現在、寿司といえば、清潔なカウンターで職人が握る高級料理や、回転寿司で気軽に食べる身近な料理を思い浮かべます。

しかし、江戸時代後期に広まったにぎずしは、現代の寿司とはかなり違う食べ物でした。

大きさも違います。値段も違います。人気のネタも違います。食べ方も、現代の寿司屋とはかなり違っていました。

江戸の鮨は、屋台でさっとつまむ庶民の軽食であり、同時に名店で売られる高級な江戸名物でもありました。

すしはもともと保存食だった

すしは、最初から握り寿司だったわけではありません。

古いすしは、魚を飯と塩で漬け込み、時間をかけて発酵させる保存食でした。

琵琶湖のふなずしのような、なれずしがその古い形を伝えています。

このころのすしは、すぐ食べる料理ではありませんでした。

魚を保存するために、何か月も待つ。時間をかけて酸味とうまみを作る。

そこから、飯も魚も一緒に食べる生なれずし、酢を使って早く作る早ずし、箱で押す押しずしへと変わっていきます。

すしの歴史の流れを詳しく知りたい場合は、なれずしから握りずしへ|日本のすしはどう変わったのかも参考になります。

江戸で握り鮨が生まれた

江戸時代後期になると、酢飯すめしを握り、魚介をのせてすぐ出す握り鮨が広まります。

この変化は、すしの歴史の中でも大きな出来事でした。

なれずしは、長く待つ食べ物です。押しずしも、飯と具をなじませる時間が必要です。

しかし、握り鮨は違います。

職人が酢飯を手に取り、魚介をのせて、その場で握る。客はすぐに食べることができます。

待つすしから、すぐ食べるすしへ。

この変化が、せっかちな江戸の人たちに握り鮨が流行る理由でした。

握り鮨が江戸で流行した理由は、江戸の握り鮨はなぜ流行したのか|待つすしから、すぐ食べるすしへで詳しく紹介しています。

江戸っ子に合った屋台の鮨

江戸の握り鮨は、屋台との相性がよい食べ物でした。

江戸の町には、蕎麦、天ぷら、鰻、団子、汁粉など、さまざまな屋台が並んでいました。

仕事の合間に立ち寄り、軽く食べる。芝居見物や夜の外出のあとに、小腹を満たす。

握り鮨は、そうした江戸の外食文化にぴったり合いました。

一つ四文、八文ほどで売られ、二つ三つつまんで帰る。

現代の高級寿司というより、ファストフードに近い感覚だったのです。

屋台での値段や食べ方は、江戸の鮨屋台はいくらだったのか|一つ四文でつまむ庶民の味で扱っています。

江戸の鮨は現代より大きかった

江戸時代の握り鮨は、現在の寿司より大きかったといわれます。

いまの寿司は、一口で食べやすい大きさへと時代に合わせて変わっていきました。

一方、江戸の鮨は、今の二倍から三倍ほどの量があったともされます。二つ三つ食べれば、軽い食事として十分だったのでしょう。

江戸には、大工、左官、とび、棒手振、駕籠かきなど、体を使って働く人が多くいました。

そうした人々にとって、屋台で大きめの鮨を少しつまむ食べ方は、町の生活リズムに合っていました。

現代の寿司との違いをまとめて知りたい場合は、江戸時代の鮨は現代と何が違うのか|大きさ・値段・ネタ・食べ方がおすすめです。

冷蔵庫がない時代の「仕事」

江戸前ずしの特徴は、魚介をそのまま酢飯にのせることだけではありません。

冷蔵庫のない時代、魚を生のまま安全に出すのは簡単ではありませんでした。

そのため、鮨職人はネタにひと手間を加えました。

小鰭こはだは酢でしめる。
マグロは醤油に漬ける。
穴子は甘く煮る。
海老やタコは茹でる。
海老はそぼろにして味をつける。

こうした下ごしらえが、江戸前ずしの「仕事」と呼ばれるものにつながります。

保存のための工夫であり、同時に、酢飯と合う味に整える工夫でもありました。

江戸前ずしの仕事については、江戸前ずしの「仕事」とは何か|冷蔵庫のない時代の工夫で詳しくまとめています。

江戸の鮨ネタは今と違った

江戸の握り鮨には、現在にもつながるネタが多く登場します。

鶏卵焼、車海老、海老そぼろ、白魚、こはだ、穴子甘煮、マグロの赤身などです。

しかし、現代の人気ネタをそのまま江戸時代に当てはめると、かなり違って見えます。

現代では人気のトロ、ウニ、イクラなどは、江戸の握り鮨の中心ではありませんでした。

江戸の鮨で重要だったのは、江戸前の魚介をどう仕事して、酢飯に合わせるかです。

ネタの価値は、時代の味覚や保存技術によって変わっていきました。

江戸の鮨ネタを一覧で見たい場合は、江戸の鮨ネタ一覧|玉子・白魚・小鰭・穴子・海老・マグロをご覧ください。

マグロは高級魚ではなかった

現代の寿司で代表的なネタといえば、マグロです。

赤身、中トロ、大トロ。とくにトロは高級ネタとして知られています。

しかし、江戸時代のマグロは、現在のようにありがたがられる魚ではありませんでした。

むしろ、下魚と見られることがありました。脂の多いトロは好まれず、捨てられたり、鍋や肥料に回されたともいわれます。

江戸の鮨に使われたのは、主に赤身です。

その赤身も、醤油に漬けたヅケとして使われました。

現代の高級ネタが、かつては低く見られていた。

ここに、寿司文化の価値観の変化がよく表れています。

マグロとトロの評価の変化は、マグロは江戸時代には下魚だった|トロが高級ネタになるまでで詳しく紹介しています。

稲荷鮨も庶民に親しまれた

江戸の鮨文化は、魚を使った握り鮨だけではありません。

稲荷鮨いなりずしも、江戸庶民に親しまれた手軽な食べ物でした。

稲荷鮨は、油揚げに飯を詰めた寿司です。

名前はお稲荷さんに由来し、狐の好物とされた油揚げを使うことから、稲荷鮨と呼ばれるようになったと考えられます。

初期の稲荷鮨には、飯ではなくおからを詰めたものがあったともいわれます。

米が貴重な時期には、安くて栄養のあるおからは重宝されたのでしょう。

一切れ四文ほどで買える稲荷鮨は、魚を使う握り鮨とは別の形で、江戸の庶民を支えました。

稲荷鮨の歴史については、元祖いなりずしは飯ではなくおから入りだった?|江戸庶民に広まった稲荷鮨で扱っています。

屋台の鮨と高級店の鮨

江戸の鮨には、二つの顔がありました。

ひとつは、屋台で気軽につまむ庶民の味です。

一つ四文、八文ほどで買え、二つ三つつまんで小腹を満たす。

江戸の町人や職人にとって、鮨は日常に近い軽食でした。

もうひとつは、名店で売られる高級な鮨です。

深川の松がすしや、両国の与兵衛鮨よへえずしのような店では、材料を吟味した高価な鮨が評判を呼びました。

屋台の庶民食でもあり、高級な江戸名物でもありました。

この二面性は、現代の寿司にも通じています。

握り鮨の元祖説については、握り鮨の元祖は誰だったのか|松がすしと華屋与兵衛の話でも紹介しています。

天保の改革で処罰された鮨職人

江戸の鮨は高級化しすぎたことで、取締りの対象になったこともあります。

天保てんぽうの改革では、老中の水野忠邦がぜいたくの取締りを強めました。

その中で、高級鮨を提供する職人たちが手鎖の刑を受けたという話があります。人数については、二百人以上とされることもあります。

ここは史料によって細部にブレがあるので、正確な数はわかりませんが、鮨が処罰の対象として語られるほど、ぜいたくな料理にもなっていたことが見えてきます。

江戸の鮨は、庶民の屋台食であると同時に、幕府から見ても高級品にもなっていたのです。

この話を詳しく読む場合は、高級化しすぎた江戸の鮨|天保の改革で処罰された鮨職人たちをご覧ください。

川柳にも詠まれた握り鮨

江戸の握り鮨は、川柳せんりゅうにも詠まれました。

「妖術といふ身で握る鮓のめし」

この句は、鮨職人が飯を握る手つきを、妖術使いのようだとたとえたものです。

当時の芝居で流行っていた義賊である妖術使い児雷也の指の印の動きと、寿司を握る不思議な指の動きになぞらえてとも言われます。

握り鮨は、食べておいしいだけではありませんでした。

職人が目の前で握る。
その手つきが早い。
握られたそばから、すぐ食べられる。

目の前で、あっという間に握られる鮨が不思議に見えたでしょう。

握り鮨は、味だけでなく、職人芸を見る楽しみもある食べ物でした。

川柳から江戸の握り鮨を見る記事として、川柳に詠まれた江戸の握り鮨|妖術のように握る職人の姿もあります。

鮨屋は蕎麦屋より多かった?

江戸後期の資料には、江戸には鮨屋が毎町一、二軒あり、蕎麦屋は二町に一軒ほどだったという趣旨の記述があります。

これは、現代の統計のように厳密な数字として見るより、鮨屋が町で目立つ存在だったことを示す記述として読むのがよいでしょう。

それでも、鮨が江戸の町にかなり広まっていたことは伝わります。

江戸の外食といえば蕎麦の印象が強いですが、鮨もまた、町の外食文化を支える重要な食べ物でした。

江戸の鮨屋と蕎麦屋の関係は、鮨屋は蕎麦屋より多かった?|江戸の町に広がった外食文化で詳しく紹介しています。

浮世絵にも描かれた江戸の鮨

江戸の鮨は、浮世絵うきよえの中にも姿を見せます。

(浮世絵・錦絵) 見立源氏はなの宴 豊国 画
出典元:早稲田大学図書館

屋台で売られる握り鮨。
宴席に盛られた鮨桶。
遊郭や芝居町のにぎわいに見える鮨屋の灯り。

浮世絵は写真ではありません。構図や演出もあります。

それでも、鮨が絵に描かれるほど、江戸の人々の暮らしや遊びの場に入り込んでいたことはわかります。

江戸の鮨は、仕事の合間に食べる軽食であり、花見や宴席を彩る料理でもありました。

浮世絵に描かれた鮨については、浮世絵に描かれた江戸の鮨|宴席・屋台・遊郭のすしをご覧ください。

季節に左右された鮨屋の商売

江戸の鮨は、季節にも左右されました。

現代の寿司は、冷蔵や冷凍、流通の発達によって、一年中さまざまなネタを食べられます。

しかし、江戸時代には冷蔵庫がありません。

魚介の扱いは、気温や季節に大きく影響されました。

冬には冷えた鮨の売れ行きが落ち、うどんやそばのような温かい屋台に人気が出ました。

江戸の鮨店では十月以降、鮒の昆布巻を作り、鮨とともに売りました。

鮨屋は、魚に仕事をするだけでなく、季節に合わせて商売を工夫していたのです。

江戸の鮨と季節感については、江戸の鮨と季節感|冬に売れにくい鮨と鮒の昆布巻で紹介しています。

鉄火巻きの名前にも説がある

マグロを使った寿司として、鉄火巻きもよく知られています。

鉄火巻きは、赤身のマグロを芯にして、酢飯と海苔で巻いた細巻きです。

その名前には、賭博場である鉄火場で手を汚さずに食べられたという説があります。

俗説の中に真実が埋もれてしまっているために、もはや真実は解りません。

色々な俗説があるのだという雑学として受け止めていただくのがいいでしょう。

鉄火巻きの由来については、鉄火巻きの名前はどこから来たのか|鉄火場とマグロ巻きの俗説で詳しく扱っています。

江戸の鮨文化は幅広かった

江戸の鮨文化を見ていくと、かなり幅広いことがわかります。

古いすしは、魚を保存するためのなれずしでした。江戸では、酢飯を使った握り鮨が広まります。

屋台では、四文、八文で庶民がつまみます。

名店では、高級鮨として評判を呼びます。

マグロは下魚から人気ネタへ変わっていきます。

稲荷鮨は、魚を使わない庶民の鮨として広まります。

ひとことで「江戸の鮨」といっても、そこには多くの話があります。

握り鮨だけでなく、屋台、職人、川柳、浮世絵、季節、値段、ネタの価値観まで含めて見ると、江戸の鮨文化が広がって見えてきます。

まとめ

江戸の鮨は、現代の寿司の原型でありながら同じものではありませんでした。

大きさは今より大きく、屋台で二つ三つつまみ、小腹を満たす軽食でした。

鮮度のこともありネタには、酢締め、ヅケ、煮る、茹でるといった仕事が必要でした。

現代では高級なマグロやトロも、江戸時代には低く見られることがありました。

一方で、松がすしや与兵衛鮨のような名店では、鮨は高級な江戸名物にもなります。

庶民の味であり、高級品でもある。屋台の軽食であり、宴席を彩る料理でもある。

古い保存食の歴史を持ちながら、江戸ではすぐ食べられる新しい食べ物になる。

その幅広さこそ、江戸の鮨文化の面白さです。

江戸の鮨を知ると、いま食べている寿司の一貫にも、長い歴史と町の暮らしが重なって見えてきます。

江戸の鮨シリーズ全体を読みたい場合は、江戸の鮨シリーズ一覧|江戸前ずしをやさしく読むにまとめています。

次に読むおすすめ記事

江戸の鮨を基礎から知りたい場合は、まずこちらの記事がおすすめです。