江戸時代になってからの出来事をざっくりとまとめてています。
(江戸)
⇒江戸や幕府関連の出来事
(甲斐)
⇒甲斐あたりで起きた出来事
1603年『慶長8年』
■ 1月
(江戸)
徳川家康がカンボジアの国王に書簡を送り貿易を始める。
(甲斐)
28日 家康の9男である徳川義直が2歳で甲斐藩主を拝領をする。甲斐の国には入らず、家康や生母お亀の方とともに駿府城でくらしていた。
■ 2月
12日
(江戸)
天皇により家康が征夷大将軍に任命され、江戸に幕府を開く。
21日
(江戸)
江戸幕府が郷村掟公布する。
⇒内容は百姓の安全や逃散百姓の帰村と直訴などの百姓にかかわる農政のお定め
■ 3月
(江戸)
大名普請(ふしん)役で江戸の街の造成を始める。
■ 4月
(京都)
京都の北野天満宮で出雲阿国がかぶき踊りを演じた。
(江戸)
春頃に上方大名に江戸へ参勤させる。
(京都)
1日 2代目茶屋四郎次郎が亡くなる。安土桃山時代から続く儀呉服師で当主は代々「茶屋四郎次郎」を襲名している京都の豪商。
(大阪)
22日 豊臣秀頼が内大臣となる。徳川家康の右大臣昇進したことで内大臣のイスに空席ができたことから
■ 5月
■ 6月
(薩摩)
7日 薩摩藩主島津忠恒(ただつね)が外国貿易に関して条令三か場条を制定。1606年以降は島津家久(いえひさ)と名乗る。
■ 7月
28日
(江戸)
家康の孫である千姫が7歳で豊臣秀頼に嫁ぐ。
■ 8月
■ 9月
■ 10月
2日
(江戸)
幕府が木村勝正らに淀川過書船を管掌させる。
(出羽)
秋田藩角館(かくのだて)六郷地方で新政府である江戸幕府に反発する。六郷氏旧臣の士豪ら1000人あまりで蜂起する。
■ 11月
7日
(常陸(ひたち))
家康の10男徳川頼宣が2歳で水戸の20万石を拝領させる。水戸には入らずに駿府でせいかつしていた。
■ 12月
8,9日
(肥後)
熊本藩主加藤清正がキリスト教を処刑する。
清正はキリシタンたちに日蓮宗への改宗を命じた。信徒は肥後を離れるがそれでも残っていた者たちの中から選ばれた「慈悲役」であったヨハネ南五郎左衛門が8日に熊本の権左衛門の屋敷で、9日にシモン竹田五兵衛が八代の城下の自分の屋敷で斬首された。その家族も磔で殉教する。
日付不明
(江戸)日本橋が架橋する。
(江戸)伊勢山田奉行を置く。
(長崎)
「日葡辞書(にっぽじしょ)」日本語とポルトガル語を解説した辞書をイエズス会によって1603年から1604年の間に発行された。
1604年『慶長9年』
■ 1月
(江戸)
幕府が永楽銭1銭の価値を鐚銭(びたせん)4銭と換算率うぃ定める。
(江戸)
27日 江戸幕府が松前藩主である前松慶広に蝦夷地の貿易をおこなう特権をあたえる。
■ 2月
(江戸)
日本橋を五街道の基点として諸街道の整備と修理を行う。同時に一里塚を設置する。
一里塚は旅行者の目印として大きな街道の側に1里(約3.927キロメートル)がごとに土盛りを作ったもの。一里塚自体は平安時代ごろからつくられていた。
■ 3月
(京都)
20日(1604年4月19日) 黒田孝高(黒田如水/黒田官兵衛)が京都伏見藩邸にて59歳で亡くなる。
遺品である北条本『吾妻鏡』を徳川秀忠に献上する。
■ 4月
■ 5月
(朝鮮)
朝鮮国王が対馬に対して釜山浦での交易を認める。
3日
(江戸)
糸割符制を始める。
⇒生糸の輸入に関する権利を堺(大阪)、長崎、京都の選ばれた商人に一括購入できる特権を与える。
■ 6月
(長門)
1日 長州藩毛利輝元(てるもと)がハギの指月(しづき)で萩城を築城をはじめる。完工は慶長13年(1608年)となる。
■ 7月
(近江)
慶長9年に彦根藩主井伊直継が彦根山に彦根城を築城を始める。
目的は佐和山城を一掃するためであり、完成までに20年の歳月がかかった。天守は大津城の移築だったことから2年で完成している。
17日
(江戸)
徳川秀忠と浅井家の江の子供である徳川家光が生まれる。
春日局(稲葉正成の妻である福)が乳母となる。
江の母親は信長の妹の市である。
■ 8月
12日閏
(江戸)
フィリピン長官の使節が江戸で徳川家康に拝謁する。このときキリスト教を布教することの要請を行う。
■ 9月
■ 10月
■ 11月
■ 12月
日付不明
(江戸)
幕府が幕領の検地を行う。
(江戸)
町奉行を北と南の2か所とする。
(加賀)
加賀藩主前田利長が十村制度(とむらせい)を設ける。
地方の有力な農民に十村制のために特権を与えることで農村全体の管理させ徴税を円滑に行えるようにする制度
1605年『慶長10』
■ 1月
■ 2月
■ 3月
5日
(江戸)
朝鮮国使が伏見城で徳川家康で拝謁、本多正信や西笑承兌が講和を行う。
■ 4月
12日
(大阪)
豊臣秀頼が右大臣に任じられる。
16日
伏見城にて将軍宣下を行い、徳川秀忠が第2代征夷大将軍となる。
■ 5月
(大阪)
秀頼に家康からの拝見要請をだされるが応じず。
■ 6月
(京都)
京都所司代である板倉勝重が市中巡視を行う。京都で辻切りが横行するようになったため。
■ 7月
21日
(江戸)
林羅山(はやし らざん)が京都二条城で家康に拝謁する。
⇒林羅山は朱子学派の儒学者であり林家の祖である。生まれは京都
28日
(伊予)
今治藩主・藤堂高虎が塩屋町を作り塩の専売を行う。
■ 8月
■ 9月
(江戸)
諸大名に国絵図・郷帳の作成を命じる。
⇒ 作成されたのが慶長の国絵図
13日
(江戸)
幕府がスペイン人に年間に通商を4隻許可する。
20日
(土佐)
山内一豊が没する。
馬揃えで妻が蓄えていた金で良馬を買い武士の面目を施されるという美談がある。正直旦那よりも妻が有名。
■ 10月
■ 11月
(信濃)
浅間山噴火、翌年の正月まで噴火する。
■ 12月
日付不明
(江戸)
江戸や京都で辻斬りが横行する。
(江戸)
南蛮から入ってきた煙草が江戸に流行する。
1606年『慶長11年』
■ 1月
(京都)
清洲藩士・浅岡平兵衛が京都の蓮華王院(三十三間堂)で通し矢の射技をこころみ,51本を射したことで「天下一」の名を得る。
■ 2月
■ 3月
1日
(江戸)
諸大名からの普請役で江戸城の増築工事を行う。
目的として諸大名の財を減らして力を削ぐことであり、譜代大名からすると徳川に従っている姿を見せる絶好のチャンスでもあった。
■ 4月
(江戸)
幕府が関ケ原の合戦の戦後処理の1つとしいて宇喜多秀家を八丈島に島流しにする。
28日
(江戸)
家康が武家官位の幕府の推挙を奏請(そうせい)する。
■ 5月
■ 6月
(西国)
薩摩・長崎・紀伊などに外国船が来航する。
■ 7月
■ 8月
(山城)
角倉了以が桂川上流の大井川に舟運を始める。
■ 9月
23日
(江戸)
江戸城の二の丸が完成、西の丸から秀忠が居を移す。
■ 10月
8日
(江戸)
江戸幕府がオランダ船にも通航許可をだす。
■ 11月
(対馬)
対馬藩主宗義智、家康の国書を偽造して朝鮮へ送る。
(武蔵)
多摩郡の村々より江戸城普請用資材の石灰を運送する。
■ 12月
8日
(江戸)
江戸幕府が今まで使っていた銅銭の永楽通宝の使用を禁止して慶長通宝を鋳造を始める。
日付不明
幕府が駿府に銀座を設置する。
(江戸)
江戸城造営に伴って日本橋大伝馬町・南伝馬町・小伝馬町を開く。
1607年『慶長12』
■ 1月
7日
(江戸)
観世と金春の両家が江戸城で演能を行う。この時は町人にも観覧が許された。
※観世と金春は江戸時代には能楽の四座一流と呼ばれていた。四座は観世・宝生・金春・金剛で現在は能楽5流派と呼ばれている。
■ 2月
20日
(江戸)
出雲阿国が江戸城で歌舞伎踊りを上演した。
■ 3月
5日
松平忠吉が死亡する。
松平忠吉は徳川家康の四男で徳川四天王の一人・井伊直政の娘婿であった。忠吉の後を追って小笠原吉光ら4人が殉死(後追い自殺)した。
■ 4月閏
1日
(江戸)
林羅山が幕府の儒者となる。
8日
(越前)
結城秀康が34歳で亡くなる。その後を追って2名が殉死した。
26日
(尾張)
徳川義直が尾張国清洲藩主53万石を転封。このあと清洲藩は廃藩となり、尾張藩を立藩される。
29日
(山城)
松平忠勝が伏見城代となる。
■ 5月
2日
(佐渡)
金山の生産量が減少したことから大久保長安が監督となる。
6日
(江戸)
文禄・慶長の役のあと朝鮮使節が来日して江戸城で秀忠に拝謁する。
■ 6月
■ 7月
3日
(江戸)
諸大名に普請役(ふしんやく)で江戸城の天守と石垣を修築(しゅうちく)させる。
■ 8月
■ 9月
3日
(江戸)
江戸城の天守と大手門が完成する。
■ 10月
2日
(肥前)
龍造寺政家が52歳で亡くなる。
家を継いでも裏で父に操られ、父が亡くなった後も苦労した人。
14日
(江戸)
家康が今まで蓄えてきた金銀を秀忠に分与する。
■ 11月
■ 12月
22日
(駿河)
駿府城で火事が起こり全焼。城内での失火で完成して間もない本丸御殿を焼失する。
27日
(京都)
西笑承兌が60歳でなくなる。
臨済宗の僧で相国寺を再建、相国寺中興の祖と呼ばれる。
日付不明
(江戸)江戸幕府が諸大名に人質を江戸に常住させる。
(江戸)煙草を吸う習慣が町民に広がる。まだ煙草の葉を作ることはできず、外国からの輸入品のために銀が国外に出ることから問題視していた。
(出羽)
秋田藩の院内銀山を開く。
(駿河)
角倉了以が富士川で舟運を始める。
1608年『慶長13』
■ 1月
■ 2月
24日
(大阪)
三宝院の義演が豊臣秀頼の疱瘡(ほうそう)の平癒(へいゆ)を願う。※疱瘡(ほうそう)は天然痘のこと
■ 3月
11日
(駿河)
駿府城を再建する。
(伊予)
国府藩藤堂高虎、今治に築城する。
■ 4月
(陸奥)
大久保長安が南部に金鉱を開く。
■ 5月
(江戸)
フィリピン長官のビベロが家康と秀忠に書簡を送る。
⇒内容は日本商船の制限と商船派遣の取り決め、スペイン人の保護とキリスト教の布教の許可を求める。
(京都)
角倉素庵が「伊勢物語(嵯峨本)」を刊行する。
■ 6月
4日
(伊勢)
狩野光信が44歳で没する。
安土桃山時代の狩野派の絵師、弟に有名な狩野探幽がいる。
■ 7月
20日
関東郡代の伊奈忠次に尾張国幕領の検地をおこなわせる。
■ 8月
25日
(伊勢)
藤堂高虎が津に移る。
■ 9月
5日
(江戸)
幕府が小石川伝通院を造営する。
■ 10月
1日
(近江)
木食応其(もくじきおうご)が73歳で亡くなる。
六角氏に仕える武将だったが出家する。高野豆腐の製法を発展させ現在に近い高野豆腐を作り出した。
■ 11月
15日
(江戸)
江戸城での浄土・日蓮両宗の宗論で日経を処罰する。
■ 12月
8日
(江戸)
永楽銭の使用停止を再度令をだす。
⇒使い勝手が良かったために庶民では禁止令が出ても使用され続けていたことから再度出された。
日付不明
(江戸)
慶長江戸絵図がこのころに完成する。
(播磨)
姫路藩主。池田輝政が姫路城を改築する。
西へのにらみを利かすために姫路城を改築とも言われる。