現代で「飴(あめ)」といえば、スーパーやコンビニで100円もあれば買える身近なお菓子です。
しかし、砂糖が貴重だった江戸時代、甘いものは庶民にとって憧れの味でした。
そんな飴を売るために、江戸の商人たちが編み出したのが「ド派手なパフォーマンス」です。
奇抜な衣装、歌、踊り、そして女装まで。
今回は、まるで現代のアイドルやYouTuberのように客の目を釘付けにした、江戸の「飴売り」たちの商売戦略を紹介します。
歌って踊れる「飴売り」は江戸のアイドル?
江戸の町には、天秤棒(てんびんぼう)を担いだ多くの行商人がいました。
その中でも、ひときわ目立っていたのが飴売りです。
彼らは単に「飴はいらんか〜」と声をかけるだけではありません。
ライバルとの差別化を図るため、独自のエンターテインメントを取り入れていました。

実際のパフォーマンス例
記録に残っているだけでも、以下のようなユニークな売り方が存在しました。
- 唐人飴(とうじんあめ): 中国風の衣装(唐人服)を着て、ラッパを吹きながら踊って売る。
- 女装の飴売り: 男性が女性の着物を着て、面白おかしく芸を披露する。
- 歌う飴売り: 流行歌や自作のCMソングを歌いながら売り歩く。
お祭りや縁日では、彼らの周りに子供から大人まで人だかりができ、飴を買うだけでなく、その芸を見るのを楽しみにしていたのです。
そもそも「砂糖」は金並みの高級品
なぜそこまで必死に売ったのでしょうか?
それは、当時の「甘み」が特別な価値を持っていたからです。
奈良時代に日本に伝来した砂糖ですが、江戸時代になってもその多くは輸入に頼っており、非常に高価なものでした。
一説には、白砂糖100グラムが現在の価値で数千円したとも言われています。
そのため、庶民が口にする「飴」の多くは、高価な砂糖を使ったものではなく、米や麦を発酵させて作る「水飴(米飴)」が主流でした。
吉宗の挑戦! 全国規模の砂糖プロジェクト
「海外から高い砂糖を買うのではなく、日本で作れないか?」
そう考えたのが、暴れん坊将軍でおなじみの8代将軍・徳川吉宗です。
吉宗は享保の改革において、2つの「甘い植物」の栽培を奨励しました。
- サツマイモ(甘薯): 飢饉(ききん)の際の非常食として。
- サトウキビ(甘蔗): 砂糖を国産化して経済を立て直すため。
特に砂糖作りは難航しました。
サトウキビは暖かい地域でしか育たないため、幕府は全国各地で試験栽培を行い、「どこなら育つのか?」という適地探しから始めたのです。
この国を挙げたプロジェクトの結果、高松藩(香川県)などで栽培が成功。
これが現在でも高級砂糖として有名な「和三盆(わさんぼん)」の誕生につながります。
将軍の執念と、飴売りたちの努力。
この両方があったからこそ、江戸の庶民たちにも少しずつ「甘い幸せ」が広がっていったのです。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
飴売りたちのパフォーマンスは、伝統芸能にも影響を与えています。
歌舞伎の演目などにも「飴売り」が登場することがあり、当時の彼らがいかに街の人気者で、象徴的な存在だったかが分かります。
現代で言えば、渋谷のスクランブル交差点でパフォーマンスをするYouTuberのような、時代の最先端を行くインフルエンサーだったのかもしれませんね。
まとめ
江戸時代の飴売りは、ただ商品を売るだけでなく「楽しさ」も一緒に売るエンターテイナーでした。
奇抜な格好も、歌も踊りも、高級品だった甘いものを一人でも多くの人に届けるための、彼らなりの知恵と工夫だったのです。
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