類聚近世風俗志 : 原名守貞漫稿 上巻は、江戸時代風俗の考証的随筆である『守貞謾稿』が明治にその時代に合わせて文字が直されたものではある。

謾の字が漫になったのは北斎の影響か?

序文

西洋せいよう文物ぶんぶつ日本にほんはいってきて以来いらい社会しゃかい様子ようすきゅうわり、さまざまな物事ものごとおおきく進歩しんぽした。その変化へんかはやさは、「十年一昔じゅうねんひとむかし」という言葉ことばでもいつかないほどである。

しかし、現在げんざい社会しゃかいのありかた調しらべてみると、その根本こんぽん旧幕府時代きゅうばくふじだいいだされるものは非常ひじょうおおい。

そのため、現代げんだい社会しゃかいくわしくろうとするなら、かなら旧幕府時代きゅうばくふじだい状態じょうたい調しらべなければならない。

そして、現代げんだい旧幕時代きゅうばくじだいとがどのようにつながっているのか、また、どこがまったくべつ性質せいしつっているのかをあきらかにできれば、学問研究がくもんけんきゅううえ有益ゆうえきであるだけでなく、自然しぜんおおきな興味きょうみもわいてくる。

ところが、過去三百年間かこさんびゃくねんかんについて、さまざまなひとのこしたものはある。随筆ずいひつもあり、小説しょうせつもあり、あるいはひとつの時代じだいひとつの事柄ことがらだけをあつかったものもある。しかし、それらは当時とうじ社会全体しゃかいぜんたいからると、ごく一部いちぶをのぞいたにすぎず、全体ぜんたい見通みとおすにはりない。

とくに、貞享じょうきょう元禄げんろく前後ぜんご事実じじつについては資料しりょう非常ひじょう豊富ほうふである。ところが、文化ぶんか文政ぶんせい以後いごになると、資料しりょうはたいへんすくなく、がたそらほしさがすようなありさまである。

元禄げんろく前後ぜんご徳川とくがわ盛時せいじであり、学問がくもんもかつてないほどさかんになり、武士ぶし庶民しょみんはなやかさをきそった時代じだいであった。そのため、人目ひとめおどろかせる風俗ふうぞくおおく、文人ぶんじんたちもそれをのこし、後世こうせいつたえようとしたのであろう。

一方いっぽう文化ぶんか文政ぶんせい以後いごは、幕府ばくふ内外ないがい次第しだい多事多難たじたなんとなり、人々ひとびとこころおおきくうごいた。そのため、武士ぶし庶民しょみんいて文章ぶんしょうくことができなかったのではないか。これは、わたしたちがなが残念ざんねんおもっていたことであった。

ところがちかごろ、おもいがけず一冊いっさつ書物しょもつた。それが『守貞謾稿もりさだまんこう』である。

これは、喜田川季荘きたがわ きそうふでによるもので、その内容ないようは、まず時勢じせい地理ちり人事じんじ家宅かたく生業なりわい通貨つうかからはじまる。さらに、男女だんじょ化粧けしょうなり、服装ふくそう染織せんしょく変化へんか遊里ゆうり様子ようす歌舞音曲かぶおんぎょく四季しき慣例かんれい日用雑具にちようざつぐ童謡どうようあそび、ものいたるまで、当時とうじ社会しゃかい姿すがたひろうつっている。全体ぜんたい前後三十余巻ぜんごさんじゅうよかんおよぶ。

とくに、文化ぶんか文政ぶんせい以後いご状況じょうきょうべる部分ぶぶんは、きわめてくわしい。おそらく、著者ちょしゃもっとちかられたところも、ここにあったのであろう。

この稿本こうほんは、天保八年てんぽうはちねんはじめられ、嘉永六年かえいろくねんわっている。そのかんじつ十四年じゅうよねん歳月さいげつついやされた。

その慶応けいおうすえいたるまで、何度なんど追記ついき訂正ていせいくわえられ、著者ちょしゃふかこころもちいていたことがわかる。

とく文化ぶんか文政ぶんせい以前いぜん事実じじつについては、ひろ内外ないがい諸書しょしょ調しらべ、その沿革えんかく変遷へんせんべており、考証こうしょうもかなり的確てきかくである。

また、天保以後てんぽういご記事きじについては、著者自身ちょしゃじしん見聞けんぶんしたことにしたがい、自由じゆうふではしらせている。社会しゃかい上層じょうそうから下層かそうまで、方言ほうげん俗語ぞくごたぐいいたるまで、非常ひじょうこまかな観察かんさつほどこされている。すこしもらすまいとし、その次第しだいあきらかにし、説明せつめいもたいへん丁寧ていねいである。

たとえば、文章ぶんしょうだけでは十分じゅうぶんつたえられないところは図画ずがおぎない、図画ずがだけでもりないところには説明せつめいくわえて、くわしくべている。ひとつでもつたえるべき事柄ことがらがあれば、五年ごねん十年じゅうねんついやしてもきることがない。一枚いちまいでも挿入そうにゅうすべきがあれば、数年すうねんついやしてもいとわない。

その苦心くしんのほどは、しずかにさっするにあまりある。

おそらく著者ちょしゃは、当時とうじなか非常ひじょう複雑ふくざつうごいており、事実じじつがいつのにかってしまうことを心配しんぱいしたのであろう。それを後世こうせいつたえるため、心血しんけつそそいだものとおもわれる。

編者へんじゃである季荘きそう本姓ほんせい石原氏いしはらしで、のちに喜田川氏きたがわし名乗なのった。べつ尾張部守貞おわりべ もりさだともしょうしたが、その伝記でんきくわしくわからない。

文学士ぶんがくし幸田成友氏こうだ しげとも しは、「喜田川季荘尾張部守貞誌きたがわ きそう おわりべ もりさだ しるす」とあることからすと、「守貞もりさだ」というを「季荘きそう」といたのかもしれない、とべている。

本書ほんしょなかしるされていることからかんがえると、著者ちょしゃ文化七年六月ぶんかしちねんろくがつ大坂浪華おおさか なにわまれた。天保十一年九月てんぽうじゅういちねんくがつまいを江戸えどうつしたとき三十一歳さんじゅういっさいであり、それ以来いらい江戸えどにとどまって年月ねんげつおくったようである。

本書ほんしょ内容ないようは、当時とうじはなやかであった江戸えどみやこ状態じょうたいうつすだけにとどまらない。ひろ京坂地方けいはんちほうにもおよび、あらゆる風俗習慣ふうぞくしゅうかんわせておさめている。これは、著者自身ちょしゃじしん経歴けいれきによるものであり、とく貴重きちょうてんである。

東国とうごくうつってからは、ときには商売しょうばいたずさわり、ときには風流ふうりゅうともとした形跡けいせきがある。このしょおおくも、そのような生活せいかつ合間あいまかれたものであろう。

この稿本こうほんは、ひとたびえられてはいるが、なお稿本こうほんかたちだっしていない。後編こうへんなどは、かかげられた目次もくじらしわせると、まだ完成かんせいにはいたっていないことがわかる。

くわえて、なが保管ほかんされるあいだに、いち二冊にさつ散逸さんいつしたものもある。したがって、完全かんぜんほんとはいえない。しかし、全体ぜんたい姿すがたるには十分じゅうぶんである。

著者ちょしゃ一代いちだい心血しんけつそそぎ、生涯しょうがいちからをしぼってつくったにもかかわらず、この稿本こうほんがむなしくはこそこにしまわれ、ただむしわれるままになるのは残念ざんねんである。

そこで、ここに『類聚近世風俗志るいじゅうきんせいふうぞくし』とだいし、全編ぜんぺん刊行かんこうしてひろしめすことにした。学界がっかいがこのしょによってけた部分ぶぶんおぎない、れていた部分ぶぶんたすことができるなら、これ以上いじょうさいわいはない。

編者へんじゃしるす。

緒言しょげん

いち、このしょは、先年せんねん東京帝国図書館とうきょうていこくとしょかんにおいて非常ひじょうたか価格かかくげられた書物しょもつであり、同館どうかん貴重書きちょうしょひとつである。

前集三十巻ぜんしゅうさんじゅっかん後集四巻こうしゅうよんかんべつ追補一巻ついほいっかんわせて三十五巻さんじゅうごかんからる。ただし、そのうち前集ぜんしゅう二巻にかん十七巻じゅうななかん二冊にさついている。

草稿そうこうのままつたわったものであるため、あやまり、重複ちょうふく前後ぜんごちがいなどがすくなくない。そこで今回こんかい訂正ていせいくわえたが、なおれたところもおおいであろう。

いち、このしょ誤字ごじはおおむね訂正ていせいした。しかし、文法ぶんぽう仮名遣かなづかい、訓点くんてんなどは、むやみにあらためていない。おく仮名がななども不完全ふかんぜんで、誤読ごどくのおそれがないとはいえないため、読者どくしゃには注意ちゅういしていただきたい。

いち挿入そうにゅうされている絵画かいがは、いったん原書げんしょのままうつり、さらに写真しゃしんによって縮小しゅくしょうして彫刻ちょうこくした。一点いってんらしていない。

いち、このしょ巻頭かんとうくわしい目録もくろくけ、索引さくいんとして使つかいやすいようにした。もともとは随筆ずいひつであるため、表題ひょうだいもなくながしている箇所かしょおおい。

そのような場合ばあいは、重要じゅうよう箇所かしょつけやすい語句ごくし、目録もくろくとした。

いち、このしょ刊行かんこうにあたっては、文学博士ぶんがくはくし松本愛重まつもと あいじゅう山本信哉やまもと のぶきなど諸氏しょしおおくの助力じょりょくをいただいた。ここに感謝かんしゃひょうする。

編者へんじゃしるす。

 

序文がここで終わります。

ここからは喜田川守貞の守貞謾稿』をもとにした訳を

一応、出来る限るの現代語訳にしてはいますが、わかりずらいのは申し訳ありません。