伊勢参りの子供たち

江戸時代の子供たちは、ある程度の年齢(10代前半)になると、商家などへ「丁稚(でっち)」として奉公に出されるのが一般的でした。

「美味しい白米が食べられるから幸せだろう」
……なんてことはありません。

朝から晩まで働き詰め、休みは盆と正月の2回だけ。
食事も白米とはいえ、おかずは味噌汁と漬物程度。
現代なら間違いなくブラック労働とされる環境です。

「毎日毎日、働いてばかりで嫌になる……。どこか遠くへ行きたい」

そんな子供たちが思いついたのが、職場放棄、つまり「家出」でした。

しかし、ただの家出ではありません。
江戸時代には、「あるルール」を守れば、子供でも堂々と家出が許される不思議なシステムがあったのです。

今回は、子供たちによる伊勢参り、通称「抜け参り」について解説します。

子供の家出が許される「抜け参り」のルール

当時、『東海道中膝栗毛(弥次さん喜多さん)』などの影響で、お伊勢参りは庶民の憧れでした。

辛い仕事から逃げ出したい子供たちは、「そうだ、お伊勢さんに行こう!」と決意します。
これを「抜け参り」と言います。

もちろん、勝手に行方不明になれば、親や奉公先、紹介人に多大な迷惑がかかり、大捜索になってしまいます。
そこで子供たちは、家を出る前に「あるアイテム」を残していきました。

「天照大御神」のお札を残せ!

家出の作法、それは「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」と書かれたお札を、店の神棚や床の間に貼ってから旅立つことです。

これを見た主人はすぐに察します。
「あいつ、逃げたな……いや、お札があるということは、伊勢に行ったのか」

行き先が分かれば連れ戻せそうなものですが、この時代、「伊勢参りに行く人を止めてはいけない」という暗黙の了解がありました。

たとえ子供であっても、信仰のために旅立った者を邪魔することは、神様(天皇家の祖先神)への冒涜になります。
そのため、お札さえ貼ってあれば、「信仰心なら仕方がない」と、罪に問われることなく旅立つことができたのです。

所持金ゼロ! 子供はどうやって旅をした?

無事に家出には成功しましたが、丁稚の子供にお金はありません。
わずかなお駄賃では、1ヶ月近い旅の食費や宿代など払えるはずがありません。

そこで彼らが持っていったのが、「笠」「柄杓(ひしゃく)」です。

「柄杓」さえあれば食いっぱぐれない

以前の記事でも紹介しましたが、伊勢参りの旅人には、道中の人々が食事や小銭を恵んでくれる「お接待」という文化がありました。

子供が柄杓を差し出せば、大人がそこにお米や小銭を入れてくれます。
施しをする側にとっても、「巡礼者を助けることで功徳(良い行い)になる」と考えられていたため、子供たちは無一文でも飢えることなく旅ができました。

宿はどうする? 格安の「木賃宿」と無料の宿

寝る場所についても、子供たちなりに知恵を絞りました。

施しで得た小銭があれば、「木賃宿(きちんやど)」に泊まります。
これは食事が出ない素泊まりの宿で、お米と「薪代(木賃)」を渡すことで、ご飯を炊いて寝かせてくれる場所です。

さらに、それさえ払えないときは、「善根宿(ぜんこんやど)」を探しました。
これは篤志家(良いことをしたいお金持ち)が、自宅の一部を旅人に無料で開放している場所です。

また、子供一人の旅は危険なため、道中で同じような「抜け参りグループ」を見つけては合流し、集団で伊勢を目指しました。

💡 やさしい江戸案内の雑学メモ

勝海舟の父も「抜け参り」経験者?
「江戸城無血開城」で有名な勝海舟の父親、勝小吉(かつこきち)
破天荒な貧乏旗本として知られる彼ですが、自伝『夢酔独言』の中で、14歳の頃に家出して伊勢参りをしたことを語っています。

武士の子供であっても、柄杓を持って乞食のような旅を経験していたのですね。
このバイタリティが、後の勝海舟の人格形成にも影響したのかもしれません。

まとめ

「抜け参り」は、辛い奉公生活を送る子供たちにとって、唯一許された社会的な逃避行(ガス抜き)でした。

お札一枚で家出が許され、見ず知らずの大人が子供の旅を支える。
江戸時代は厳しい身分社会でしたが、信仰心の下では意外と寛容で、セーフティーネットが機能していた時代でもあったようです。

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参考文献