江戸時代は徳川幕府で統一され、戦争はなくなりました。平和になったことから藩ごとの交流や取引が広がります。そしてなによりも参勤交代によって多くの武士と大名が定期的に藩から江戸(東京)の大人数で移動するために、昔からある大きな街道のより整備されていきました。


■ 江戸時代の最もおおきな五街道
・東海道(江戸から静岡経由の京都)
・中山道(江戸から内陸経由の京都)
・奥州街道(江戸から白河)
・甲州街道(江戸から甲斐国(山梨))
・日光道(江戸から日光東照宮(栃木))


万治2年(1659年)から幕府の道中奉行の五街道とその付属街道として主要街道を管轄していた。五街道に関わる道以外の脇街道などは勘定奉行が管轄していた。脇街道の整備はその道の付近の藩主が整備をすることとなっていた。

□ 江戸幕府の道路の政策
・宿場や並木に松や榎樹を植える。
・一里塚の設置。
・各駅の駄賃を定めた。
・寛永10年に伝馬、継飛脚の制。
・各宿駅に人夫100人、馬100匹を常備。


幕府の政策で五街道はさまざまなインフラが整いましたが、五街道をこうしたいんだとは政策を出すけれども、整備をしたのは宿場や近隣の村々の人たちに割り当てられその区間を掃除丁場として整備を命じられました。

ほかにも、加賀藩には参勤交代の街道(脇街道)の整備、管理をする「道番人」という制度を設けました。1665年5月より道番人を1里ごとに2人置き、街道の掃き掃除、砂入れ、水落とし、雪割、並木の手入れ仕事としていました。道番人には居屋敷50坪と給銀70目が与えられていました。