今や高級食材の代名詞、マグロ。
お正月の初競りでは一匹数億円の値がつくこともある、まさに「海のダイヤ」です。
しかし江戸時代、マグロは「下魚(げざかな)」と呼ばれ、庶民でさえ見向きもしない不人気な魚だったことをご存知でしょうか?
今回は、そんな捨てられていたマグロを美味しく食べるために生まれた庶民の知恵、「ねぎま鍋」の歴史と、焼き鳥の「ねぎま」との意外な関係を紹介します。
江戸時代のマグロは「畑の肥料」だった?
現代では一匹数百万円〜数千万円もするマグロですが、江戸時代の価値は驚くほど低いものでした。
記録によると、大きなマグロ一匹が今の価格で2000円〜3000円程度。現代では考えられない激安価格です。

なぜ「トロ」は人気がなかったのか?
特に人気がなかったのが、今では大人気の「トロ(脂身)」の部分です。
理由は大きく分けて2つありました。
- 冷蔵技術がなかった
脂の多いトロは、赤身に比べて傷むのが非常に早い部位です。
港から江戸の魚河岸に運ばれるまでに鮮度が落ち、強烈な臭みが出てしまいました。 - 醤油漬け(ヅケ)にできなかった
江戸前寿司の技術である「醤油漬け(ヅケ)」は、保存性を高める重要な技術でした。
しかし、トロは脂が多すぎて醤油を弾いてしまい、味が染み込まず保存もできませんでした。
そのため、赤身だけは食べられましたが、トロの部分は「味が悪く腐りやすい」として廃棄され、なんと畑の肥料として利用されていたのです。
捨てられるトロを救った「ねぎま鍋」

「安いし栄養はあるのに、捨てるのはもったいない」。
そう考えた江戸の庶民が編み出したのが、「煮て食べる」という方法でした。
醤油と酒で濃い味付けにして煮込めば、保存も効き、生臭さも気になりません。
そこで相棒として選ばれたのが「ネギ」です。
ネギには魚の臭みを消す効果があり、マグロの脂が溶け出した煮汁をネギが吸うことで、トロトロの絶品料理に早変わりします。
これが「ねぎま鍋(ネギとマグロの鍋)」の誕生です。
捨てられていた食材を、知恵と工夫でご馳走に変える。まさに江戸庶民の「もったいない精神」が生んだ料理といえます。
焼き鳥の「ねぎま」はマグロの名残

居酒屋で定番の焼き鳥メニュー「ねぎま」。
鶏肉とネギが交互に刺さっているのに、なぜ「ねぎ“ま”」と呼ぶのか不思議に思ったことはありませんか?
実はこれ、「ねぎまぐろ」の略称なのです。
もともとは、鍋だけでなく串焼きでも「マグロとネギ」を交互に刺して食べていました。
しかし明治・大正以降、冷蔵技術の発達とともにマグロの価格が高騰。庶民の手には届かない高級魚になってしまいました。
そこで、マグロの代わりに安価な「鶏肉」を使うようになりましたが、呼び名だけは愛着のある「ねぎま」がそのまま残ったのです。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
江戸時代、マグロは別名「猫またぎ」と呼ばれていました。
「魚好きな猫でさえ、不味くてまたいで通る(素通りする)」という意味です。
最近の研究では、本来ネコは遺伝子レベルでマグロ(うま味)を好むことが分かっています。
(参考:GIGAZINE「1万年前に砂漠で生まれたネコがなぜマグロを好むのか?」)
つまり、「科学的にマグロが大好きなはずの猫でさえ無視した」ということ。
当時のマグロ(特にトロ)がいかに腐りやすく、臭いが強烈だったかがよく分かるエピソードですね。
まとめ
今では高級魚のトロも、江戸時代は肥料扱いの不人気食材でした。
しかし、そんな「下魚」を美味しく食べるための工夫が、現代にも残る「ねぎま鍋」や焼き鳥の「ねぎま」という名前に受け継がれています。
焼き鳥屋さんでねぎまを注文するときは、かつてそこにあったマグロの歴史を思い出してみてください。
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