江戸の食道楽 命がけで食べられる魚フグを食す
落語家で人間国宝にもなった3代目桂米朝さんが古典落語で地獄八景亡者戯という作品を行っている作品があります。
1時間近くかかるかなり長い落語で、地獄の風景を面白おかしく語られる。これが1時間という時間を忘れるほどに面白い。
作中で出てくる人物たちのいろいろな死に方の話が出てくる。その中にフグを食べて死んで地獄に行く人々がいる。
金持ちの若旦那でやりたいことも行きたい場所も行ったので今度は地獄でも見物しようかという話になり、じゃあ、どう死ぬかと考えて決めたのが今まで食べたことがないフグを食べて地獄に行こうじゃないかと、太鼓持ちや芸者衆を引き連れての大騒ぎの地獄見物に出向く。
何とも落語らしい話ではある。
命よりも河豚が食べたい!!
古典落語からも見えるように江戸時代にはフグが食べられていたようで、それは命がけであったことがわかります。
調べてみるとフグが食べられるようになったのは、縄文時代の遺跡からもフグの骨が出土しており、2300年前の中国の地理書にもフグを食べると死ぬという記述がある。
今でも数年に1度はフグによって死ぬ人が出ますが、江戸時代は今の比ではなかったようです。
江戸時代には食の文化の発達とともに食べられるようになってきたフグですが、食べられるようになったとはいえ、当時でもフグには毒があることは江戸時代の人にもわかっていました。
それでも食べたい気持ちが抑えられないもので、その当時に読まれた句に
「ふぐは食べたし、命惜しし」
その時代の人の気持ちが分かる句が残っている。
毒がある、食べれば死ぬかもしれない。
それでも食べたいという気持ちが読めば誰でもわかる句である。
毒があることは分かってはいるものの、どこに毒があるのかが正確には分かってはおらず、フグの毒に当たって死ぬ人たちは多分にいたことが分かる句も残っている。
「片棒をかつぐ ゆうべの鰒(ふぐ)仲間」
一緒にフグを食べた仲間の棺桶を運ぶ棒を担ぐことになるという句。
江戸時代はそこまで魚が取れない時代ではないので、魚には困ってはいなくても人の話を聞いて自分も食べたいという江戸子気質の影響か、庶民ではそこそこ食べられていることが川柳などからも分かる。
どのように食べていたかというとフグ汁という調理法があり、
フグの皮をはぎ、内臓や腸、肝臓をよくとり除き、よく洗い、酒に漬けてから中味噌を少量入れて煮立ってからフグを入れ、味を調整する。具にはナスやニンニクなどを入れて完成というものである。
内容を見る限りでは臓器が取り除かれており、フグの毒は卵巣にあるのでフグの毒に当たるのは調理法が確立していないために臓器を取り除くときに卵巣を傷つけてしまって、それを食べて毒に当たる。
死ぬかもしれないとわかっていても昔の人はフグを食べているのは、やはりその味のよさと死ぬかもしれないというスリルを楽しんでいたのかもしれない。
まさに命を懸けた食道楽の世界ですね。
フグを安全に食べる食べるための試行錯誤
江戸時代、フグを食べれば死ぬ、でも食べたいという言い知れぬ魅力があった。
そうなればどうやって安全に食べるかを考えるのがフグを食べたい人の考えというものである。
今と違いまだまだ医療も魚の生態もわからない時代であるが、フグを食べたい一心で数々の迷信が生まれました。
フグの毒に対しての予防法として
・イカの墨を飲む。
・ナスのヘタを黒焼きのして食べる。
・クチナシの実を噛む
などなど多くあるが、極めつけは人糞を食べるという方法まで行っていたようである。
そこまでして食べたいのかと考えてしまうが、今との価値観の違いである。
フグと武士との関係
武士はフグを食べたのかと言えば、文禄・慶長の役(豊臣秀吉が朝鮮半島への出兵)のときに河豚に当たって死ぬ人が多くでたために「河豚食禁止の令」がだされている。
かなりの数の人たちがフグを食べて死んだことが想像できる。この流れが残ったまま江戸時代になりますと武士はフグを食べなかったようです。
幕府や藩からもフグを食べることが禁止されており、フグを食べたことが発覚するとお家断絶になる厳しい処分が行われるようになっていました。
そのため、フグに当たって死ぬのは武士の恥とされていました。
といっても、江戸の平和な時代が進むに従い武士の意識が変化していき江戸後期には下級武士達にも食べられるようになり、幕末頃には上流階級の武士も食していたようです。
明治時代になると、江戸時代の全面的な否定を行うこととともに伊藤博文がフグを山口で食べてからフグ食が解禁されました。