1603年、徳川家康によって江戸幕府が開かれるまでには、織田信長、豊臣秀吉という二人の天下人による激動の時代がありました。

ここでは、信長が上洛した1568年から、関ヶ原の戦いを経て、家康が征夷大将軍となり江戸時代が始まるまでの流れを、重要な出来事に絞ってまとめました。

この記事の要点

  • 1573年:信長が足利義昭を追放し、室町幕府が滅亡
  • 1582年:本能寺の変で信長が倒れ、秀吉の時代へ
  • 1600年:関ヶ原の戦いで家康が勝利し、江戸幕府の開府へ
江戸城のイメージ
江戸城(イメージ)

信長・秀吉から家康へ|激動の歴史年表

【 1568年 】(永禄11年)

織田信長が足利義昭(あしかが よしあき)を奉じて入京。

【 1573年 】(天正元年)

信長が義昭を京から追放して室町幕府が終わりを告げる。
これにより約240年続いた室町時代が事実上の終焉を迎えました。

【 1582年 】(天正10年)

■6月21日(旧暦:6月2日) 本能寺の変
明智光秀が謀反を起こし本能寺にて、織田信長が自害する。
信長の嫡男で織田家当主・信忠は、宿泊していた妙覚寺から二条御新造に退いて戦ったが、最終的に自害している。
謀反の理由として様々な説があるが、一つとして明智が義昭のために行ったともいわれている。(出典:『大田牛一 信長公記』)

■6月4日~6日頃(正確な日時は不明) 中国大返し
羽柴秀吉が備中高松城の戦いの最中に、6月3日~4日の間に信長の死亡の知らせを受け、京へとわずか10日で取って返した。

【 1585年 】(天正13年)

■7月11日
秀吉が関白になる。

【 1590年 】(天正18年)

■12月25日
秀吉が太政大臣(だじょうだいじん)となる。

【 1592年 】(天正20年 / 文禄元年)

■4月12日
秀吉の命で朝鮮に出兵をおこなう。(文禄の役)
もともとの目的は中国(明)への侵攻だった。

【 1597年 】(慶長2年)

■秀吉により、再度朝鮮へ出兵を行う。(慶長の役)

【 1598年 】(慶長3年)

■9月18日(旧暦:8月18日)
豊臣秀吉が死亡する。
辞世の句:「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことも 夢のまた夢」

【 1600年 】(慶長5年)

■10月21日(旧暦:9月15日) 関ヶ原の戦い
西軍8万、東軍7万という日本を二分する大きな戦が行われるが、わずか1日で決着がつく。
徳川家康率いる東軍が勝利。

【 1601年 】(慶長6年)

■家康、譜代家臣たちを関東・東海の大名に封ずる。
■伏見に「銀座」を設置する。

【 1602年 】(慶長7年)

■家康、諸大名を普請役として二条城・伏見城の修築させる。

【 1603年 】(慶長8年)

■3月24日(旧暦:2月12日) 江戸幕府の始まり
家康が伏見城にて征夷大将軍となり、江戸に幕府を開く。


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江戸城江戸時代1603年(慶長8年)から1608年(慶長13年)の出来事家康が将軍になった1603年から、初期の江戸幕府の動きをまとめた続きの年表はこちらです。