現代の婚活といえば、お見合いパーティーやマッチングアプリで「趣味は?」「仕事は?」と会話を弾ませるのが基本ですよね。

しかし、江戸時代のお見合いはもっと静かで、そしてある意味では「計算高い」ものでした。
当事者同士は一言も喋らない。
それどころか、お見合いであることさえ隠して行われることもあったのです。

今回は、江戸庶民の奥ゆかしいお見合い事情と、結婚から離婚までを世話する「仲人(なこうど)」の大変な仕事ぶりについて紹介します。

「偶然を装う」のが江戸のルール

武士の結婚は「家」同士の都合で決められますが、庶民の結婚は比較的自由でした。
とはいえ、中流以上の家庭になると、家柄や財産を考慮して、仲人を通じたお見合いが行われます。

しかし、現代のようにホテルのラウンジで向かい合って……という形ではありません。
江戸のお見合いは、「野暮(やぼ)」を嫌います。

神社や芝居小屋での「遠隔お見合い」

よく行われたのが、「偶然を装う作戦」です。

  • 「○月○日の昼頃、○○神社の茶屋に行きます」と仲人が双方に伝える。
  • 当日、男性側と女性側が「偶然」その茶屋に居合わせる。
  • お互いに遠くから容姿や仕草、振る舞いを観察する。

言葉は交わしません。
ちらっと見て、気に入るかどうかを判断するのです。

これには「断る時のための配慮」がありました。
もし気に入らなくても、「たまたま居合わせただけ」という建前なので、相手の面目を潰さずに「縁がなかった」と断ることができます。
傷つけ合わずに済ませる、江戸っ子らしい知恵といえます。

江戸時代の男女の出会いのイメージ
言葉を交わさず、雰囲気や仕草で相手を見極めるのが江戸流でした。

ただの金儲けじゃない? 仲人の重い責任

この「言葉を交わさないお見合い」を成立させるには、お互いの性格や家の事情を熟知した「仲人(なこうど)」の存在が不可欠でした。

江戸時代、仲人は結婚が決まると、持参金の1割程度を謝礼として受け取ることができました。
これだけ聞くと「紹介するだけで儲かるビジネス」に見えますが、実際はそんなに甘い仕事ではありません。

仲人の仕事は、結婚してからが本番だからです。

喧嘩の仲裁から「荷物の仕分け」まで

仲人は、夫婦の「一生の保証人」のような存在です。
二人が喧嘩をすれば飛んで行って仲裁し、愚痴を聞き、なんとか丸く収めなければなりません。

そして一番大変なのが、万が一「離婚」することになった時です。
当時のルールでは、離婚する際、妻が持ってきた「持参金」や「嫁入り道具」はすべて返さなければなりません。

しかし、夫婦生活の中で道具は共有されています。
「この箪笥(たんす)は妻のもの」「この鍋は夫が買ったもの」と、混ざってしまった荷物を一つ一つ仕分けして、財産分与を取り仕切るのも仲人の役目でした。

商家の結婚は「お見合い」よりも「実力主義」

仲人が活躍するお見合い結婚がある一方で、江戸の商家には独自のドライな結婚事情がありました。
それは「番頭(ばんとう)の婿入り」です。

大きな商家では、たとえ実の息子がいても、商才がなければ店を継がせません。
代わりに、子供の頃から店で働き、実力を認められて出世した「番頭(従業員のトップ)」を、娘の婿養子として迎えることが多かったのです。

「血の繋がりよりも、店の存続」。
ビジネスを最優先する商人の結婚には、仲人が入る余地のない実力主義の世界がありました。

婿養子の離婚は悲惨?

こうして店に入った婿養子ですが、もし離婚することになれば悲惨です。
店の財産はすべて妻(実家)のもの。
現代のような財産分与はなく、場合によっては「身一つで追い出される」ことになります。

運が良ければ「のれん分け(支店を出させてもらう)」温情もありますが、基本的には厳しい社会だったのです。

💡 やさしい江戸案内の雑学メモ

江戸時代は、実は世界有数の「離婚大国」であり、同時に「再婚大国」でもありました。

特に農村部では、労働力の確保という意味合いもあり、結婚と離婚のハードルが非常に低かったようです。
「一生に5回も6回も結婚・離婚を繰り返す人」も珍しくなく、バツイチどころかバツゴでも、世間はあまり気にしなかったと言われています。

まとめ

江戸のお見合いは、言葉を交わさない「察する文化」と、それを支える仲人の「泥臭い働き」で成り立っていました。
一方で商家では、従業員を婿にする合理的な結婚が行われ、農村では数多くの再婚が繰り返されていました。

現代よりもずっと多様で、たくましかった江戸の結婚事情。
「結婚しなければならない」というプレッシャーよりも、「生きるためのパートナー探し」という側面が強かったのかもしれません。

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