豊原国周「刀屋新助 坂東彦三郎」1862演劇博物館デジタル_0000

江戸時代は町民には刀を持つことは禁止されています。士農工商という身分の中で許されるのは基本的には士である武士だけが帯刀することを許されていました。

基本的にはというのは武家以外にも幕府に許された特殊な職業の人達は帯刀を認められていました。例えば将軍の献上するお茶を判断をしていた茶師など職業の人達も許されています。

 

さて、本題ですが、

元和9年(1623年)4月26日に出た御触書です。

・太刀差し候ものの事
・長わきざし指候ものの事
・朱ざやさし候ものの事
・大鍔つば大角つばさし候ものの事
このような者は牢に入れられ、その主人には銀子2枚の罰金を支払うように

 

意訳ではありますが、
刀を差している奉公人は牢屋に入れるぞ。刀を持ち歩くことを許した主人は銀子2枚の罰金を払え!!

この時代の銀子1枚は大体7万円程度だと思われます。

まぁ、こんな内容です。

 

主人に仕える町人となると商家か武家に仕える仕事になります。商家では刀がありませんから、対象になるのは武家で働く人たちのこと。

武士は貰える石高(給料のようなもの)によって最低何人の人を雇うようにといった決まりがあります。与えられる江戸の家はそれなりに大きいために管理には人でも必要なために奉公人(部下)を雇います。

この御触書が出されたのはまだ江戸時代が始まり20年。今ほど時代の変化速くありませんし、9年前には大阪冬の陣で大きな戦もありました。町民たちの意識は戦国時代と大して変わらない時代でした。

 

また、武家に仕えているという意識もあり、刀を差してしまう人がいたのでしょう。それと江戸にいるやくざや浪人は間違いなく武器を持っていたでしょうから、簡単に武器を手放せない環境もあったでしょう。

 

今回の御触書は奉公人の刀の所持についての内容です。この時代には武士と特殊で認められた人達以外は刀の所持は前から禁止されていました。

それでも御上からこのような御触書が出される状況を見るともめ事になる奉公人が多くいたのかもしれませんしまたは武家が見栄のために奉公人に刀を持たせていたのかもしれません。