少し前の時代、テレビ番組などで「世代間の価値観の違いから、若者は貞操観念が乱れている」といった話題が取り上げられていました。
改めて「貞操観念」とは何だろうと思い調べてみると、『異性関係の純潔を守ろうとする考え』とのこと。
時代劇に出てくるような、「女性は男性に尽くせ」といった古い価値観のようにも思えますが、実際のところ昔はどうだったのでしょうか。
武家の妻は夫が亡くなると再婚したのか?
武家の女性は夫が死ぬと再婚するかといえば、「再婚したり、しなかったり」します。
なんとも玉虫色な回答ですが、その「家の状態」によって、再婚するかしないかの行動が大きく左右されるからです。
重要なことは、その女性の気持ちや価値観ではなく、「家をどう存続させていくか」という事情が何よりも優先されました。
今では理解できない「貞操」の考え方
「異性関係の純潔」というと、一人の男に尽くせと言う考えに近いでしょう。
そんな昔の考え方と思われている価値観は、江戸時代以前からあったのでしょうか。
実は、戦国時代の武士たちは、夫が戦死すると女性が別の男性のもとに行くことは、それほどおかしなことではありませんでした。
織田信長の妹・お市の方も、浅井長政と婚姻し、浅井の死後は柴田勝家と再婚しています。
江戸時代に広まった「貞女」の教え
では、江戸時代になるとどう変わるのでしょうか。
大きな戦もなく平和な時代が続くと、武士階級では教養レベルが上がるに従い、女性への「貞淑(ていしゅく)」といった価値観を教えるようになりました。
また、中国の歴史書『史記』にあるような、以下の考えが浸透していきます。
「貞女両夫(ていじょりょうふ)に見(まみ)えず」
(貞節な女性は、亡夫に操を立てて、再び別の夫をもつことをしない)
再婚するかは「子供の性別」で決まる
では本題の「武士の嫁は夫が死んだあと再婚をしていたのか」。
答えは、以下の2つのパターンにはっきりと分かれます。
- 男の子を産んだ女性
- 子供がいない、もしくは女の子を産んだ女性
なぜ二つの意見があるかと言えば、庶民と武士の価値観の違いにあります。
庶民の多くは、地方から江戸に出てきて働いており、「家系のつながり」はそこまで濃くありません。
「家を存続させないといけない」といった重圧は、田舎に残った長男が負うもので、次男三男にはそれほどの縛りがありませんでした。
しかし、武家は違います。
武家にとってもっとも重要なことは「家の存続」であり、そのためなら血のつながっていない養子を取ってでも家を残そうとします。
① 男の子を産んだ女性の場合
→ 結果:再婚しない(家に残る)
男の子を生んだ女性には、「次期当主の後見人」としての立場があります。
我が子を立派な武士に育て上げ、家を継がせる義務があるため、再婚せずに夫の家に留まりました。
② 子供なしか、女の子の場合
→ 結果:実家に帰され、再婚する
女の子だと家を相続できないため、夫の家に留まる理由がありません。
嫁いだ家の束縛もなくなるため、そのまま身を引いて実家に戻り、別の男性と再婚することが普通でした。
もちろん子供が生まれていない女性も同じように、夫が死んだあとは身を引き、新たな男性と再婚しています。
💡 やさしい江戸案内の雑学メモ
再婚しない決意の証「剃髪(ていはつ)」
夫が亡くなった後、「私はもう二度と再婚しません(尼になります)」という意思表示として、長い髪を切り落とす風習がありました。
これを「剃髪(ていはつ)」と言います。
時代劇で、未亡人が頭巾を被っていたり、短い髪をしていたりするのはこのためです。
「髪は女の命」と言われた時代、それを捨てることは、亡き夫への強い操(みさお)の証明だったのです。
まとめ
江戸時代の武家の妻にとって、再婚するかどうかは「貞操観念」の問題以前に、「家に跡継ぎがいるかどうか」で決まるシステムでした。
「貞女は二夫にまみえず」という言葉はありましたが、現実はそれ以上に「家を絶やしてはならない」というルールのほうが圧倒的に強かったのです。
現代から見るとドライに見えますが、それだけ「武士の家」を守る責任が重かったということかもしれません。
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