井原西鶴の浮世草子『日本永代蔵』副題は大福新長者教という日本初の経済小説。江戸末期まで増版された本。今も昔も金持ちになることには皆興味があったんですね。
内容は昔の文章で読むのも一苦労ですが、とりあえず日本永代蔵の第1巻の初午は乗って来る仕合せの一部を現代訳しています。
【 初午は乗って来る仕合せの現代訳 】
二月の初午祭りに参拝すると幸せが来る。
江戸では知らない人がいない成金
泉州にある水間寺のご利益のあるお金
太陽は物も言わないが国土を多くの恩恵をあたえてくれる。
人は誠実ではあるが偽りもまた多い。
人の心は本来は虚空であって例え刺激によって心が揺れても後には残らない。
これは良いことも悪いこともある世の中にあっても政治が上手く行われ平和な時世であっても何不満なく豊かな暮らしことはとても人間らしく優れた人でありそんな人は凡人なはすがない。
一生の一大事は世の中を生きる業であるから士農工商にかぎらず、坊主や神職であって始末大明神のお告げに守り、つつましく生活してお金をためなさい。
これこそが両親とは別の命の親である。人間は長いようで次の朝には亡くなっているかもしれず、短とおもえばその日の夕方にも終わるかもしれない。
だから、「天地は万物をやどす宿のごとく、歳月は永遠に過ぎ去る旅客のごとく、人生は夢まぼろしのようなもの」と言う。
人はあっという間に火葬の煙となり、死ねば金銀などなんの役に立つか瓦や石にも劣るものとなってしまう。あの世では金銀など約には立たない。とはいえども、金銀も残していれば子孫の役には立つはずである。
密かに考えてみると、世の中で人間が叶えられる願い。なにより金銀で叶えられないことは天下でも人間の寿命だけであるそれより他はない。
金銀にまさる宝はほかにあるだろうか。
見も知らぬ島にいる鬼が持っているという隠れ笠、隠れ蓑があったとしても、大雨では役に立たない、夢のような願いは捨てて近道にそれぞれの家業にはげむのがよい。
幸せというものはしっかりとした生活にあり、常に油断してはいけない。とくに世間のルールを大切にして、神仏を祀ることが大切だ。これこそが日本の風俗である。
【こちらは直訳】
初午は乗って来る仕合せ
江戸にかくれなき俄分限(にわかぶんげん)
泉州水間寺利生(りしやう)の銭
天道言(てんたうものい)はずして国土に恵みふかし。人は實(じつ)あって偽(いつは)りおほし。其心は本虚(もときょ)にして物に應じて跡なし。
これ善悪の中に立てすぐなる今の御代(おんよ)をゆたかにわたるは人の人たるがゆえに常の人にあらず。一生大事身を過ぐる業、士農工商の外、出家・神職にかぎらず、始末大明神の御託宣にまかせ、金銀を貯めこむべし。
これ、二親の外に命の親なり。人間、長く見れば朝を知らず、短くおもへば夕におどろく。されば、「天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢幻」といふ。
時の間の煙、死すれば、何ぞ金銀瓦石には劣れり。黄泉の用には立ちがたし。しかりといへども、残して子孫のためとはなりぬ。
ひそかに思ふに、世に有る程の願ひ、何によらず銀徳にて叶はざる事、天が下に五つあり。それより外になかりき。これにましたる宝船の有るべきや。
見ぬ島の鬼の持ちし隠れ笠・かくれ蓑も、暴雨の役にたたねば、手遠きねがひを捨てて、近道にそれぞれの家職にはげむべし。
福徳はその身の堅固に有り朝夕油断する事なかれ。殊更、世の仁義を本として、神仏をまつるべし。これ、和国の風俗なり。
直訳と現代訳の比較
【直訳】
初午は乗って来る仕合せ
江戸にかくれなき俄分限(にわかぶんげん)
泉州水間寺利生(りしやう)の銭
【現代訳】
二月の初午祭りに参拝すると幸せが来る。
江戸では知らない人がいない成金
泉州にある水間寺のご利益のあるお金
【直訳】
天道言(てんたうものい)はずして国土に恵みふかし。
人は實(じつ)あって偽(いつは)りおほし。
其心は本虚(もときょ)にして物に應じて跡なし。
これ善悪の中に立てすぐなる今の御代(おんよ)をゆたかにわたるは人の人たるがゆえに常の人にあらず。
【現代訳】
太陽は物も言わないが国土を多くの恩恵をあたえてくれる。
人は誠実ではあるが偽りもまた多い。
人の心は本来は虚空であって例え刺激によって心が揺れても後には残らない。
これは良いことも悪いこともある世の中にあっても政治が上手く行われ平和な時世であっても何不満なく豊かな暮らしことはとても人間らしく優れた人でありそんな人は凡人なはすがない。
【直訳】
一生大事身を過ぐる業、士農工商の外、出家・神職にかぎらず、始末大明神の御託宣にまかせ、金銀を貯めこむべし。
【現代訳】
一生の一大事は世の中を生きる業であるから士農工商にかぎらず、坊主や神職であって始末大明神のお告げに守り、つつましく生活してお金をためなさい。
【直訳】
これ、二親の外に命の親なり。人間、長く見れば朝を知らず、短くおもへば夕におどろく。
【現代訳】
これこそが両親とは別の命の親である。人間は長いようで次の朝には亡くなっているかもしれず、短とおもえばその日の夕方にも終わるかもしれない。
【直訳】
されば、「天地は万物の逆旅、光陰は百代の過客、浮世は夢幻」といふ。
【現代訳】
だから、「天地は万物をやどす宿のごとく、歳月は永遠に過ぎ去る旅客のごとく、人生は夢まぼろしのようなもの」と言う。
【直訳】
時の間の煙、死すれば、何ぞ金銀瓦石には劣れり。
【現代訳】
人はあっという間に火葬の煙となり、死ねば金銀などなんの役に立つか瓦や石にも劣るものとなってしまう。
【【直訳】
黄泉の用には立ちがたし。
【現代訳】
あの世では金銀など約には立たない。
【直訳】
しかりといへども、残して子孫のためとはなりぬ。
【現代訳】
とはいえども、金銀も残していれば子孫の役には立つはずである。
【直訳】
ひそかに思ふに、世に有る程の願ひ、何によらず銀徳にて叶はざる事、天が下に五つあり。
【現代訳】
密かに考えてみると、世の中で人間が叶えられる願い。なにより金銀で叶えられないことは天下でも人間の寿命だけである
【直訳】
それより外になかりき。
【現代訳】
それより他はない。
【直訳】
これにましたる宝船の有るべきや。
【現代訳】
金銀にまさる宝はほかにあるだろうか。
【直訳】
見ぬ島の鬼の持ちし隠れ笠・かくれ蓑も、暴雨の役にたたねば、手遠きねがひを捨てて、近道にそれぞれの家職にはげむべし。
【現代訳】
見も知らぬ島にいる鬼が持っているという隠れ笠、隠れ蓑があったとしても、大雨では役に立たない、夢のような願いは捨てて近道にそれぞれの家業にはげむのがよい。
【直訳】
福徳はその身の堅固に有り。
【現代訳】
幸せというものはしっかりとした生活にあり、
【直訳】
朝夕油断する事なかれ。
【現代訳】
常に油断してはいけない。
【直訳】
殊更、世の仁義を本として、神仏をまつるべし。
【現代訳】
とくに世間のルールを大切にして、神仏を祀ることが大切だ。
【直訳】
これ、和国の風俗なり。
【現代訳】
これこそが日本の風俗である。