妙好人伝全集みょうこうにんでんぜんしゅう 古昔こせきの巻まき 第一編だいいっぺん

はしがき

天保十三年てんぽうじゅうさんねんの頃ころ、石見国いわみのくに実成院じっせいいん仰誓師ごうせいし、始はじめて妙好人伝二巻みょうこうにんでんにかんを書あらわし、次ついで美濃国みののくに正聚房せいしゅうぼう僧純師そうじゅんし、その志こころざしを継つぎ、更さらに続伝数篇ぞくでんすうへんを編あむ。古昔こせきより伝つたえて世よに妙好人伝みょうこうにんでんと称しょうせらるるもの、実じつにこれなり。

明治めいじの御代みよに入いり、本伝以外ほんでんいがいに広ひろく世よに行おこなわれて遺芳いほうを後昆こうこんに残のこすものありと雖いえども、未いまだ其大成そのたいせいを見みざるは予輩よはいの遺憾いかんとする所ところなり。乃すなわちここに文ぶんを現代語げんだいごに改あらため、人ひとを国県こくけんに分わかち、以上いじょうの諸伝しょでん及および諸冊子等しょさっしとうに載録さいろくせられたるもの等とう、悉ことごとくこれを捃摭くんせきして、ここに妙好人伝全集みょうこうにんでんぜんしゅうを編あむ。

今いまや社会しゃかいは日進月歩にっしんげっぽ、暫しばらくも動うごいて止とまらざるものありと雖いえども、世道人心せどうじんしん却かえりて日ひに弛廃ちはいし、転うたた憂慮ゆうりょに堪たえざるものあり。願ねがわくば世よに本書ほんしょの行おこなわれて、この妙好人みょうこうにんの言行げんこうにより、如来本願にょらいほんがんの大道だいどうに、真俗二諦しんぞくにたいの教旨きょうしを守まもるものの一人ひとりだも多おおからば、啻ただに編者へんじゃの本懐ほんかいのみにはあらざるなり。

大正四年四月上旬たいしょうよねんしがつじょうじゅん
編者識へんじゃしるす

目次もくじ

山城国やましろのくに

一いち 七郎右衛門しちろうえもん
二に さと女おんな
三さん きく女おんな
四し おくり
五ご 西六条非人にしろくじょうひにん

大和国やまとのくに

一いち 清九郎せいくろう
二に 半平はんぺい

河内国かわちのくに

一いち おしも

和泉国いずみのくに

一いち 五郎右衛門ごろうえもん
二に 平次郎へいじろう
三さん 庄助しょうすけ
四し 安右衛門やすえもん
五ご 善兵衛ぜんべえ
六ろく 宗信そうしん

摂津国せっつのくに

一いち 庄兵衛しょうべえ
二に 為右衛門ためえもん
三さん 半兵衛はんべえ
四し 治郎右衛門じろうえもん
五ご 喜一郎きいちろう
六ろく 祐貞女ゆうていじょ
七しち さよ女おんな
八はち 妙了女みょうりょうじょ
九きゅう 妙浄尼みょうじょうに
十じゅう さよ女おんな

伊賀国いがのくに

一いち 九瀬孫之亟くせまごのじょう
二に 六兵衛ろくべえ

伊勢国いせのくに

一いち 助左衛門すけざえもん
二に 三左衛門さんざえもん
三さん おさと

尾張国おわりのくに

一いち 渡辺半蔵わたなべはんぞう
二に 久半きゅうはん

三河国みかわのくに

一いち 僧廓そうかく
二に 七三郎しちさぶろう
三さん 長松ちょうまつ
四し 利右衛門りえもん
五ご 梅吉うめきち
六ろく その女おんな

遠江国とおとうみのくに

一いち 松井道念まついどうねん

武蔵国むさしのくに

一いち 広部広平ひろべこうへい
二に 与兵衛よへえ
三さん 三右衛門さんえもん
四し 庄之助しょうのすけ
五ご 成川平次郎なるかわへいじろう

常陸国ひたちのくに

一いち 忠左衛門ちゅうざえもん

近江国おうみのくに

一いち 源右衛門げんえもん父子ふし
二に 治郎右衛門じろうえもん
三さん 権四郎ごんしろう

美濃国みののくに

一いち 山中銀十郎やまなかぎんじゅうろう
二に くめ女おんな
三さん 樹誓じゅせい
四し おるい
五ご 弥内やない
六ろく 教順きょうじゅん
七しち 主税ちから
八はち おいや
九きゅう 寿泉尼じゅせんに
十じゅう 安右衛門やすえもん

飛騨国ひだのくに

一いち 源次げんじ

信濃国しなののくに

一いち 大法だいほう
二に 何某なにがし

陸奥国むつのくに

一いち 佐助さすけ
二に 武右衛門ぶえもん
三さん 平左衛門へいざえもん
四し とく女おんな

出羽国でわのくに

一いち 佐吉さきち
二に 太兵衛たへえ
三さん 弥左衛門やざえもん

 

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