江戸時代になると平和な時代が続き、様々な文化が成長していきました。その中にもちろん食文化も大きく変わっていきます。
米=お金の時代
江戸時代、米はお金の代わりをなしていました。武士や大名は所領での米の出来高が税として入ってくるようになっており、それから米を商人に売ってお金に変えていました。
お金=米
そんな時代、米は江戸時代の価値の基準だったといえます。
そんなお金と変わらない米ですが、江戸の人々には主食として食べられていました。
お米をおいしく食べたい
今ではお米の炊き方は炊飯器に任せればまず失敗はありませんが、江戸時代になり都市部では町民たちも当たり前のように白米をたべるようになってきました。
今では当たり前ですが、お米は30分以上水につけることで炭水化物からオリゴ糖と呼ばれる甘味成分を引き出すことができます。
しかし、当時の人々は様々な挑戦を行い、ご飯を炊くときの火加減や水の分量を調べて美味しく炊く方法をさがしました。
そこで生まれたのが「始めひょろひょろ、中くわっくわっ、親が死ぬとも蓋とるな」という米の炊き方が『理言集覧』に書かれています。
この言葉は多少の変化はしましたが「始めちょろちょろ、中パッパ、赤子泣いても蓋とるな」として昭和の時代の電気釜が普及されるまで言われていました。
白米だけでは食べられない!!混ぜご飯
江戸時代は美味しい白米の炊き方だけではありません。米を美味しく食べるためにいろいろな混ぜご飯を生まれました。
白米だけを食べたことがある人にはわかってもらえると思いますが米だけではたいして食べることができません。まして今のように品種改良はほとんどされておらず、ご飯だけを楽しめるものではありませんでした。
それでも白米を美味しく食べたいと考えた人々が様々な挑戦を行いました。その中で美味しかったものなどが地域に様々な混ぜご飯の名残があります。
ご飯の食べ方の例として
- 炊き上がる寸前のご飯に乗せて混ぜ込む”鰹飯”
- 炊き上がったご飯に菜っ葉を混ぜ込む”菜飯”
- ちりめんじゃこと薬味をのせる”千疋飯(せんびき)”
- 黒豆を入れた”蛍飯”
- 里芋を入れた”芋飯”
海産物もエビを入れた”海老飯”タコを入れた”桜飯”など
今でも残る有名な混ぜご飯が生まれました。
中には、鶏肉を別に煮て置き、それをご飯にかけて食べるといった方法の料理が生まれました。