自由経済をすることが世界には重要なことだと言っていたのは少し前、気づけばアメリカが中国の製品を購入しないといったことがおきるようになりました。
世界中の経済学の先生方は自由な経済が発展を促すと言ってはいるのですが世界中では富の偏りが問題視され自由経済を否定して自国だけで完結するような状態になってきています。
とはいえ、経済学は基本的には跡付けで経済の動きを語っているので実際に経済を不自由にしたほうがうまく回る可能性もあるので本当は何が良いのか悪いのかは分かりません。
さて、江戸時代での商売の考えはどうだったのでしょうか。
江戸の初期の経済は江戸の町の人口が加速度的に増えていることもあり、各地から人々が移住してきては自由に商売を始めることができました。
しかし、歳月が流れていくと江戸に住む人工と商売の比率が崩れてきます。
例えば100人が2つの饅頭屋から購入していれば2つのお店は50個づつ購入され商売を続けることができました。
このバランスが100人が50つの饅頭屋から購入するようになると50のお店は2つしか売れず商売を続けていくことができません。
早い話がお店が増え過ぎました。
これでは自分たちの商売がうまく行かないと考えた商人たちは同じ商売が増えるのを防ぐために商人たちの仲間同士で手を取り合い『株仲間』という組織を作ります。
『株仲間』という組織は同じ商売をするための営業権を独占します。組織は商売の独占と物の値段の価格の制限しました。
そして株仲間の決めた営業権を持たないものや株仲間で決めた価格で商品を取り扱っていない者たちを取り締まっていきました。
ちなみにそんな株仲間が今でも残っているのが相撲の親方です。親方になるには親方株を購入しないとなることができない仕組みになっています。
さて、この株仲間は商人たちの強大な利権として力を持つようになります。そのため幕府からは何度か解散の御触れが出されています。
幕府は株仲間のあつまり良くないな新しい人が商売を始める入口を狭めてる原因はお前たちだから解散しろ!!と言っているわけです。
大きくなる江戸の経済の安定にも一役買っているとの認識から『享保の改革』のときに八代将軍吉宗から株仲間を作ることが認められます。
株仲間という特権の代わりに幕府は冥加金(みょうがきん)・運上金(うんじょうきん)という上納金が要求されるようになりました。
江戸も安定してきて税を取る場所見当たらないなと思っていたらあの株仲間システムあれ使って税とってやろ!!と幕府は考えて今度は株仲間を幕府で公認する代わりに金を出せといいだしました。
さらにさらに、田沼意次の時代ではこの冥加金を釣り上げて幕府の収益を増やそうとしますが、それが原因で賄賂が横行するようになり田沼は失脚してしまいます。
もちろんそんなことをすれば釣り上げられた冥加金のしわ寄せは庶民に回ってきます。冥加金分の価格が商品の上乗せされることで物価が跳ね上がり、庶民は苦しむのですが株仲間で商品の価格の談合をして決めているのでどこも同じように高くなります。
そういった経緯から水野忠邦の『天保の改革』では株仲間の解散を命じられます。
しかし、これによって経済により大きな影響が出てしまい、更なる物価高騰が招かれてしまいます。水野忠邦がいなくなった後は幕府はまた株仲間を作ることを許可するのでした。
株仲間の組織はその後、1872年(明治5年)まで存続しました。