葛飾北斎の『富嶽百景』二編には、廬山孝が書いた序文があります。
初編の序文では、富士山の高さと北斎の名声を重ねながら北斎を称賛していました。それに対して二編の序文で注目されているのは、富士山は一つの山でありながら、見る方向、時間、距離、季節、天候によって姿を次々と変えるというところです。
そして、その「百変する富士」を北斎が『富嶽百景』として描き出した、と結びます。まずは原文と現代語訳で全体の流れをつかみ、そのあと序文を書いた人物や古い言葉、文章に込められた意味を見ていきましょう。
廬山孝による『富嶽百景』二編の序文
富士之爲山也、其形若削玉、其色若磨銀。
無前無後、不峙不傾、八面玲瓏。
如芙蓉之出水、而高跨衆嶽之嶺。是其所以冠天下也。
若夫紅暾映而皎潔、夕陽落而蒼翠。
朝暮變其色、遠近異其望。
賦於春烟秋風、雲霞明滅、則其景百變矣。
北齋翁甞て圖百景、其精工真遍百變之妙。
觀此畫可見矣。
天保六乙未正月
廬山孝
序文の現代語訳
富士という山は、その形が削り出した玉のように整い、その色は磨き上げた銀のように輝いています。
どちらが前でどちらが後ろということもなく、一方だけがそびえたり傾いたりすることもありません。どの方向から眺めても、澄んで美しい姿を見せています。
その姿は、水の中からすっと現れた蓮の花のようでありながら、多くの山々の峰よりもはるかに高くそびえています。だからこそ、富士は天下第一の山なのです。
赤い朝日が差せば、白く清らかに輝き、夕日が沈むころには深い青緑の色を見せます。朝と夕方ではその色が変わり、近くから見るか遠くから見るかによっても、その姿は異なります。
さらに、春の霞や秋の風、現れては消える雲や霞によって、その景色は数えきれないほどさまざまに変化します。
北斎翁は、この富士を百景として描きました。その精妙な技は、まさに富士が見せるさまざまな変化の妙を余すところなく捉えています。
そのことは、この『富嶽百景』を見れば分かるでしょう。
天保6年(1835)正月
廬山孝
※原文の「賦於春烟秋風」は意味の取り方が難しい箇所です。ここでは前後の「朝暮」「遠近」「雲霞明滅」と同じく、春の霞や秋風などによって富士の見え方が変化することを述べた部分として訳しています。
※「其精工真遍百變之妙」の「真遍」も一般的な熟語としては取りにくいため、ここでは「真に百変の妙に遍し」、つまり北斎の精妙な表現が富士の多様な変化に広く行き渡っている、という意味に読んでいます。
江戸時代の序文は誰が書いた?
江戸時代の本では、作者本人だけでなく、同じ時代に活動していた学者、僧、戯作者、俳人など、作品や作者と関わりのある文化人が序文を寄せることがありました。
現代の書籍でいえば、序文や推薦文、帯に載る紹介文を合わせたような役割に、少し近いところがあります。作品の内容を紹介するとともに、「この作品にはどのような価値があるのか」「作者をどう評価しているのか」を読者に伝える文章でもありました。
ただし、江戸時代の序文では本名ではなく、雅号や別号などで署名されていることがあります。また、版本には書肆の屋号や堂号なども記されるため、当時の人には分かっても、現在では誰や何を指しているのか特定しにくい名前もあります。
『富嶽百景』二編の序文を書いた廬山孝も、その一人です。署名や印は残っていますが、現在確認できる資料からは、詳しい経歴や他の著作まで明らかにすることができません。
序文に登場する人物
廬山孝|二編の序文を書いた人物
廬山孝は、『富嶽百景』二編の序文を書いた人物です。序文の末尾には「廬山孝」とあり、「守静庵」「里井」という印も確認されています。
ただし、現在確認できる資料では、廬山孝の詳しい経歴や代表作などを確実に特定することができません。そのため、何者であったのかを推測で決めるのではなく、『富嶽百景』二編の序者として名前と印が残る人物として扱います。
葛飾北斎|富士の「百変」を描いた絵師
葛飾北斎(1760~1849)は、『冨嶽三十六景』『北斎漫画』などで知られる江戸時代後期の浮世絵師です。
『富嶽百景』では、富士そのものの形だけでなく、見る場所、人々の暮らし、天候、季節などを変えながら、一つの山をさまざまな姿で描きました。二編の序文では、まさにこの富士の変化を描き分ける北斎の表現が称賛されています。
原文に出てくる難しい言葉・古い言葉
二編の序文は漢文で書かれているため、初編以上に現在では使われない言葉が多く登場します。ここでは、文章を理解するために特に重要なものをまとめます。
削玉(さくぎょく)
削って形を整えた玉、つまり磨き上げられた美しい宝玉のことです。富士の形がなめらかで整っていることを表しています。
磨銀(まぎん)
磨き上げた銀のことです。富士の白く輝く姿を銀の光沢にたとえています。
無前無後(むぜんむご)
前も後ろもないということです。ここでは、富士には特定の「正面」だけがあるのではなく、どの方向から見ても姿が整っていることを表しています。
不峙不傾(ふじふけい)
「峙」はそびえ立つこと、「傾」は傾くことです。ここでは、一方向だけに険しくそびえたり、どちらかへ傾いたりせず、均整のとれた姿をしているという意味に読めます。
八面玲瓏(はちめんれいろう)
「玲瓏」は、玉のように美しく澄みきっている様子です。「八面」はすべての方向を表し、ここでは富士はどの方向から見ても美しく整っているという意味です。
芙蓉之出水(ふようのみずよりいずる)
水の中から蓮の花が現れる姿のことです。「芙蓉」はここでは蓮を指します。裾野から富士がすっと立ち上がる美しい姿を、水面から伸びる蓮の花にたとえています。
衆嶽(しゅうがく)
数多くの山々のことです。「高跨衆嶽之嶺」は、富士が多くの山々の峰を越えて高くそびえていることを表します。
冠天下(かんてんか)
天下で第一となる、ほかのすべてより優れているという意味です。ここでは富士を「天下第一の山」と称賛しています。
紅暾(こうとん)
赤く昇る朝日のことです。「暾」は昇る太陽を表す言葉です。
皎潔(こうけつ)
明るく白く、清らかに輝く様子です。朝日を受けた富士の白い姿を表しています。
蒼翠(そうすい)
深い青緑色のことです。夕方になると富士が朝とは違った色に見えることを表しています。
春烟(しゅんえん)
春の霞や、春にもやのかかった景色を表す言葉です。ここでの「烟」は、煙そのものというより、景色をぼんやり包む霞やもやに近い意味です。
雲霞・明滅(うんか・めいめつ)
「雲霞」は雲や霞、「明滅」は見えたり隠れたり、明るくなったり暗くなったりすることです。富士の周囲の雲や霞が絶えず変化する様子を表しています。
百變(ひゃくへん)
百通りに変わることですが、必ずしも正確に百種類という意味ではありません。ここでは、数えきれないほどさまざまに姿を変えることを表しています。
甞て(かつて)
「かつて」という意味です。現在では通常「嘗」や「曾」などの字を使います。
精工(せいこう)
非常に細かく巧みに作ること、また優れた技術や表現を意味します。ここでは北斎の細やかで優れた描写力を指しています。
真遍
原文では「其精工真遍百變之妙」と続きます。「真遍」を一つの熟語とするより、ここでは「真に百変の妙に遍し」と区切り、北斎の精妙な技が、富士のさまざまな変化を広く捉えているという意味に読んでいます。
乙未(きのとひつじ)
干支による年の表し方です。「天保六乙未」は天保6年(1835)を指します。
原文の解説
富士は「削った玉」「磨いた銀」のように美しい
富士之爲山也、其形若削玉、其色若磨銀。
序文はまず、富士そのものの形と色を褒めるところから始まります。
形は「削玉」、つまり美しく削り整えた宝玉のようであり、色は「磨銀」、磨き上げた銀のようだとしています。
ここで描かれている富士は、荒々しい山ではありません。無駄な凹凸のない整った形と、白く輝く清らかな色をもつ山として表現されています。
富士には「正面」がない
無前無後、不峙不傾、八面玲瓏。
続いて廬山孝は、富士には「前も後ろもない」と述べます。
普通の山なら、見る方向によって形が大きく崩れたり、「こちら側から見るのが一番美しい」という正面があったりします。しかし富士は、一方だけに偏ってそびえたり傾いたりせず、どの方向から見ても整った姿を見せるというのです。
それを表すのが「八面玲瓏」です。東西南北、どちらから眺めても美しい。これが、廬山孝が最初に示した富士の特徴です。
水から現れる蓮のように、山々の上へそびえる
如芙蓉之出水、而高跨衆嶽之嶺。
是其所以冠天下也。
富士の姿は、水面からすっと伸びて花を開く蓮にたとえられています。
裾野から大きく広がりながら、その中央から高い峰が立ち上がる。その美しい姿を「水から出る芙蓉」と表したのでしょう。
しかも富士は美しいだけではありません。「高跨衆嶽之嶺」と、多くの山々の峰より高くそびえています。だからこそ「冠天下」、天下の山々の中でも第一の山であると称賛しています。
同じ富士でも朝と夕方では色が変わる
若夫紅暾映而皎潔、
夕陽落而蒼翠。
朝暮變其色、遠近異其望。
ここから、序文の主題が少し変わります。それまでは「富士の形そのものは整っている」と語っていましたが、今度はその富士がどれほど変化して見えるのかを語り始めます。
赤い朝日が差せば、富士は白く清らかに輝く。夕日が沈むころには、深い青緑の姿に変わる。さらに、近くから見る場合と遠くから見る場合でも、見え方は違います。
つまり、富士そのものは同じ山なのに、時間や見る場所が変われば、まったく違う姿を見せるということです。
春の霞、秋風、雲によって富士は「百変」する
賦於春烟秋風、雲霞明滅、
則其景百變矣。
朝と夕方、近くと遠くという違いに続いて、今度は季節や天候が加わります。
春には霞がかかり、秋には風が吹く。雲や霞は富士を隠したかと思えば、また姿を現します。そのたびに、同じ富士が違った景色になります。
そこで廬山孝は「其景百變矣」と述べます。「百変」とは、きっちり百種類ということではなく、次々と、数えきれないほど姿を変えるという意味です。
二編の序文で最も重要なのは、この「百変」という言葉でしょう。富士は一つしかない。それなのに、時間、距離、季節、天候が変われば、見える景色は無数に生まれるのです。
「百変する富士」を北斎は「百景」にした
北齋翁甞て圖百景、
其精工真遍百變之妙。
觀此畫可見矣。
ここで、ようやく北斎が登場します。
それまで廬山孝は、富士がどれほど美しく、そしてどれほど多彩に姿を変える山なのかを説明してきました。そして「其景百変矣」と述べた直後に、北斎が「百景」を描いたことへ話をつなげます。
つまり、富士には「百変」があるから、北斎には「百景」があるという構成です。
一つの富士が朝夕で色を変え、距離によって形を変え、春霞や秋風、雲によって見えたり隠れたりする。北斎は、その変化を百の景色として描き分けた、と廬山孝は評価しているのでしょう。
最後の「觀此畫可見矣」は、「この絵を見れば分かる」という意味です。長い説明の最後に、「北斎が富士の百変を描き切ったことは、『富嶽百景』そのものを見れば分かる」と作品を読者の前へ差し出すように締めくくっています。
二編の序文は「一つの富士が百の姿に変わる」と語る
初めに描かれる富士は、「削玉」「磨銀」「八面玲瓏」と表現される、どこから見ても整った美しい山です。つまり、富士そのものの基本的な姿は変わりません。
しかし、朝と夕方では色が変わり、近くと遠くでは見え方が変わり、春霞、秋風、雲や霞によっても、その姿は次々と変化します。
そこで生まれるのが「百変」です。そして、その富士の「百変」を絵の「百景」にしたのが北斎だと、廬山孝は序文を組み立てています。
一つの山を何度描いても同じ絵にはならない。見る場所や時間、季節、天候を変えれば、富士にはまだ別の姿が現れる――『富嶽百景』という題名そのものの意味を説明するような序文になっています。
『富嶽百景』二編の原本と全作品を見る
『富嶽百景』二編の原本画像や収録作品一覧は、「浮世絵夜話」でまとめて見ることができます。




