オレオレ詐欺のようなタイプの犯罪は年々増えています。悲しいことですが被害額も年々増えるという良くない状況がおきています。政府も警察も色々な方法で検挙しようと力を入れているようですそれでも減らないようで。

 

さて、今回の御触書が出たのが享保2年(1717年)

内容は

『最近街には役人のふりをして金品、飲食をたかる者がいる。そのようなことをする者がいたら番所(交番のようなもの)に連れてきなさい。本物の役人かもしれないと騒ぎになるのが困ると内々に処理する者がいるようだが、役人でも金品のゆすりをする者がいたら捕まえて番所につてれ来なさい。内々に処理をする者がいたら家主、5人組、名主も処罰する。』

ざっくりと言うと

役人だろうと偽者だろうとゆすりをしてきたら番所に連れてこい。隠したらその家の貸主やその地域の町内会長や役員も刑罰を与える。

享保2年は暴れん坊将軍で有名な徳川吉宗が将軍になり2年目です。暴れん坊将軍がバッタバッタと悪人を倒しててくれると良いのですが残念ながら吉宗は実際にはそのようなことはしていません。

江戸時代も100年以上の歳月がたち、江戸の文化がしっかりと成長をしている時代でしたが今の世と変わらず悪人はいました。

この御触書では役人のふりをして金品などをたかるモノがいるということからも分かるように今でいえば公務員のふりをして犯罪を行っています。2019年になっても警察のふりをする詐欺があるので300年以上たっても変わらないということは悲しいことです。

”ゆすり””たかり”行為が行われることが多かったお店として反物屋のような贅沢な品を扱っているお店が多かったといわれています。お金を”ゆする”なら大金があるお店がいいのは素人が考えても分かりますが、そのほかにも理由があります。

それは徳川吉宗が行ったことがかかわってきます。

吉宗といえば

享保の改革

ですね。

享保の改革では様々な改革を行っています。

有名なので目安箱、江戸町火消しいろは四十八組、五公五民制など幕府の財政を立て直すために倹約令も出しています。

今回の御触書で起きるような”ゆすり””たかり”のような犯罪が多くおきるのは倹約令が出たときに発生します。

倹約令では、武士、町民が贅沢をするなという内容のお触れが出るのですが、対象となるのは着る服に対して派手な服を着るな取り扱うなといった御触れが出されます。服、かんざしなどのアクセサリー、服の生地である反物を扱っているお店はもともと商品として所持しているので困ってしまいます。

そこに目をつける悪人はお店に行って贅沢品を見つけると役人のふりをして商品を扱っていることで脅しを行うという手口でした。

今の時代のオレオレ詐欺と同じく、”たかり”のこの手口はだんだんと巧妙になって言ったということですからいつの世も悪い人はいるものです。

さて、もう少し御触書の内容には役人が”たかり”をしてきても連れてこいという旨の内容が書かれています。

街中を回って江戸の犯罪を取り締まっていたのは与力や同心と呼ばれる人たちです。基本的には街中を巡回しているのは同心でしたが彼らの中には”ゆすり””たかり”を常習的にやっていた者もいました。

理由として考えられるのは給料です。
与力は200表、同心は30表とかなりの差はありました。

正直、同心を真面目にやっていては食べてはいけませんし、情報を集めるために岡っ引きと呼ばれる者たちから情報を集めるためにはお金は必要だったこともあります。また上司である町奉行も3年もすれば人が変わりますので仕事の実務は与力や同心が多くを担うことになります。

そうなると与力や同心は街の事をよく知っていたことから”たかり”や”ゆすり”がやりやすい環境にあったのかもしれません。

与力、同心も時代が過ぎていくとだんだんと世襲制になっていきます。そうすると横のつながりが強くなっていくこと”たかり”や”ゆすり”が簡単に行える状態を作ったのかもしれません。

こういった御触書が江戸時代に出ているのを見ると人間は300年程度では成長しないようですね。