現代では、値上げや健康増進法によって、肩身が狭くなっている「タバコ」。
実は江戸時代にも、何度も厳しい「禁煙令(タバコ禁止令)」が出されていました。
しかしその理由は、健康のためではありません。
なんと、「タバコを吸うと死刑」になるケースさえあったのです。
今回は、現代よりもはるかに命がけだった、江戸のタバコ事情について解説します。
この記事の要点
- タバコは最初「万能薬」として家康に献上された
- 禁止の理由は「米不足」「火事」「不良の武器になる」から
- 薩摩藩や松平信綱は、違反者を「死罪」にするほど厳しかった

家康も興味津々?最初は「薬」だった
日本にタバコが伝わったのは1601年。
スペインの修道士が、伏見城の徳川家康へ献上品として持ち込んだのが記録に残っています。
当時のタバコは、嗜好品ではなく「薬草」という扱いでした。
- 止血や消毒に効く
- 排尿を促進する
- ヨーロッパではペスト予防にも使われた
健康オタクで、自分で薬を調合するほどだった家康は、この「未知の薬」に大変興味を示し、種子や効能について詳しく尋ねたと言われています。
当初は高価な輸入品でしたが、国内の金の流出に危機感をいだき、種を手に入れて日本国内で栽培が始まります。その中毒性もあって庶民の間に爆発的に広まりました。
なぜ幕府は禁止したのか? 3つの理由
しかし、あまりの流行りっぷりに、幕府にとって都合の悪い問題が起き始めます。
1609年(慶長14年)に最初の禁止令が出されますが、その主な理由は以下の3つでした。
1. 米を作らずタバコを作る(税収減)
農民たちが、「米を作るよりタバコを作ったほうが儲かる!」と気づいてしまったのです。
江戸時代の税金(年貢)は「米」が基本。
畑がタバコだらけになって米が取れなくなると、幕府や藩の収入が激減してしまいます。
2. 木造家屋には危険すぎる(火事)
紙巻きタバコと違い、キセルの火種はすぐに燃え尽きますが、それでも火事の原因になりました。
「火事と喧嘩は江戸の華」と言われるほど燃えやすい木造都市・江戸。
乾燥する冬場に、タバコの不始末で火事を起こされるのは、幕府にとって大きな損失でした。
3. 不良たちの「凶器」になった(治安悪化)
そして一番の驚きの理由がこれです。
当時、「傾奇者(かぶきもの)」と呼ばれたヤクザな連中や、仕事にあぶれた下級武士たちが、町中で暴れる事件が多発していました。
彼らが武器として目をつけたのが、「長さ1メートル近い巨大キセル」です。

刀を抜くと大問題になりますが、「これは喫煙具だ」と言い張れば持ち歩くことができます。
彼らは金属製の頑丈な長キセルを振り回し、喧嘩の道具(実質的な鉄パイプ)として使用したため、治安維持のために規制が必要になったのです。
「吸ったら死刑」の厳しい藩も
たび重なる禁止令や罰金刑も効果がなく、ついに極刑をもって取り締まるケースも出てきました。
海外通の「薩摩藩」は死罪
海外との交易が盛んだった薩摩藩(鹿児島)では、いち早くタバコが広まっていました。
そのため取り締まりも強烈で、藩の禁令を破ってタバコを吸った者には、死罪を含む厳しい処罰が与えられました。
畳を焦がして「斬首」
また、「知恵伊豆」と呼ばれた幕府の老中・松平信綱(まつだいら のぶつな)も厳格でした。
ある時、家来がタバコの火を落として畳を焦がしてしまいました。
すると信綱は、その家来を即座に斬首(首切り)の刑に処しました。
さらに、その様子(首切りの絵と、焦げた畳)を屋敷内に貼り出し、「タバコで失敗するとこうなるぞ」と見せしめにしたのです。
これには震え上がり、彼の屋敷でタバコを吸う者はいなくなったそうです。
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結局、禁止令はどうなった?
厳罰化しても、農民はタバコを作り続け、庶民は隠れて吸い続けました。
「これはもう止められない」と悟った幕府は、1651年頃にはあきらめムードに。
最終的には「禁止するより税金をかけたほうが儲かる」という方針に転換し、タバコは江戸の文化として定着していったのです。
まとめ|命がけでも吸いたかった?
「米より儲かるから」という農民の事情と、「カッコいいから(武器になるから)」という不良の事情。
現代とは違う理由で禁止され、死刑のリスクを負ってまで愛されたタバコ。
江戸の人々の執念深さと、幕府の苦労が偲ばれますね。
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参考文献







