元服のイメージ

現代の日本では、1月中旬に「成人の日」があり、20歳(現在は18歳)の若者がお祝いをします。
大人になることでお酒やタバコが解禁されるなど、社会的な区切りとなる日ですよね。

では、江戸時代の武士たちは、いつ、どのようにして「大人」になったのでしょうか?

実は、彼らの成人式は現代よりもずっと早く、15歳前後で行われていました。

今回は、武士が一人前の男として認められるための儀式「元服(げんぷく)」について解説します。

15歳で大人?「元服」の儀式とは

江戸時代、武士の子供はだいたい15歳前後になると「元服」を行い、大人として扱われるようになります。

ただし、この年齢は厳密に決まっていたわけではありません。
江戸時代は藩(地域)ごとにルールが異なり、14歳や16歳、あるいは労働力の確保のために18歳を成人とする地域もありました。

「成人して家を出て行かれると、働き手が減って困る」という農村部などでは、あえて年齢を高めに設定することもあったようです。

「前髪」を剃り落とすのが大人の証

元服の儀式には、いくつかの重要な決まりごとがあります。

まず、儀式をサポートしてくれる介添人「烏帽子親(えぼしおや)」を決めます。
これは後見人のようなもので、実の親以外に「義理の親子関係」を結ぶ重要な存在です。

そのため、できるだけ身分の高い有力者や、信頼できる人物にお願いするのが通例でした。

そして吉日を選び、儀式が行われます。
最大の見せ場は、烏帽子親の手によって「前髪」を剃り落とすことです。

江戸時代の子供は前髪を残した髪型をしていますが、大人は前髪を剃って月代(さかやき)を作ります。
つまり、前髪を落として「烏帽子(えぼし)」という大人の帽子を被ることが、成人の証明だったのです。

この「前髪を落とすと大人」という基準は、武士だけでなく町人にも共通する認識でした。

時代とともに「簡略化」された儀式

元服はもともと、公家(貴族)の複雑な儀式がベースになっています。
そのため、正式な作法で行うには、理髪役や髪を整える役など、多くの役割分担が必要でした。

しかし、時代が進むにつれて、この儀式はどんどん簡略化されていきます。

上級武士であれば格式を保っていましたが、位を持たない一般的な武士は烏帽子を被る機会もありません。
江戸中期になると、将軍や大名クラスであっても、形式だけを整えたシンプルな儀式になっていきました。

武士の時代になるにつれ、公家由来の堅苦しい文化は少しずつ薄れていったのかもしれません。

なぜ「15歳」で急いで大人にしたのか?

儀式が簡略化されても、「元服」という習慣自体はなくなりませんでした。
そこには、江戸時代ならではの切実な理由があります。

子供の死亡率が高かった時代

最大の理由は、「子供が無事に育つことが難しかったから」です。

医療が未発達だった当時、子供の死亡率は現代では考えられないほど高く、些細な病気で命を落とすことが日常茶飯事でした。
「七五三」のお祝いがあるのも、そこまで生き延びたことを神様に感謝するためです。

武家にとって、跡取りがいないことは「お家断絶」に直結する重大問題です。
そのため、体の弱い子供時代を生き抜き、無事に15歳を迎えて元服することは、「ようやく家の存続が見えた」という大きな安心とスタートの瞬間でもありました。

元服の際に、幼名(子供の頃の名前)を捨てて、新しい大人の名前(諱・いみな)を名乗るのも、「生まれ変わって一人前の武士になる」という決意の表れだったのです。

💡 やさしい江戸案内の雑学メモ

有名武将の元服年齢は?
「15歳前後」と言いましたが、戦国時代など情勢が不安定な時期はもっとバラバラでした。

例えば、織田信長は13歳徳川家康は15歳で元服しています。
早く一人前になって戦場に出なければならない時代背景などによって、大人の仲間入りをするタイミングも調整されていたことが分かります。

まとめ

江戸時代の成人式「元服」は、単なるお祝いではなく、烏帽子親との人脈作りや、家を継ぐための準備という、現実的な意味合いが強い儀式でした。

前髪を剃り落とし、名前を変えて大人になる。
15歳の少年たちが背負った覚悟は、現代の成人式よりも少し重かったのかもしれません。

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参考文献