江戸時代が始まってから5年から10年の江戸時代の出来ごとをざっくりとまとめています。細かい出来事は省いています。1603年(慶長8年)から1868年(慶応4年)なので400年以上前でも色々な出来事の記録が残っています。

(江戸)
⇒江戸や幕府関連の出来事
(甲斐)
⇒甲斐あたりで起きた出来事

江戸時代1630年(寛永7年)

【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)

【老中】
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
森川重俊(1628年 – 1632年)
青山幸成(1628年 – 1633年)

■ 1月

24日(幕府)
幕府が陸奥国の仙台藩と相馬藩の境界争論を審議する。
身延池上宗論を審議する。

■ 2月

21日(江戸)
『身池対論』林羅山・天海・金地院崇伝たちに久遠寺と池上本門寺との宗論を聴断する。

22日(加賀)
加賀藩が宝達金山条規を制定する。

■ 3月

10日(京都)
日奥が亡くなる。66歳

■ 4月

2日(幕府)
幕府が池上本門寺日樹と京都妙覚寺日奥らの不受不施派たちを処罰する。権力者から布施を受けるか受けないかでもめていた件

30日(京都)
織田信雄が亡くなる。73歳

■ 5月

■ 6月

■ 7月

15日(江戸)
幕府が山城国から浪人を追放した。

■ 8月

■ 9月

(京都)
俵屋宗達が禁裏本『西行法師行状絵詞』を模写

■ 10月

(備前)
岡山藩が御家人騒動の裁許を幕府に依頼する。

5日
藤堂高虎がなくなる75歳

■ 11月

11日(肥前)
長崎奉行の竹中重義、島原藩主の竹倉重政が軍艦2隻をフィリピンに派遣して軍情を視察する。

■ 12月

■日付不明

(江戸)
林羅山が上野忍岡の屋敷に先聖殿という聖廟(孔子廟)を建造する。

(江戸)
狩野尚信が幕府の御用絵師となる。

(幕府)
幕府がキリシタン数十名をフィリピンに追放とキリスト教にかかわる書籍を輸入することを禁止した。

(タイ)
シャム国で山田長政が毒殺される。

江戸時代1631年(寛永8年)

【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)

【老中】
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
森川重俊(1628年 – 1632年)
青山幸成(1628年 – 1633年)

■ 1月

■ 2月

15日(讃岐)
西嶋八兵衛(はちべい)が満濃池の改修工事を完了させる。
香川県仲多度郡まんのう町にある池

■ 3月

10日(幕府)
諸代菅からの要請で幕府は年貢を緩和する。

13日(信濃)
浅間山が噴火する。灰は江戸にも降ってきた。

13日(加賀)
加賀藩が百姓法度58か条を作る。

■ 4月

(幕府)
徳川忠長に甲府蟄居を命じる。

14日 (加賀)
金沢城が焼失する。

19日(尾張)
尾張藩主・徳川義直(とくがわよしなお)が家臣が作成された世界地図を家光に献上した。

■ 5月

■ 6月

20日 (外交)
『奉書船貿易』海外渡航に関して朱印状のほかに老中奉書の交付を条件とした。

■ 7月

■ 8月

(江戸)
秀忠の病気平癒を祈願して土井利勝が上野に鐘楼五重塔を建立する。

10日
本多忠政が亡くなる。57歳

15日 (徳島藩・高松藩)
徳島藩と高松藩のあいだで逃散(ちょうさん)した百姓の引き渡しについて協定した。
※『逃散』年貢などが払えずに百姓が住んでいた村から逃げ出すこと

■ 9月

21日(幕府)
東国の関所と渡船場での手形不所持の女性や傷を負っている者の通行を禁止する。

22日(幕府)
江戸町奉行所を呉服橋と常盤橋に設置して町方を管理させる。

■ 10月

13日(京都)
後藤徳乗が死亡する。82歳

20日閏(京都)
キリシタンや浪人のかくまう事を禁止した。
新しく寺の建立を禁止した。

■ 11月

(幕府)
寺院の創建を幕府が管理するために規制をかける。

■ 12月

■日付不明

(幕府)
幕府は江戸と大阪の商人に糸割符(いとわっぷ)への加入を3か所から5か所へと変更した。糸割符は中国商人にも適用とした。
※『糸割符』幕府が指定した商人たちに独占的輸入権をあたえること1604年存在していたが1631年に3か所から5か所へと拡大した。

(幕府)
幕府が向井忠勝に安宅丸建造を命じた。

(薩摩)
薩摩藩が琉球在番奉行を設置する。
※薩摩藩が琉球と統治するために常駐させた役人

江戸時代1632年(寛永9年)

【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)

【老中】
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
森川重俊(1628年 – 1632年)
青山幸成(1628年 – 1633年)
松平信綱(1632年 – 1662年)

■ 1月

24日「太陽暦 1632年3月14日」(江戸)
大御所である徳川秀忠(とくがわひでただ)が亡くなる。54歳
年寄・森川重俊が秀忠のあとを追って殉死した。49歳
※『近習』はそばに仕える役。森川は秀忠の近習(きんじゅ)であったことから後追いをした可能性がある。

■ 2月

(出羽)
秋田藩の百姓たちが検地・重租に対しての抵抗として逃散を行う。

■ 3月

■ 4月

(江戸)
猿若座(中村座)などの芝居小屋を禰宜町(ねぎまち)に転移する。

7日(伊予)
大洲藩主・脇坂安信と松山藩主・池田長幸が遺領の問題で刃傷(にんじょう)沙汰となり連座で改易される。

■ 5月

22日(熊本)
熊本城城主・加藤忠広が不行跡(ふぎょうせき)により江戸への参勤途中の品川で入府を止められる。

■ 6月

(熊本)
熊本城城主・加藤忠広が参勤途中の不行跡を理由に改易を命じられる。

22日(京都)
角倉素庵が亡くなる。62歳

■ 7月

3日(豊後)
府内藩主・竹中重義が黒田騒動を調停する。
※『黒田騒動(栗山大膳事件)』福岡藩で発生したお家騒動で長男の忠之に家を継がせずに三男である長興に家督を譲ろうとした。

27日(江戸)
大御所・徳川秀忠の死により大赦令により、沢庵宗彭と玉室宗珀が許され神田広徳寺へ入る。

■ 8月

■ 9月

29日(幕府)
幕府が旗本諸法度を制定する。

■ 10月

2日(外交)
日蘭の交渉が復活する。

23日(幕府)
徳川忠長を改易して上野国高崎への逼塞(ひっそく)を命じる。

■ 11月

■ 12月

17日(幕府)
幕府が総目付(大目付)を設置する。
※『総目付』は大名・高家及び朝廷を監視しする役目、名称はその後、大目付と変わる。

日付不明

(幕府)
幕府が御座船安宅丸、伊豆で建造がはじまる。完成は1634年

(陸奥)
仙台藩が江戸廻米を始める。
※『廻米』とは多量の米をある地点から他地点に輸送米のこと

(肥後)
細川忠利(ほそかわ ただとし)が熊本へ転封となる。
八代郡の下豊原村で八代焼がはじまる。

(沖縄)
薩摩が八丈島織法を久米島に伝える。

「武州豊嶋郡江戸庄図」が出版される。

江戸時代1633年(寛永10年)

【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)

【老中】
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
青山幸成(1628年 – 1633年)
松平信綱(1632年 – 1662年)
阿部忠秋(1633年 – 1666年)

■ 1月

20日(江戸)
金地院祟伝が亡くなる。63歳

■ 2月

16日(幕府)
幕府が軍役令を制定する。1000石から10万石の大名や旗本の月俸や軍役人の数割を定める。

28日(幕府)
幕府が奉書船(ほうしょせん)以外の日本の舟の海外への渡航を禁止する。

■ 3月

11日(幕府)
継飛脚制度が決められ、東海道諸宿に継飛脚給米を下付(かふ)する。

15日(幕府)
黒田騒動が起きる。福岡藩主である黒田忠之の家老・栗山大膳が南に配流される。

23日(幕府)
六人衆が設置される。
※これが後年、若年寄と名前が変わる。

■ 4月

17日(越中)
加賀藩の富山などで新しい極印銀(ごくいんぎん)が鋳造される。※極印銀とは表面に極印を打刻された一定の品質を保証した銀のこと

■ 5月

(肥後)
熊本藩で人畜改帳を作成する。

19日(江戸)
深川富岡八幡宮を造営される。

■ 6月

■ 7月

■ 8月

13日(幕府)
幕府が公事裁判に関しての法度制定を行う。

14日(長門)
キリシタンの弾圧により、阿武郡の仁左衛門が処刑される。

■ 9月

(越後)
阿賀野川が決壊して信濃川とつながる。

■ 10月

(陸奥)
白岩一揆が起こる。会津藩村山郡白岩郷の百姓たちが幕府に直訴(じきそ)をおこなう。
※白岩一揆は旗本酒井忠重の年貢過徴や強制労働、さまざまな流通統制を行われたことへの農民の反発がおきる。

5日(外交)
オランダ商館長の江戸参府がおこなわれるようになる。この時に来たのはクーケバッケル

■ 11月

■ 12月

6日(上野)
徳川忠長が上野国高崎に配流(はいる)され自害する。

20日(幕府)
幕府が書物奉行を設置する。

日付不明

(江戸)
貞門俳諧(ていもんはいかい)が盛んになる。
貞門とは松永貞徳(1571年-1654年)によって提唱された俳諧の流派

(肥前)
明国船が長崎、薩摩、琉球で交易をおこなう。

(琉球)
琉球、民国の冊封を受けて2年1貢と定められる。

江戸時代1634年(寛永11年)

【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)

【老中】
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
松平信綱(1632年 – 1662年)
阿部忠秋(1633年 – 1666年)

■ 1月

■ 2月

(江戸)
村山又三郎が上堺町で村上座を開設する。

■ 3月

3日(幕府)
若年寄・年寄の分掌を定める。

9日(京都)
大橋宗桂が80歳で死亡する。

■ 4月

■ 5月

(長崎)
幕府がキリスト教の対策と貿易の制限として長崎の豪商に出島を建造を始めさせる。

29日(幕府)
長崎での外国人の来航、奉書船以外の渡航についての禁止について制札を立てる。

■ 6月

■ 7月

9日閏(幕府)
琉球謝恩使が二条城で将軍家光との拝謁をおこなう。

23日閏(江戸)
江戸城西の丸が全焼する。

23日閏(京都)
上洛をしていた将軍家光から町年寄たちが銀5000貫目を賜る。

26日閏(幕府)
大坂・堺・ならの地子(ちし)銭を免除する。
※地子(ちし)銭とは土地代のことで本来ならその土地の収穫物の5分の1をおさめることになっている。

■ 8月

4日(幕府)
幕府が譜代大名にも妻子を江戸に置くように定める。
※譜代とは戦国時代から徳川に仕えている家臣のこと

■ 9月

1日(江戸)
将軍家光が江戸の庶民に銀5000貫目を下賜(かし)する。

■ 10月

■ 11月

7日(伊賀)
伊賀上野の仇討つが起こる。
渡辺数馬、荒木又右衛門の助力で河内又五郎を決闘のすえ討つ。

■ 12月

日付不明

(江戸)
紀州産の有田蜜柑が江戸に入荷するようになる。

(備前)
岡山県藩主・池田光政に熊沢蕃山(くまざわばんざん)が仕える。※熊沢蕃山は江戸時代初期の陽明学者

(長崎)
中島川に眼鏡橋が架橋(かきょう)する。架けたのは興福寺の2代目住職である黙子如定(もくすにょじょう)であり、日本初めての石造りのアーチ橋

江戸時代1625年(寛永2年)から1629年(寛永9年)の出来事
江戸時代1635年(寛永12年)から1639年(寛永16年)の出来事