江戸時代が始まってから5年から10年の江戸時代の出来ごとをざっくりとまとめています。細かい出来事は省いています。1603年(慶長8年)から1868年(慶応4年)なので400年以上前でも色々な出来事の記録が残っています。
(江戸)
⇒江戸や幕府関連の出来事
(甲斐)
⇒甲斐あたりで起きた出来事
江戸時代1625年(寛永年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】後水尾天皇(1611年 – 1629年)
【老中】
酒井忠利(1609年 – 1627年)
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
井上正就(1617年 – 1628年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
阿部正次(1623年 – 1626年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
■ 1月
■ 2月
■ 3月
日付不明
(幕府)
幕府が武家屋敷の広さを知行高に応じて規定を決める。
8日
(京都)
京から関白の近衛信尋たち公家や僧侶が家光の将軍の襲職を祝うために江戸へ下る。
■ 4月
2日
(幕府)
幕府が京都二条城の城番を設置する。
■ 5月
日付不明
(陸奥)
津軽藩が青森から江戸までの廻船の航路を開く。
5日
(幕府)
幕府が武家屋敷を町人への貸与を禁止する。
■ 6月
■ 7月
■ 8月
日付不明
(江戸)
中橋で若衆歌舞伎が行われる。
27日
(幕府)
幕府が関所の通行と伝馬・駄賃馬などに関する法令を決める。
■ 9月
3日
(幕府)
幕府が諸大名に領内にある鉄砲数を調査するように指示した。
■ 10月
18日
(幕府)
幕府兆人に対して大脇差の帯刀を禁止した。
■ 11月
(江戸)
天海が上野に開山した上野の寛永寺を竣工する。
寛永寺は天台宗関東総本山の寺院で開山が天海であり、創立者は徳川家光
■ 12月
21日
(土佐)
土佐藩でのかぶき踊り・賭け事・百姓の逃散などを禁止するとともに職人たちの賃金を規定した。
■日付不明
(下野)
日光杉並木の植林が始まった。
日光街道、日光例幣使街道、会津西街道の3街道が通っている街道で現在でも残っている。
(肥前・豊後)
キリシタンの処刑が行われた。
(長崎)
幕府の命をうけて長崎代官・末次平蔵が明国の福建総督に通商を求める返信をおこなう。
(加賀)
古瀬甫庵が「太閤記」を書きあげる。
江戸時代1626年(寛永3年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】後水尾天皇(1611年 – 1629年)
【老中】
酒井忠利(1609年 – 1627年)
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
井上正就(1617年 – 1628年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
阿部正次(1623年 – 1626年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
■ 1月
■ 2月
■ 3月
■ 4月
26日閏
(長崎)
イエズス会宣教師とキリシタンらが処刑された。
■ 5月
日付不明
(幕府)
明国人・陳元贇が将軍家光の拝謁する。
■ 6月
■ 7月
27日
(幕府)
幕府が大阪城番規則制定する。
■ 8月
■ 9月
3日
(江戸)
芝新網町の漁師が将軍家へ魚を献上する。
9日
(京都)
将軍家光が滞在している二条城に後水尾天皇が行幸(ぎょうこう)する。
※行幸とは天皇が外出することである。
23日
(幕府)
シャム国(タイ)から酒井忠世・土井利勝に書状と贈り物がおくられる。
■ 10月
■ 11月
■ 12月
日付不明
(対馬)
対馬藩主が朝鮮に塩硝200斤、鉄砲100挺を送るとともに朝鮮に良馬を求める。
7日
(幕府)
幕府が織物の尺幅について公定する。
■日付不明
(江戸)
江戸の須田町で平将門の首塚を発見する。烏丸光広が天皇に勅許(ちょっきょ)を得て神田明神に祀った。
※勅許とは天皇に許可を取ること
(台湾)
長崎の貿易商・末次平蔵の朱印船の船と台湾のオランダ人との紛争が起きる。(ヌイツ事件)
(京都)
加納探幽が二条城の襖絵を書く。
(三河)
大久保彦左衛門が「三河物語」を書きあげる。
江戸時代1627年(寛永4年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】後水尾天皇(1611年 – 1629年)
【老中】
酒井忠利(1609年 – 1627年)
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
井上正就(1617年 – 1628年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
■ 1月
3日
(肥前)
島原藩でキリシタン16名を雲仙地獄責めで処刑を行う
4日
(幕府)
幕府が会津藩・蒲生忠郷(がもう たださと)の封地(ほうち)を無嗣により収公する。土地の跡継ぎがいないことから幕府が没収すること
※封地とは、大名などが封ぜられた土地のこと
■ 2月
日付不明
(対馬)
朝鮮に後金軍が進軍してきたことから対馬藩主・宗義成に援助を求める。
■ 3月
■ 4月
■ 5月
24日
(陸奥)
仙台藩が知行割についての五か条を制定する。
■ 6月
■ 7月
■ 8月
24日
(幕府)
幕府が公家に対して公家諸法度の内容を公家の市街地住居禁止の条文を追加した。
■ 9月
4日
(陸奥)
弘前城(ひろさきじょう)天守が落雷によって炎上する。
17日
(幕府)
幕府がオランダ王書簡不受理を決議する。使節であるヌイツを無礼との理由から追い返す。
30日
(江戸)
江戸の横山町寺町より出火する。その火事は吉原までも延焼して多数の死傷者がでる。
■ 10月
■ 11月
■ 12月
■日付不明
阿弥陀踊りが流行する。
吉田光由が江戸時代の算術書「塵劫記(じんこうき)」を刊行する。
江戸時代1628年(寛永5年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】後水尾天皇(1611年 – 1629年)
【老中】
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
井上正就(1617年 – 1628年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
森川重俊(1628年 – 1632年)
青山幸成(1628年 – 1633年)
■ 1月
日付不明
(京都)
宮中で殿上淵酔(てんじょうえんずい)・叙位の儀などの再興。
※殿上淵酔とは天皇が殿上人を清涼殿に召して催された酒宴のこと。
■ 2月
10日
(加賀)
加賀藩が貸米・貸金利息などにかかわる法令制定する。
■ 3月
■ 4月
(シャム国(タイ))
スペイン艦隊がメナム河口で日本の朱印船を拿捕する。
17日
(肥前)
佐賀藩が家中の困窮救済のために家を売買することを許す。
18日
霊岸島の霊巌寺が十八壇林に入る。
■ 5月
日付不明
(幕府)
メナムの報復に長崎に入港しているポルトガル船を抑留する。これによりポルトガルとの断交する。
(長崎)
長崎奉行・水野守信がキリシタンを処刑する。
■ 6月
■ 7月
17日
(幕府)
末次平蔵の朱印船の船の船長だった浜田弥兵衛がヌイツ事件で連行したオランダ総督ピーテル・ノイツら人質と船を抑留する。
オランダとの断交する。
■ 8月
10日
(幕府)
幕府目付・豊島信満が江戸の城西の丸で刃傷沙汰を起こす。相手は年寄・井上正就を指す害したとして翌日に切腹を行う。
■ 9月
■ 10月
28日
(幕府)
幕府が江戸周辺の五里以内のにある54村に対して鷹場や鷹師についての御触書をだす。
※1里は約3.93km
■ 11月
■ 12月
■日付不明
江戸時代1629年(寛永6年)
【将軍】徳川家光(1623年 – 1651年)
【天皇】後水尾天皇(1611年 – 1629年)
【老中】
酒井忠世(1610年 – 1634年)
土井利勝(1610年 – 1638年)
永井尚政(1622年 – 1633年)
稲葉正勝(1623年 – 1634年)
内藤忠重(1623年 – 1633年)
酒井忠勝(1624年 – 1638年)
森川重俊(1628年 – 1632年)
青山幸成(1628年 – 1633年)
■ 1月
日付不明
(対馬)
対馬藩主・宗義成が幕府の命により挑戦に遣使を送る。
同時に漂流民の送還をおこなう。
■ 2月
日付不明
(江戸)
水戸藩主・徳川頼房が小石川にある屋敷に造園の造営を行う。
現在の小石川後楽園で後楽園という名前は光圀によって名付けられる。
■ 3月
■ 4月
■ 5月
■ 6月
(幕府)
江戸の辻斬り取り締まりを強化のため辻番所が設置される。
■ 7月
日付不明
(長崎)
長崎奉行・竹中重義が多くのキリシタンを捕縛、改宗を強要する。
25日
(幕府)
幕府が大徳寺の玉室・沢庵たちを紫衣(しえ)法度違反により流罪とする。
※紫衣事件は天皇の権限で紫衣着用に関する勅許を無効として天皇の権限を制限した。もともと勅許は幕府の承諾が必要となっていたが、それを無視した勅許が出されていたことから朝廷への圧力
■ 8月
■ 9月
■ 10月
3日
(幕府)
幕府が山田長政の要請を受けてシャム国との通商を許可する。
10日
(京都)
家光の乳母・福が皇居参内し、天皇に拝謁する。春日局の称号を授かる。
23日
(幕府)
江戸の街の風紀を乱すとして女の舞や女歌舞伎といった女性芸能を禁止する。
■ 11月
8日
(京都)
後水尾天皇が内親王宣下(しんのうせんげ)と譲位(じょうい)を受けて興子内親王として7歳で践祚(せんそ)した。明正天皇として860年ぶりの女性天皇となる。
理由として家光の乳母・福の無位での拝謁や紫衣事件での幕府の行動への抗議といわれている。
※内親王宣下とは、皇族の子女に親王と内親王の地位を与えること
※譲位とは、天皇が存命中に地位を後継者に譲ること
※践祚(せんそ)とは、天子の位を受け継ぐこと
■ 12月
■日付不明
(武蔵)
荒川水路の流れを変えて入間川につなげた。
(江戸)
酒井忠世の屋敷を拠点に漁を行ってい浜屋敷居住の漁師たちにたいして将軍が御成の時には役船を勤めることを条件で深川の干潟を土地を与えられた。のちに深川猟師町。
(長崎など)
キリシタンに対しての踏み絵を頻繁におこなうようになる。
⇒江戸時代1620年(元和6年)から1624年(寛永1年)の出来事
⇒江戸時代1630年(寛永7年)から1634年(寛永11年)の出来事