江戸時代、貞享5年つまり1688年に江戸時代の前半から中期を代表する浮世草子の作者であった井原西鶴が書いた日本の小説史上初めての経済を取り扱った作品であった。

全6巻からなる日本永代蔵は題「大福新長者教」、内題「本朝永代蔵」というタイトルがついており、江戸の終わりまで延々と再販され続けた。

日本永代蔵からは江戸幕府が誕生して80年のうちに経済は成熟し、江戸では新たに商売をするにはあまりにも手狭になっていた。そんな中で自らの才覚で生牛の目をもくじる庶民の姿がある。

「初午は乗て来る仕合」では金を借り、その金を更に人に貸すことで利益を得る話である。

この訳は「大藪虎亮」の日本永代蔵新講をもととして作成しています。

『「初午は乗て来る仕合」』本文訳

初午は乗つて来る仕合(しあはせ)

目録

江戸にかくれなき俄分限(にわかぶんげん)
  泉州水間寺利生(りしやう)の銭
  初午は乗って来る仕合(しあは)せ


天道言(てんたうものい)はずして国土に恵みふかし。
人は實(じつ)あって偽(いつは)りおほし。
其心は本虚(もときょ)にして物に應じて跡なし。
これ善悪の中に立てすぐなる今の御代(おんよ)を。
ゆたかにわたるは人の人たるがゆえに常の人にあらず。

一生一大事身を過ぐる業、士農工商の外、出家・神職にかぎらず。
始末大明神の御託宣にまかせ金銀を溜べし(貯めこむべし)。
これ二親の外に命の親なり。
人間長く見れば朝をしらず短くおもへば夕におどろく。
されば”天地は万物の逆旅。光陰は百代の過客、浮世は夢幻”といふ。
時の間の煙死すれば何ぞ金銀瓦石にはおとれり。
黄泉の用には立ちがたし。
然りといへども残して子孫のためとはなりぬ。

ひそかに思ふに世に有程の願ひ何によらず銀徳にて叶はざる事天が下に五つ有り。
それより外になかりき。
これにましたる宝船の有べきや。
見ぬ島の鬼の持ちし隠れ笠、かくれ蓑も暴雨の役にたたねば。
手遠きねがひを捨て近道にそれぞれの家職にはげむべし。
福徳はその身の堅固に有。
朝夕油断する事なかれ。
殊更(ことさら)世の仁義(じんぎ)を本として神佛(しんぶつ)をまつるべし。
これ和国の風俗なり。

折ふしは春の山二月初午の日。
泉州に立たせ給ふ水間寺の観音に貴賤男女参詣ける。
皆信心にはあらず。
欲の道づれはるかなる苔路、姫萩、萩の焼原を踏分(ふみわけ)。
いまだ花もなき片里に来てこの佛(ほとけ)に祈誓(きせい)かけしは。
その分際程に富めるを願へり。
この御本尊の身にしても。
獨(ひと)りひとりに返言し給ふもつきず。



”今この娑婆につかみどりはなし。我頼むまでもなく。土民は汝にそなはる夫は田打ちて婦は機織て朝暮そのいとなみすべし。一切の人このごとく」と戸帳ごしにあらたなる御告なれども。
諸人の耳に入らずる事の浅まし。


それ世の中に借銀の利息程おそろしき物はなし。
この御寺にて万人借り銭する事あり。
当年1銭あづかりて来年2銭にして返し。
百文請け取り二百文にて相済しぬ。
これ観音の銭なれば。
いづれも失墜なく返納したてまつる。

おのおの五銭、三銭、十銭より内を借りけるに。
ここに年のころ二十三、四の男産れつきふとくたくましく。
風俗律義にあたまつき跡あがりに。
信長時代の仕立着物袖下せはしく裾まはり短く。
うへした共に紬のふとりを無紋の花色染にして。
同じ切の半襟(はんえり)をかけて。
上田縞(うえだしま)の羽織に綿裏をつけて。
中脇指(ちゅうわきざし)に柄袋をはめて。
世間かまはず尻からげして。



ここに参りし印の山椿の枝に野老入し髭籠取りそへて下向(げかう)と見えしが。
御宝前(ほうぜん)に立ち寄りて”借銭一貫”と言ひけるに。
寺役の法師、貫(くはん)ざしながら相渡してその国その名をたづねもやらず。
彼(かの)男行き方知らずなりにき。


寺僧あつまりて”当山開闢よりこのかた。終(つる)に一貫の銭貸したる例なし。借る人これがはじめなり。この銭済むべき事とも思はれず自今(じこん)は大分にかすこと無用”とさたし侍る。
その人住所は武蔵江戸にして小網町のすえに。
浦人の着し舟問屋して次第に家栄へしをよろこびて。
掛硯(かけすずり)に”仕合丸”と書き付け水間寺の銭を入れ置き。
猟師の出船に子細を語りて百文づつ貸しけるに。
借りし人自然の福(さいはい)有りけると遠浦に聞きつたへて。



せんぐりに毎年集まりて一年一倍の算用につもり十三年目になりて元一貫の銭に八千九十二貫にかさみ。
東海道を通し馬につけ送りて御寺につみかさねければ。
僧中横手打つてそののちせんぎあつて。
”末の世のかたり句になすべし”と都よりあまたの番匠(ばんじゅう)をまねきて。
宝塔を建立(こんりゅう)有難き御利生(りしやう)なり。


この商人内蔵には常灯のひかり。
その名は網屋とて武蔵にかくれなし。
惣じて親のゆづりをうけずこれ身才覚にしてかせぎ出し。
銀五貫目よりしてこれ分限(ぶんげん)といへり。
千貫目のうへを長者とはいふなり。
この銀の息よりは幾千万歳楽(いくせんまんざいらく)と祝(いわ)へり。

 
日本永代蔵』直訳 第一巻 2話「二代目は破る扇の風」