お祭りの屋台から漂ってくる、焼きトウモロコシの香ばしい匂い。
日本人なら誰もが食欲をそそられる香りですが、実はこの光景、江戸時代から続く日本の夏の風物詩でした。

しかし、当時のトウモロコシは、私たちが食べているものとは少し違っていたようです。
今回は、江戸っ子が愛した「昔の焼きトウモロコシ」の味と、意外な歴史について紹介します。

吉原や花見で大人気! 江戸の「焼きトウモロコシ」

トウモロコシが日本に入ってきたのは、戦国時代の1579年(天正7年)。
ポルトガル人によって長崎に持ち込まれたと言われています。

最初は四国や九州の山間部で、お米の代わりとなる貴重な食料として広まりましたが、江戸時代になると都市部でも「おやつ」として人気が出始めました。

特に賑わったのが、屋台での販売です。

  • 春の花見シーズン: 上野や飛鳥山などの花見客に向けて。
  • 吉原遊郭: 遊女や客への夜食やお土産として。

職人が炭火でじっくりと焼き上げるトウモロコシは、小腹を満たすのにぴったりのファストフードだったのです。

焼きトウモロコシのイメージ
香ばしい匂いは、いつの時代も食欲をそそります。

昔のトウモロコシは「硬かった」?

現代の屋台で売られているのは、糖度が高くて柔らかい「スイートコーン」という品種です。
これは明治以降、品種改良によって生まれたものです。

では、江戸時代の人は何を食べていたのでしょうか?
当時主流だったのは、「フリントコーン(硬粒種)」と呼ばれる品種でした。

その名の通り、粒が硬いのが特徴です。
現代のように「噛んだ瞬間に甘い汁が弾ける」という感じではなく、「噛みごたえがあり、噛めば噛むほど穀物の素朴な甘みが出てくる」という味わいでした。

砂糖が高級品で、甘いお菓子が少なかった時代。
焼くことで引き出されるトウモロコシ本来のほのかな甘みは、庶民にとってたまらないご馳走だったのです。

醤油味? それとも塩味?

今の焼きトウモロコシといえば「醤油」の焦げた匂いが定番ですが、江戸時代はどうだったのでしょうか。

江戸後期には醤油が普及していたため、醤油をつけて焼くスタイルもあったと考えられます。
しかし、当時は素材そのものの味を楽しむため、あるいは醤油を節約するために、そのまま焼いたり、軽く塩を振ったりするだけの「素焼き」も多かったようです。

醤油の匂いというよりは、穀物が焼ける香ばしい匂いが、路地裏に漂っていたのでしょう。

「トウモロコシ」の名前の由来

トウモロコシには、地域によって様々な呼び方があります。

  • とうきび(唐黍): 最も一般的な呼び名。
  • ナンバ: 近畿地方などで使われる(南蛮黍の略)。
  • 高麗黍(こうらいきび)

これらに共通するのは、「唐(中国)」や「高麗(朝鮮)」、「南蛮(外国)」といった言葉がついていることです。

トウモロコシの原産地は中南米(メキシコ付近)ですが、日本に入ってきた当時は、「海外から来た新しいもの」にはとりあえず「唐」などの字を当てる習慣がありました。
「唐(外国)から来た、黍(きび)に似た植物」という意味で、「唐黍(とうきび)」や「トウモロコシ(唐+モロコシ)」と呼ばれるようになったのです。

💡 やさしい江戸案内の雑学メモ

① 江戸時代にも「ポップコーン」があった!?
当時は「はぜ」と呼ばれ、トウモロコシを炒って爆ぜさせ、砂糖をまぶして固めたお菓子として売られていました。
幕末の記録には、これを3色に色付けして売る「はぜ売り」の姿も描かれています。

② 赤いトウモロコシは「雷除け」
昔の農家では、軒先に「赤いトウモロコシ」を吊るす風習がありました。
これは「雷除け」のお守りです。
民俗学者の宮本常一氏によると、かつての山地では赤い品種も普通に栽培されていたそうです。
トウモロコシは食べるだけでなく、魔除けとしても人々の生活を支えていたんですね。

まとめ

江戸時代の焼きトウモロコシは、現代のものより硬く、甘さも控えめでした。
しかし、その噛みごたえと素朴な味こそが、当時の人々にとっては「季節の楽しみ」だったのです。

お祭りで焼きトウモロコシを見かけたら、遠い異国から旅をしてきて、江戸っ子たちを喜ばせたその歴史を思い出してみてください。

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参考文献