく、その中にどのような病気が含まれ、江戸で実際に何が流行していたのかを分けて考える必要があるのだと思います。
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江戸の国民病「脚気(かっけ)」と白米の関係|将軍も苦しんだ「江戸わずらい」の原因
参考文献・参考資料
- 廖育群「江戸時代の脚気について」『日本研究』第14集、国際日本文化研究センター、1996年、103~123頁。
- 稲垣裕美「江戸時代の病気とくすり―内藤記念くすり博物館の資料をもとに―」『薬史学雑誌』59巻2号、2024年。
- 農林水産省「栄養改善と食品産業 脚気の発生」
- 農林水産省「栄養改善と食品産業 脚気撲滅への挑戦」
- 農林水産省「米とスポーツ栄養 米とビタミンB1」
- 葛飾区『葛飾区史』「江戸の暮らしを支えた葛飾の農作物」
※江戸時代の「脚気」という病名と、現在のビタミンB1欠乏症としての脚気がどこまで一致するかについては議論があります。この記事では、廖育群氏の論文の問題提起をもとに、「当時の病名としての脚気」と「江戸の都市部で流行した江戸患い」を分けながら考えています。



