江戸時代の人々が歯磨きをしていたかという問題ですが・・・
答えは
おこなっていました。
いきなりですが歯磨きの歴史を少しだけ振り返ってみましょう。歯磨きの歴史はわかる記録がのこっている範囲では、紀元前5000年前のバビロニアの人々が麻の布を使って歯を磨いていたそうです。それ以上前になると植物の葉や茎などを使って汚れを取っていたと考えられています。
日本ではといえば江戸時代に使用されていたは房楊枝(ふさようじ)といわれるものでした。形は爪楊枝のようなもので、尖っている部分と持ち手側には木の繊維をほぐして柔らかく房状にしたものが付いています。
これは元々はお釈迦様のでしたちが口腔を掃除するために用いた「歯木(しぼく)」が仏教とともに伝来して変化していったものでした。
それまでは日本最古の医療書『医心方(いしんぼう)』には塩を用いて指で歯を磨いていたと記されています。
塩を使うのは江戸時代前期では普通に使用されており、当時は赤穂の「花形塩」が歯磨きようの塩として人気でした。1625年頃には塩ではなく炭酸カルシウムを使用した歯磨き粉「房州砂」が使用されるようになりました。
「房州砂」は房総半島に産する良質な陶土で「白土」といわれている。
さらに歯を白くすることだけの「房州砂」では飽き足らず、香りを足すようになり歯磨き粉の値段は高級品は130文から安いものなら8文程度で物売りが売り歩いていました。
そんな歯磨き粉などが発展していく中、江戸の人たちは歯の白さに強いこだわりを持っていました。
江戸の粋という文化に歯の白さがあったのか、常にきれいにしようとよく磨いていたために歯が傷つき、逆にボロボロになってしまった人もいるほどでした。
白い歯へのこだわりは粋や見栄ということもあるが、それ以上に吉原の遊女と遊ぶときにモテる男の1つとして歯が白さがあったことも要因かもしれません。
男性は女性にモテるために歯の白さを芸能人のように求めていましたが、女性はといえば結婚もしくは18歳以後はお歯黒と呼ばれる化粧として歯を黒く塗るのですが口腔内の悪臭・虫歯・歯周病に予防効果があったこともあり、男性ほど歯磨きに熱中はしていなかったと考えられています。
おまけ
お歯黒は起源がわかっていないが古墳などからもその痕跡が見つかっている日本の伝統的な化粧法でした。元々は男性もしていましたが江戸時代には貴族以外には廃れていきます。
農村では特別なときにだけお歯黒をしていたといわれています。