江戸の正妻である御台所のために毎日10人前の料理が準備されます。この料理は御広敷御膳所(おひろしきごぜんじょ)と呼ばれる大奥の中で調理が行われていました。
この料理を準備するために100人以上の台所役人の手によって正妻の2人のために20食が用意されます。
10人前の料理を正妻が食べるまで
将軍たちが御広敷御膳所で出来た料理を食べるまでには長い道のりがあります。
まず出来上がった料理は毒見が行われます。将軍が死に様なことがあれば大きな問題ですからね。
毒見役として、御広敷番頭と御用達添番(ごようたしそえばん)が1品に1箸分だけ食べます。そして毒があるかしばらく時間を置き、2人の異変がないことを確認して「よろしゅうござろう」と一言
この毒見のために1膳が使われ、あと9人前。
これで正妻のもとに食事が運ばれるのかと思いきや次に大奥で中年寄(ちゅうどしより)が待っており、ここでも料理の毒見を行ことになります。
2度目の毒見を終えて、中年寄の体に異常がなければお膳(懸盤)に並べ替えてご休息の前へと運ばれます。
ここでまた1膳を使いました。
あと8人前
さすがにここで正妻の前へとお膳が運ばれます。もちろん正妻の前に置かれたお膳は1人前だけです。
残りは7膳は正妻のお代わりとして用意されています。
正妻(御台所)の食事
正妻の食事が届くまでには毒見が2回もあります。レンシレンジもない時代の話ですから正妻の手元に届くころには温かい料理を期待するのは難しかったのでしょう。
冷えた料理を食べる正妻の食事ですが、この状態で8膳準備されています。ということは将軍は8人前も食べたのかと言えばそれも違います。
正妻は1口食するとそのお膳が下げられてしまいます。1つのお膳に1回しか箸を入れることができません。御代わりをしても7回分と思いきやお代わりは2回までとなっていました。
必ず5膳は手を付けない状態になってしまいます。
好きな食べ物も思うように食べることができないなかなかに厳しい決まりです。
ちなみに将軍はと言えばご飯お代わり3杯まですることができおかずも普通に食べています。
残り物はどこへ行く?
食事の話ではどんなに頑張っても半分の5膳は手を付けないで残ってしまいます。食べた食事も1箸しか手を付けていない状態です。
この残りはどうなるのかという疑問が生まれます。使われた高級食材で作られた料理は捨てるにはあまりにも豪勢です。
この残った料理はその日の当番の人が食べていたようです。
作られた料理の行方は解決したとして、この豪勢な料理を作るための材料も余ります。当時は冷蔵庫なんて便利なものはありません。
そうなると魚や野菜はすぐにだめになってしまいます。将軍や正妻の料理に使われるカツオブシも数回削ったらそれ以上は使用しません。
想像しにくいほど豪勢な食材の使用をしていました。
残った豪勢な食材たちはといえば台所役人が弁当にして城内役人に弁当として売り利益を得ていました。
将軍と正妻のための食材は当時手に入る最高級品ばかりです。台所役人の良い稼ぎになっていたようです。
ヨーロッパでの良いワインを少しだけ残してウエイターにワインの味を学んでもらうとう文化と同じように正妻の料理を多く作るのにも意味があったのではないかと考えられますがどうなのでしょうか。