今の日本で冷蔵庫がなくなると日本中は大混乱が起きるでしょう。年から年中食べられる肉、魚、野菜、冬が旬のカニも専門店に行けば夏でも食べることができるのも冷蔵庫や冷凍庫があってこその話です。

そんな我々の生活に重要な冷蔵庫ですが、もちろん江戸時代はありません。

絵師魚屋北渓 1833 『神奈川県、江の島への旅の記録から』
絵師魚屋北渓 1833 『神奈川県、江の島への旅の記録』

冷蔵庫のない時代をどう乗り切っていたのか?

江戸時代は農民も町人はもちろん将軍であっても冷蔵庫はありません。そのために食料を買って保管するという考えは基本的にありません。

毎日毎日食べるだけの分だけ買って食べていました。

まとめ買いができない!!

冷凍食品がないなんて生活できない!!

という人いるかもしれませんが、当時の江戸の人々はそれほど困ってはいません。

米は長期的な保存ができるので主食は確保できます。お味噌汁の具や副食としての野菜や魚などを行商をしている”振売り”と呼ばれる人たちが売り歩いているのでそれを買って食べていました。

江戸の町は、男女の比率が男性に大きく偏っていました。当時7割が男性だったといわれています。料理をするのにいちいち釜に火を入れる手間を掛けたくない男性にとって振売りは良い行商だったのです。

行商は朝食の味噌汁の具として納豆やシジミといった食材や夕食の総菜のほかにも飴などのお菓子や日用品を売り歩ている人たちもいました。

将軍の冷凍庫

江戸時代は将軍であろうと鮮度の良い物を食べるのは苦労がありました。例えば美味しい鮎や鰻を将軍に届けるためには捕るとすぐにひたすら天秤に入れて山越え野を越えて江戸まど走ってとどけていました。

そんな時代でも冷凍庫の代わりになるものがありました。というよりも昔から権力を持っている人が利用していた冷凍庫存在ます。それは洞窟を利用した方法です。

平安時代などの貴族の記録にも出てくる方法で、冬時期に洞窟にためておいた氷を夏時期に氷を利用するという話が出てきます。江戸時代でも富士山のふもとにある氷穴と呼ばれる年中0度前後が維持されている洞窟を利用して冬の氷を保管して、夏に江戸幕府に献上したといわれています。

かなり大きなサイズの氷も持っていく間に本当に小さくなっていたようです。

現代で使われる冷蔵庫は

おまけの話ですが、いま私たちが利用している冷蔵庫が日本に入ってきたのは明治時代になってからです。明治初期ではまだ氷を作る方法がないため、国内だと函館、海外からはボストンなどから氷を輸入するしていました。

だんだんと日本中に製氷所ができてきて販売されるようになりました。そんな氷を使って箱の中のものを冷やすという道具として氷冷蔵庫がだんだんと一般家庭に入っていきます。

氷冷蔵庫

現代の簡単に氷が手に入るということのありがたみを考えさせられる時代がありました。