落語家で人間国宝にもなった三代目桂米朝が演じる『地獄八景亡者戯』という長い落語があります。地獄の風景を面白おかしく語り続ける一時間近い噺で、その中には「フグを食べて死に、地獄へ落ちる人々」が登場します。

金持ちの若旦那が「行きたいところにはすべて行ったし、次は地獄見物でもしてみよう」と言い出し、ではどうやって死ぬかという相談の結果、「今まで食べたことのないフグを食べて死のう」という実に落語らしい結論へと落ち着きます。太鼓持ちや芸者衆まで引き連れての大騒ぎで、これぞ古典落語の醍醐味といった展開です。

この記事の要点

  • 落語『地獄八景亡者戯』にも描かれるほど、フグ中毒は身近だった
  • 庶民は「毒消しの迷信」を信じ、命がけで美味を追求した
  • 武士には「河豚食禁止令」が出され、食べるとお家断絶のリスクも
歌川広重『いなだ・ふぐに梅』
歌川広重『いなだ・ふぐに梅』

こんな噺が成り立つほど、江戸時代のフグは“命がけの食べ物”として広く知られていました。当時の人々はフグに毒があることを承知していながら、それでも食べたいという強い欲求を持っていたようです。

その気持ちは川柳にも残されています。

「ふぐは食べたし、命惜しし」

危険だと分かっていても、どうしても味わいたい。江戸の人々の気質が素直に表れている一句です。

また、中毒死が珍しくなかったことを皮肉った句もあります。

「片棒をかつぐ ゆうべの鰒(ふぐ)仲間」

昨日いっしょにフグを食べた仲間を、翌日には棺の片棒として担ぐことになった──という、笑えないほどの現実味が漂う一句です。

江戸時代に限らず、フグ食の歴史は古く、縄文時代の遺跡からもフグの骨が出土しています。2300年前の中国の書物にも「フグを食べると死ぬ」という記述があり、昔から“美味いが危険な食べ物”として扱われてきました。

江戸の料理本『料理物語』に記されたフグ汁

江戸の初期に書かれた料理書『料理物語』(1643年)には、すでにフグ料理が登場しています。その中に記された「ふぐとう汁(フグ汁)」は当時の実際の調理法が分かる貴重な内容を要約すると。

フグの皮をはいで内臓を丁寧に取り除き、よく洗ってから酒に漬ける。味噌を少量加えて煮立てフグを入れたら味を調整して、どぶろくを差し、後は残りの具にはナスやニンニクをつけあわせに入れる。

現代のレシピと比べても意外に手順が整っているように見えますが、問題は“毒の知識が曖昧”だったことです。毒のある部位がはっきり分からないため、内臓を処理する際に卵巣を傷つけてしまい、そのまま中毒になることが少なくありませんでした。

それでもフグを食べたい──。この欲求こそが、江戸の食文化を育てたとも言えるでしょう。

毒を恐れて生まれた迷信の数々

フグを食べる以上、毒を避けたいという気持ちは当然ですが、その対策は今から見ると“迷信”の域を出ません。

  • イカの墨を飲む
  • ナスのヘタを黒焼きにして食べる
  • クチナシの実を噛む
  • そして極めつけは、人糞を食べる

医療が発達していない時代、“効くかどうかも分からない”方法に頼るしかなかったのです。それでもフグを口にするのをやめないのが、江戸の人々の食への執念です。

武士には厳しい「河豚食禁止令」

庶民とは対照的に、武士のフグ食は禁止されていました。文禄・慶長の役で多数の兵がフグ中毒で亡くなったことから、武士に対して「河豚食禁止令」が出されたためです。

江戸時代に入ると、この禁令はさらに厳しさを増し、フグを食べて死ぬことは“家の恥”とされ、場合によってはお家断絶につながることもありました。

しかし時代が進むにつれて価値観も変わり、江戸後期には下級武士がこっそりフグを食べ、幕末には上級武士にも広まっていきました。そして明治時代、伊藤博文が山口でフグを食べてその美味しさに感動したことが、近代でのフグ解禁の大きなきっかけとなります。

まとめ:江戸のフグ文化は“命がけの食道楽”

毒があると知りながら、それでも食べたい。危険を承知で挑み続け、その魅力に抗えなかったのが江戸のフグ文化でした。

落語に描かれ、川柳に詠まれ、歴史資料に記されるフグの姿は、江戸の人々がいかに“味覚”と“好奇心”に忠実だったかを教えてくれます。

ほかの食べ物についても知りたい方は、江戸の食文化カテゴリーの記事一覧や、やさしい江戸案内:食文化編|庶民の味と暮らしの知恵から、気になる話題を選んで読んでみてください。


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参考文献

  • 『料理物語』(寛永20年・1643)
  • 歴史の謎を探る会『江戸の食卓』
  • 興津要『江戸食べもの誌』
  • 桂米朝『地獄八景亡者戯』