江戸時代の長い歴史の1640年から1644年の出来ごとをざっくりと書いています。細かい出来事は省いています。大きな争いのなかった時代なので400年以上前の江戸の記録が残っています。
(江戸)
⇒江戸や幕府関連の出来事
(甲斐)
⇒甲斐あたりで起きた出来事
江戸時代1640年(寛永17年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)
【老中】
松平信綱(1632年 – 1662年)
阿部忠秋(1633年 – 1666年)
堀田正盛(1635年 – 1651年4月20日殉死)
阿部重次(1638年 – 1651年4月20日殉死)
■ 1月
13日(江戸)
幕府が旗本に倹約令を出す。
(下総)
下総国関宿から武蔵国金杉までの水路の着手
■ 2月
■ 3月
■ 4月
5日(江戸)
江戸城本丸が再建され、将軍家光が西の丸から本丸へ移る。
■ 5月
■ 6月
日付不明 (江戸)
幕府が江戸の髪結床に鑑札を渡す。
12日 (江戸)
幕府が宗門改役を設置した。
26日 (江戸)
御家騒動の責任から播磨国山崎藩主池田輝澄と高松藩主生駒高俊が改易される。
13日(蝦夷)
松前内浦岳噴火が起きる。
16日(長崎)
ホルトガル船が通称再開を求めて来航するが船を破壊して乗員を殺す。
■ 7月
■ 8月
■ 9月
26日(肥前)
平戸オランダ商館の西暦が書かれた倉庫を破壊
■ 10月
■ 11月
■ 12月
1日 (江戸)
四谷から出火して数百町が燃える。
22日 (江戸)
幕府が長州藩など7藩に新銭鋳造中止を命じた。
日付不明
(江戸)
品川でキリシタン70名前後が処刑される。
(若狭)
小浜藩で村惣代が年貢の引き上げに反対する。(松木長操騒動)
■□ 江戸時代1641年(寛永18年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)
【老中】
松平信綱(1632年 – 1662年)
阿部忠秋(1633年 – 1666年)
堀田正盛(1635年 – 1651年4月20日殉死)
阿部重次(1638年 – 1651年4月20日殉死)
■ 1月
(江戸)
泉岳寺が桜田から芝高輪へ移転する。
29日 (江戸)
京橋桶町から出火、1924軒が類焼(桶町火事)
■ 2月
7日 (江戸)
「寛永諸家系図伝」を編纂を始める。
8日 (江戸)
福岡藩主黒田忠之がポルトガル船の来航の対策のため参勤を停止する。
■ 3月
15日(陸奥)
会津藩家臣堀主水と藩主加藤明成の係争を幕府に提訴する。(会津騒動)
17日(肥後)
熊本藩細川忠利が56歳で死亡、家臣19名が殉死した。
(※殉死 主君のあとを追って自殺すること)
■ 4月
■ 5月
10日 (江戸)
幕府が他領に永年住む者の人返しを禁止する
17日(長崎)
平戸のオランダ商館が長崎の出島へ移転する。
■ 6月
2日(出羽)
米沢藩、寛永御条目制定する。
■ 7月
5日 (江戸)
オランダ船の白糸に糸割符を適用する。
■ 8月
20日 (江戸)
幕府が風俗踊り、奢侈(どの超えた贅沢)を禁止した。
■ 9月
(江戸)
洋書の輸入の禁止、医療・天文・航海は例外とした。
■ 10月
■ 11月
■ 12月
日付不明
春 (江戸)
木場(貯木場)が日本橋から深川に移転される。
(江戸)
江戸川を開削(かいさく)する
(備前)
岡山藩の藩主、池田光政が花畠教場(はなばたけきょうじょう)を建てる。
※花畠教場は岡山城下に建てられた学校
(伊勢・伊賀)
前年の凶作の影響で自殺者が多数でるために、津藩は自殺者が出た村の庄屋の処刑を布達する。
■□ 江戸時代1642年(寛永19年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)
【老中】
松平信綱(1632年 – 1662年)
阿部忠秋(1633年 – 1666年)
堀田正盛(1635年 – 1651年4月20日殉死)
阿部重次(1638年 – 1651年4月20日殉死)
■ 1月
■ 2月
1日(陸奥)
幕府に仙台藩が奥州潜伏しているキリシタンの調査を命じられる
■ 3月
(江戸)
京橋に狂言座「山村座」を開設する。
26日 (江戸)
幕府が佐賀藩に長崎警固番(けいごばん)を命じる。
■ 4月
■ 5月
(江戸)
幕府が諸国に巡見使を派遣する。
代官や旗本に飢饉のための対策を命じる。
農村での酒造の禁止をする。
9日 (江戸)
幕府が譜代大名に参勤交代を命じる。
22日 (江戸)
幕府が米価格の上昇で私欲をたくわえた浅草蔵奉行たち65名が処罰される。
24日 (江戸)
幕府が直轄領・私領に本田畑でのタバコの栽培を禁止、衣食住に関する制限の法令をだす。
18日(京都)
下京で火事がおき900以上の戸が焼失する。
■ 6月
■ 7月
■ 8月
■ 9月
■ 10月
■ 11月
■ 12月
日付不明
(京都・書籍)
作者不詳の仮名草子「あづま物語」が)京都で刊行される。
これ以降「吉原細見」が発行されるようになる。
秋(常陸・書籍)
随筆風仮名草子である可笑記(かしょうき)が刊行される。
作者『斎藤親盛』筆名『如儡子(にょらいし)』
(長崎)
町中に点在している遊女屋を丸山町・寄合町に移し遊廓とする。
(諸国)
『寛永の大飢饉』
前年度の凶作で飢饉がおきる。
(陸奥)
会津藩から多くの百姓が凶作の為に逃散(ちょうさん)
■□ 江戸時代1643年(寛永20年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)
【老中】
松平信綱(1632年 – 1662年)
阿部忠秋(1633年 – 1666年)
堀田正盛(1635年 – 1651年4月20日殉死)
阿部重次(1638年 – 1651年4月20日殉死)
■ 1月
■ 2月
21日(肥後)
熊本藩が阿部一族の反乱を平定する。
■ 3月
11日 (江戸)
幕府が田畑永代売買禁止令を発布する。
(常陸 ひたち)
水戸藩が田畑永代売買の禁止令を行わない。
■ 4月
■ 5月
2日 (江戸・幕府)
会津騒動の責任として、会津藩主・加藤明成を改易する。
29日(越後)
幕府の命により、長岡藩が新潟河口に洲崎番所を設置させる。
外国船来航やキリシタンを監視する。
■ 6月
23日 (江戸)
幕府は南部藩に通訳として歩行目付(かちめつけ)を派遣する。
15日(陸奥)
「ブレスケンス号事件」
南部藩にオランダ船が漂着する。
■ 7月
4日 (江戸)
幕府が保科正之(ほしなまさゆき)を会津に転封(てんぽう)を命じる。
■ 8月
(江戸)
幕府が諸藩の登城の順を定めた。
(江戸)
幕府がの女芸を禁止する。
1624年から1643年までの間に徐々に厳しくなった。
8日 (江戸)
幕府が五番方の新番を設置する。
(※五番方 大番、書院番、花畠番(小姓組)、新番、小十人組諸番衆の総称。)
15日頃(江戸)
深川富岡八幡宮祭礼が始める。
(深川八幡祭・水掛け祭)
神田祭、山王祭と並んで江戸三大祭と呼ばれるようになる。
■ 9月
14日 (江戸)
春日局が65歳で死亡する。
27日 (江戸)
幕府が大名火事番が編成される。
大名16家、4組から成る火消し。
■ 10月
2日(江戸)
天海が死亡する。(享年は不明)
(出羽)
幕府の命で、秋田藩に外国船監視の番所を置く。
3日(京都)
後光明天皇践祚(せんそ)
(※践祚 天皇の地位をうけつぐこと)
■ 11月
11日(江戸) 寛永20年(1643年12月21日)
幕府が不行跡(ふぎょうせき)により、良純法親王(りょうじゅんほっしんのう)を甲斐国天目山に配流する。
(※不行跡 身持ちがよくないこと)
■ 12月
日付不明
(江戸・幕府)
幕府がオランダ商館長にに海外の情報を提出させる。
『オランダ風説書』が
(陸奥)
会津藩が領内に民政18か条を法令を定める。
(蝦夷)
「ヘナウケの乱」
蝦夷西部でのアイヌの反乱を松前藩が制圧する。
江戸時代1644年(寛永20年 – 正保1年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】明正天皇(1629年 – 1643年)-後光明天皇(1643年11月14日-1654年10月30日)
【老中】
松平信綱(1632年 – 1662年)
阿部忠秋(1633年 – 1666年)
堀田正盛(1635年 – 1651年4月20日殉死)
阿部重次(1638年 – 1651年4月20日殉死)
■ 1月
18日(陸奥)
白河藩が百姓統制令を出す。
■ 2月
■ 3月
(江戸・幕府)
糸割符を江戸・京都・大阪(堺)・長崎の商人に与える。
12日(江戸)
三浦浄心が80歳で死亡
■ 4月
(陸奥)
盛岡藩が灣岸警備を厳しくする。
■ 5月
10日(江戸)
幕府が不正をしてた大奥女中と銀座年寄・平野平左衛門を処罰する。
20日(土佐)
土佐藩が遠見の番所を重要な海岸に置く。
■ 6月
(出羽)
米沢藩でキリシタンの取締令を出す。
■ 7月
(京都)
東寺・五重塔を再建する。
■ 8月
■ 9月
■ 10月
■ 11月
■ 12月
16日(江戸・幕府)
後光明天皇が即位のため元号が寛永から正保へと変わる。
25日(江戸)
幕府が諸大名に郷帳を国単位で作らせる。
「正保郷帳」
日付不明
(幕府)
明国からの援兵要請を幕府が拒否する。
(讃岐)
『高松水道』
高松藩の城下に水道を敷設する。
(土佐)
土佐藩、百人衆郷士を取り立てる。
(※郷士 武士の身分のまま農業に従事した者、武士の待遇を受けていた農民)