夏には今も昔も困るのは蚊の存在だろう。

今では窓を開けることもなくクーラーを使って部屋を涼しくする人が大多数だと思われますが、夕方などには熱くない時間帯には窓を開けて涼をとる人もいるのではないだろうか。そんな時に便利な存在が網戸だ。それでもなぜか虫の入ってこない網を潜り抜けて部屋へと入ってくる蚊がいる。そんな時は1890年に誕生した蚊取り線香の出番である。

宮川春汀 1897 蚊遣り
宮川春汀 1897 蚊遣り

除虫菊から作られた蚊取り線香は長い時間、蚊を遠ざける力がある。クーラーや蚊取り線香が出てきたのは明治時代以降の話であってそれ以前の江戸時代どうしていたかといえば煙と網が利用されていました。

煙というのは蚊遣りと呼ばれる植物やカヤの木を燃やしてその煙で蚊を追い払うという手段として蚊遣りであり、網というのは蚊帳と呼ばれるネットをつるしてその中で寝ることで蚊が入ってこない空間を作ることで蚊にかまれないようにした。

たまに言われる蚊帳の外とは蚊帳の中では蚊に刺されないが、蚊帳の外だと蚊にさされて不利益な状態だったり、蚊帳の中の話が外まで届かないことから、話の外側にいることを例えとして使われてします。


江戸の街は蚊遣りと蚊帳が利用された。

江戸の街などの大都市になると、どうしても水路を利用しているために水場が近くになるためにどうしても蚊が沢山繁殖してしまいます。夏時期になると蚊が沢山いるという環境で生活する人たちには欠かせないモノでした。

蚊遣りの歴史は古く7世紀ごろに作られた万葉集の中でも”蚊火(かび)””蚊いぶし”といった名前で登場します。それから1800年後半まで蚊遣りは使い続けられました。

江戸の街では夏になると蚊遣りや蚊帳を街中を売り歩いている商人が歩き、江戸の人々はカヤの木やヨモギなどの植物を使って蚊を追い払い、蚊帳の中で蚊に刺されず眠りました。

蚊遣りも蚊帳もどちらも店で売るというよ入りも、街の中を売り歩いていました。

喜多川歌麿 蚊帳
喜多川歌麿 蚊帳

「もえぎ~~のかーや~~~~~」

特に蚊帳売りはとても良い声の呼び声を出していたようです。
「蚊帳売も山鳥のオの声自慢」
「蚊帳売はめりやす程な節を附け」
「よばれたと見えてみじかい蚊帳の声」

山鳥の声と比較やよび声はめりやすといわれる江戸長唄のような良さ、呼び声の余韻といったものがほめられていました。

蚊帳売りが良い声の人夫が選ばれよび声の訓練してから、天秤棒に蚊帳を担って街中に売りき「萌黄のか~や~~」という呼び声が街中に響きました。良い声の蚊帳売りで商売をやっていたのは江戸に出店を構えていた近江商人たちでした。


蚊帳売りの売り声の良さには売り物の一つといわれるほどにこだわりがあったようです。話によれば1710年(宝永7年)ごろ、大阪に天満喜美太夫という大変声のよい説経節(せっきょうぶし)の名人がいましたが、大阪でしくじり江戸に逃げました。

江戸での生活に困ったために呉服屋の蚊帳を売り歩く人夫として雇われ、名人といわれるほどの良い声で蚊帳の売り声に節をつけて売り歩くと呼ぶように蚊帳が売れるようになったことから蚊帳売りはよい声の人夫が選ばれるようになったという話があります。


蚊遣りの文化は蚊取り線香へと置き換わっていきましたが、昭和の後半になり網戸が普及されるまで日本ではよく利用されていました。蚊帳は日本では見なくなりましたが、アフリカや東南アジアでは国連やWHOなどが普及に取り組んでいます。