現代の日本でも、「仕事がキツすぎて辞めたい」「職場の人間関係が辛い」という悩みは尽きませんよね。
実は、江戸時代のエリート官僚である「町奉行」も、全く同じ悩みを抱えていました。
彼らの職場は、まさに「日本史上最も過酷なブラック職場」。
今回は、半年で辞める人もいたという町奉行の驚異の離職率と、その切実すぎる理由について解説します。
この記事の要点
- 町奉行の任期は短命!平均2〜4年で、半年で辞める人も
- 将軍が12代代わる間に、奉行は93人も入れ替わった
- 退職理由の多くは「過労」と「職場の人間関係(イジメ)」

将軍12人に対し、奉行は93人!?
テレビ時代劇でおなじみの大岡越前(在任19年)や、遠山の金さん(在任計10年)。
彼らは長期間活躍した名奉行として有名ですが、実は極めて稀な「例外」です。
実際の町奉行は、激務に耐えかねて、わずか2年〜4年程度で異動・退職するのが当たり前でした。
中には、就任してたった半年で辞めてしまった人もいます。
その入れ替わりの激しさは、数字を見れば一目瞭然です。
【3代将軍・家光から幕末までの約200年間】
- 将軍: 12名(家光〜慶喜)
- 北町奉行: 43名
- 南町奉行: 50名
将軍が1人代わる間に、町奉行は約8人も入れ替わっている計算になります。
いかにこの仕事が「続かない仕事」だったかが分かりますね。
なぜそんなに辞めてしまうのか?
町奉行が辞めていく理由は、大きく分けて2つありました。
1. シンプルに体が持たない(過労)
前回の記事でも紹介しましたが、町奉行は行政・司法・警察のトップを兼任する激務です。
しかも、「罪人への入牢申し渡し」や「大火事の陣頭指揮」など、「奉行本人がやらなければならない(他人に任せられない)仕事」が山のようにありました。
休む暇もなく働き続け、任期中に過労で亡くなる人も少なくなかったのです。
2. 現代と同じ?「職場の人間関係」
現代の退職理由ランキングでも常に上位に来るのが「人間関係」ですが、これは江戸時代も変わりません。
町奉行は「北」と「南」の2人がいますが、ここに「先輩・後輩」のややこしい関係が絡んできます。
市政のルールを決める際、北と南で違うお触れを出すわけにはいきません。
しかし、意見が割れた時はどうするのか?
基本的には「先輩奉行の顔を立てる」ことになります。
自分の意見が通らないストレスに加え、時には先輩奉行からの陰湿なイジメにより、「あいつには辞めてもらいたい」と追い出し工作をされることもありました。
異動するのではなく、「異動させられる(追い出される)」人もかなりいたようですね。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
「遠山の金さん」が辞めさせられた理由
名奉行・遠山景元(金さん)も、一度奉行職を罷免(クビ)になっています。
理由は、当時の老中・水野忠邦が行った「天保の改革(極端な倹約令)」に真っ向から反対したからです。
上司である老中の方針に逆らったため、「あいつは邪魔だ」と閑職に追いやられてしまったのです。
しかしその後、水野忠邦が失脚すると、遠山は町奉行(南町)として見事に返り咲きました。
実力と人望があれば、復活も可能だったのですね。
まとめ|いつの時代も中間管理職は辛い
江戸の治安を守るヒーロー、町奉行。
しかしその実態は、終わらない仕事に忙殺され、上司(老中)と先輩(相役)の顔色を伺いながら働く、悲哀に満ちた中間管理職でした。
200年前のエリートたちが少し身近に感じられませんか?
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参考文献








