今の時代、本や漫画を「借りて読む」といえば、図書館や電子書籍の読み放題サービスが一般的ですよね。
少し前なら、町のレンタルコミック店を利用した人も多いのではないでしょうか。

実は、この「本を借りる」という文化、江戸時代にはすでに巨大なビジネスとして成立していました。

今回は、江戸の庶民の娯楽を支えた「貸本屋(かしほんや)」について解説します。

この記事の要点

  • 本は超高級品!「買う」より「借りる」が江戸の常識
  • 貸本屋は店舗を持たない「デリバリースタイル」だった
  • 1人180軒!顧客の好みを把握するコンシェルジュ機能
江戸時代の地本問屋(出版元)の様子
地本問屋の店先(国立国会図書館蔵より)

本は庶民が買えない「超高級品」

江戸時代、日本は世界的に見ても紙が比較的安い国でした。
それでも、全て手作業で作られる「本」は、庶民にとって高嶺の花です。

例えば、庶民が気軽に買えた浮世絵(一枚絵)でも、現代の感覚で言えば数百円〜1,000円程度。

これがページ数の多い本になると、現代価格で1冊数千円〜数万円クラスの高級品になってしまいます。
とてもじゃありませんが、続き物の小説を気軽に全巻揃えるなんてできませんよね。

そこで生まれたのが、「買えないなら借りればいい」という貸本屋のビジネスでした。

「待つ」のではなく「届けに行く」スタイル

江戸時代の貸本屋の最大の特徴は、基本的にお店を構えていないことです。

ではどうしていたかと言うと、風呂敷に大量の本を包んで背負い、一軒一軒お客さんの家を回る「行商(デリバリー)スタイル」でした。

お店に行かなくても、勝手に面白い本を持ってきてくれて、読み終わった本を回収してくれる。
まさに「歩くサブスクリプション」のような便利な存在だったのです。

1人で180軒!凄腕のマーケティング

貸本屋は足を使う商売です。
1人の貸本屋が抱えるお得意先は、なんと平均180軒前後もあったと言われています。

彼らはただ回るだけではありません。
「この旦那は歴史物が好き」「あの家の奥さんは恋愛小説が好き」といった顧客データをすべて頭に入れていました。

そして、出版元(地本問屋)から仕入れた新刊の中から、その人にぴったりの本を選んで、「へい、面白いのが入りましたよ」とオススメしていたのです。

これでは、ついつい借りてしまいますよね。

なぜ「貸本」文化が爆発的に広まった?

そもそも、なぜ江戸時代にこれほど本を読む文化が広がったのでしょうか?
それには、平和な時代ならではの2つの理由がありました。

1. 庶民が「文字」を読めるようになった

戦のない平和な時代になり、子供たちは「寺子屋」で読み書きを習うようになりました。
また、農村でも書類のやり取りが必要になり、商人も帳簿をつけるため、日本全体の識字率が劇的に向上しました。

「文字が読める人」=「本のお客さん」が爆発的に増えたのです。

2. 印刷技術の向上

かつて『源氏物語』などが読まれていた時代は、手書きで書き写す(写本)しかありませんでした。
これでは数は増えませんし、貴族や一部の知識人しか読めません。

しかし江戸時代になると、木の板に文字を彫って刷る「木版印刷」が発達しました。

これによって本を量産できるようになり、「地本(じほん)」と呼ばれる大衆向けの本(洒落本・滑稽本・読本など)が次々と出版されるようになったのです。

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どんな本が人気だった?

貸本屋のラインナップは非常に幅広かったようです。

仏教の本、歴史書、医学書といった難しい実用書から、井原西鶴の浮世草子や、十返舎一九の大ヒット旅行ガイド小説『東海道中膝栗毛』などのエンタメ本まで。

江戸末期には、江戸市中だけで800軒近くもの貸本屋が存在したと言われています。

実は「中古」も回っていた?

貸本屋は新品だけでなく、店を畳む同業者から本を買い取ったり、貸本屋同士で本を売買したりして在庫を揃えていました。
貴重な本を無駄にせず、徹底的に使い回すエコなシステムが出来上がっていたのですね。

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参考文献