歌川国貞「髪結新七 中村歌右衛門」1839_0000
歌川国貞「髪結新七 中村歌右衛門」1839年

落語で「厩火事(うまやかじ)」という演目がある。この落語は髪結いの仕事で生計を立てているお崎とその稼いだ金で昼間から遊び酒を飲んでる旦那とついつい口喧嘩になることから仲人をしてくれた人のところへ旦那の心持ちを知りたいと相談を持ちかける話。

ここで注目すべきは旦那が昼間から酒を飲んでいても生きていけるだけの稼ぎが女性のお崎にあることだ。

彼女の仕事は『回り髪結』と呼ばれる道具を持って契約している大店や町屋など定期的にまわりそこで髪を結っている。そこでは5,6日ごとに1回、訪れては大店の亭主や奉公人の髪の結っていた。

普通の髪結いの費用として1回が28文ほどで現代の価格で600円前後であるが、『回り髪結』の場合は契約なので1ヶ月で店の亭主などは100文ほど、奉公人はその半分の50文ではあった。『回り髪結』のよいところは契約することで固定の客を相手にするために多少安くても決まった額の収入が入ってくることで多少、髪結をするに人数が増えても損ではなかった。

さらに契約をしていると3食のご飯が付いたりする場合もあり、気に入られていると芝居見物や料亭での接待なども受けることがあった。

髪結いの仕事をするには

髪結いの仕事は江戸中期頃より盛んになって男性・女性ともに仕事をしていた。

仕事の形態として3種類ある。
内床』自宅をお店にしている
『出床』路地で商売をおこなう

『回り髪結』契約しているお得意様を回る

『内床』はとても朝が早く、仕事に行く前に江戸の人たちが髪の毛を整えてから行くために日の上がらない内から仕事を始める必要があった。また、4,5日に1回は必ず髪の毛を整えるために人がよく集まることから多くの噂話が飛び交っていた。

「崇徳院」と呼ばれる落語では若旦那が一目惚れした人の噂を聞くために訪れ、「浮世床(うきよどこ)」では床屋の奥の座敷で将棋をやりながら自分の番を待っていたりします。


『出床』は路地にお店を出して行います。江戸では火事が多いために至るところに火除のための何も立てていない広場があり、そういった場所で商売をしていました。


『回り髪結』は契約をしているお得意様のところを回る商売。


基本的には1人、現代のお金で600円程度で髪の毛を結なおしていました。作業としては月代(さかやき)と鬚を剃り、髪を梳いて髷を編み上げます。

※月代はちょんまげの前頭部の剃り上げている場所

実はこの仕事は幕府の登録制となっていましたが、『内床』や『回り髪結』ならまだしも『出床』などは登録をせずに商売をしているものが少なくはありませんでした。

髪結いは技量は必要でしたがそれほど1人に時間のかかる作業ではないために30人もやれば18000円ほど稼げました。江戸時代の職人で給料の高い大工も1日13000円前後でしたので、仕事のできる髪結いは本当に稼いでいました。


おまけ

月代は戦国時代に戦争に行く人たちが兜をかぶると頭が熱くてむせるために額髪まで剃り込んでいた風習が、平和な時代になった江戸時代頃には一般化していました。
とはいえ、江戸時代でもすべての人が月代を剃っていたかといえばそうでもなかったようです。