昔から男性同士の恋愛を描いた「BL(ボーイズラブ)」などの作品が人気を集めていますよね。
江戸時代、これと同じかそれ以上に「男色(なんしょく、だんしょく)」と呼ばれる男性同士の文化が、世間一般に大流行していました。
今回は、幕府が何度禁止しても収まらなかった熱狂的なブームと、あの有名な「弥次さん喜多さん」の意外な関係について解説します。
この記事の要点
- 中性的な美少年が踊る「若衆歌舞伎」が男女問わず大人気だった
- 風紀が乱れたため、幕府は何度も「男色禁止令」を出した
- 『東海道中膝栗毛』の弥次さん喜多さんは、実は元陰間とパトロンの関係

「若衆(わかしゅ)」は江戸のアイドル
男色は、古くは平安時代の貴族や、戦国武将と小姓(こしょう)の間で嗜まれていました。
それが平和な江戸時代になると、庶民の間にも爆発的に広がります。
その主役となったのが「若衆(わかしゅ)」です。 若衆とは、元服前(成人前)の少年のこと。
大人の男性が月代(さかやき)を剃ってチョンマゲにするのに対し、彼らは「前髪」を残していました。
この前髪のある中性的な姿が、「美しい!」と男性からも女性からも熱烈に支持されたのです。
禁止されるほど熱狂した「若衆歌舞伎」
もともと「女歌舞伎」が禁止された後、その穴を埋めるように登場したのが、少年たちが女装して踊る「若衆歌舞伎」でした。
しかし、あまりの人気に、役者の少年と客との間で売買春などのトラブルが多発。 「風紀を乱す」として、幕府は度々禁止令を出しています。
- 1642年: 若衆歌舞伎での「女装」を禁止
- 1652年: 若衆歌舞伎そのものを禁止
幕府は「少年を苦界(売春などの苦しい環境)に落としてはいけない」という名目でお触れを出しましたが、その熱狂は簡単には冷めませんでした。
将軍も好きだった? 矛盾する禁止令
ここで面白いのが、この時代(1640年代)のトップである3代将軍・徳川家光の存在です。
実は家光自身、「女性よりも男性(若衆)が好きだった」と言われるほどの男色家でした。
国のトップが男色にハマっているのに、庶民には「男色は禁止!」と法令(1648年の慶安の御触れなど)を出す。
なかなかに矛盾した不思議な状況だったのです。
あの「弥次さん喜多さん」も男色カップル?
この男色文化がいかに一般的に浸透していたかを示す、有名な作品があります。 十返舎一九のベストセラー小説『東海道中膝栗毛』です。
主人公の弥次郎兵衛(弥次さん)と喜多八(喜多さん)。
二人はドタバタ珍道中を繰り広げる愉快なコンビとして描かれていますが、実は彼らの旅のきっかけは「駆け落ち」に近いものでした。
喜多さんは「元陰間(かげま)」だった
物語の設定では、相方の喜多さんは、もともと「陰間(かげま)」と呼ばれる、男性を相手にする職業(役者兼売春)をしていました。
それなりにお金のある商家の生まれの弥次さん、旅の一座の役者だった少年の喜多さんに目をつけて陰間とします。
そんな二人は江戸で再会して、喜多さんは弥次さんの家に転がり込んで居候(同棲)を始めます。
しかし、ある借金だらけになって江戸にいられなくなり、ほとぼりが冷めるまで二人一緒に江戸を脱出して伊勢参りの旅に出たのです。
道中のエピソード自体に男色の描写は出てきませんが、当時の読者たちは「ああ、なるほど。そういう関係の二人連れね」と自然に受け入れて読んでいたのです。
裏ビジネス「陰間茶屋(かげまちゃや)」
喜多さんが働いていたような場所は、表向きの歌舞伎が禁止された後にアンダーグラウンドへ潜り、「陰間茶屋(かげまちゃや)」として定着しました。
※上方(大阪・京都)では「若衆茶屋」と呼ばれました。
これは一見すると普通の料理屋や居酒屋ですが、客の要望に応じて「若衆(陰間)」を呼び出し、別の場所で楽しむというシステムでした。
客層は「老若男女」問わず
陰間茶屋を利用したのは、男性だけではありませんでした。
- 女性に飽きた男性: 武士や町人
- 女性を知らない僧侶: 女犯(にょぼん)禁止の坊さんたち
- 女性客: 奥座敷の御殿女中や、夫を亡くした未亡人
驚くべきことに、女性客も美少年を買っていたのです。 1764年頃には、平賀源内が男色ガイドブックを出すほど、陰間茶屋は文化として定着していました。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
「前髪」があるうちが華?
江戸の男色文化において、重要なのは「前髪」でした。 元服して前髪を剃り落としてしまうと、もう「若衆」としては扱われません。
そのため、売れっ子の陰間たちは、年齢をごまかして元服を遅らせ、必死に前髪をキープしていたそうです。
いつの時代も、アイドルの賞味期限はシビアだったようですね。
まとめ|禁止しきれない江戸の情熱
幕府が何度「風紀が乱れる!」と禁止しても、名前や形を変えて生き残った男色文化。
弥次さん喜多さんのようなコンビが国民的ベストセラーになるほど、当時の人々にとって「男同士の恋愛」は、身近で受け入れられる存在だったのかもしれません。
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