貸本屋というお店の形態は戦後1960年ぐらいまではどの街にでもありました。今の時代に貸本屋を知っている人の大半は貸本漫画のことで知っているのではないでしょうか。貸本漫画は手塚治虫や水木しげるなど今でも名前を知っている漫画家も描いていました。
日本は昔から紙が安かったおかげで文字を書く文化が広がりました。そのため昔の時代の日記や書物が多く残っています。
それでも本は戦後まで漫画が1冊を現代の値段にすると2000円ぐらいの値段でした。
今では誰でも本を持っているのは工業化が進み、紙の価格がとて安いものになったので安価で本を購入することが出来るようになり、借りるのではなく本を所有するようになると貸本という文化がなくなっていきました。
貸本屋が始まった江戸時代では手作業で紙を作っていたので世界に見れば紙が安価だったとはいえ、手作業で印刷をしていたこともあり、庶民が気軽に買えるのは浮世絵のような一枚絵を500円から1000円ぐらいで購入していました。
とても紙と印刷の手間の値段で販売される本は庶民の手の届くものではありません。
貸本という文化が広がる。
江戸時代よりもっと前に書かれた源氏物語は貴族が本を借りて模写することで本が増えていきました。1冊が2冊になり、2冊が4冊になるのですが、高価なものなので本を借りることも難しいですし、文字を読める人も限られていました。
庶民が本を読むにも
・金持ち、貴族、武士たちの世界でしか本の文化が回っていない。
・何よりも文字が読めない。
そんな時代から江戸の平和な時代になると余裕が生まれることで庶民の文化のレベルが上っていきます。
・農作物や土地の売買や商人として寺小屋などで文字が読める人々が増えます。
・今まで手書きで模写していたものが刷ることで量産できるようになる。
文字を読めることが出来る人が増えたこと、版画のように押し当てることで文字が紙に移せるような印刷技術の向上によって本を沢山作ることが出来るようになる。そのおかげで浮世草子のような地本を買う人々が現れるようになりました。
量産できるとは言ってもまだまだ手作業であり、数も1000冊も作られると大ヒットで、とても一般の庶民が買える値段ではありませんでした。
そこで生まれた商売が貸本屋です。
貸本屋は出版元である地本問屋が制作した本を購入してその本を庶民に安価で貸すことで商売をおこなっていました。
※地本とは江戸で大衆向けにだれた本で洒落本・草双紙・読本・滑稽本・人情本・咄本・狂歌本など。
江戸時代の貸本屋は基本的にお店を持たずに、本を担いでお得意先を回っていきます。そこで得意客に新しい本を紹介したり、客が読みたいという本を持って行きくなど、客先を回る軒先での商売を行っていました。
お店に行かなくても江戸時代の貸本屋は本を持ってきてくれて回収もしてくれる便利な存在だったようです。
足を使う商売なので1件の貸本屋は得意客を180件前後もっており、お得意様の趣味や趣向といった本の傾向がわかることからそれに合わせて地本問屋から本を買っていました。
その他にも貸本屋が自ら制作したり、貸本類仕入所からの購入、貸本屋同士や店を畳む貸本屋からの購入をすることで本を揃えていました。
貸本として取り扱われていた本は、仏書・儒書・史書・軍記・伝記・医書など『物之本』と言われる難しい本から俳諧書、浄瑠璃本、仮名草子、御伽草子のような娯楽本と幅広く取り扱っており、江戸時代に有名な井原西鶴や十返舎一九の『東海道中膝栗毛』など様々な本が貸し出されていました。
江戸時代に花開いた貸本屋は末期には800店近くもありました。その後も形態を変化させながらも今の漫画を中心とした貸本文化へと流れていきます。