江戸時代でも砂糖は高価なものでしたが八代将軍徳川吉宗によって甘薯から砂糖を精製することで砂糖の庶民でも手の届く価格に引き下げることに成功して砂糖を使った食べ物がより普及をしていきます。
そんな時代、飴売りはライバルたちにどう差別化を図るかとして考えられたのが奇抜な格好や歌や踊りをしてパフォーマンスをすることで客の目を集めていたと考えられています。
飴を売るためならパフォーマンスだってやる
今でこそ、飴は150円もあれば袋で購入することが安くて甘いお菓子です。昔は砂糖がとても高価なものでした。
飴の歴史は古く、平安時代には神事や仏事に使用されており、嗜好品ではありませんでした。それから室町時代ごろになると商人が飴を売り出すようになり庶民にも普及します。
江戸時代になると飴の種類も増え、水飴や固飴、胡麻飴などが販売されるようになりました。
飴を売る行商人は男も女もおり、人目を引くためにただ売るだけではありませんでした。
唐人の恰好をして踊りを踊って売る者、女装姿で芸をする者、歌や踊りをしながら売り歩く人々がいました。
普段からもそういった売り子は居たかもしれませんが、記録に残っていることから、神社などの祭りなどの時にかなり多くの飴売りがいたのではないかと考えられます。
唐の文化として日本に入ってくる砂糖
砂糖が日本に入ってきたのは754年の鑑真和上が仏典とともにいくつもの唐文化の一つとして薬の一種として砂糖を日本に持ち込んだといわれています。
この時代の日本には甘味はほとんどなく、蔓性の植物であるアマチャヅルから採れる液を生成したものや渋柿などの甘みを甘味としていました。
当時の人々には砂糖のような直接的な甘みは衝撃的だったのではないでしょうか。
それから時代を経るごとに砂糖の輸入量が少しづつ増えていきました。江戸時代ごろには白砂糖、黒砂糖、氷砂糖と種類が増えていきましたが依然と高価な物でした。
貴重で高価な砂糖を安くしたい!
砂糖は江戸時代になっても変わらず高価なものでした。これは日本で作っておらず、外国からの輸入ということもあって白砂糖が100グラムが今の価格で3000円前後の価格でした。
庶民の生活ではなかなか気軽に楽しめる味ではなく、夏などに冷水売りという人々が薄い砂糖水を売って歩いているものを口にする程度でした。
この高価な砂糖を安くしたい日本に普及したいと考えたのが8代将軍である徳川吉宗です。吉宗は甘薯(サツマイモ)の栽培を奨励して甘薯から砂糖を精製する研究を行いました。
なかなかうまくいかない中で成功した物として有名なのが讃岐の『和三盆』です。
ちなみに和三盆は砂糖の3段階の等級のなかで一番上位にあるのが三盆と言われ次が上白、太白となっています。