現代では無銭旅行をするのはとても難しいことです。移動するだけならヒッチハイクをすることでお金を掛けずに移動することはできますが、食事など様々なことにお金がかかるのでお金を掛けずに旅をするのは難しい世の中になっています。

 

時は戻って江戸時代では江戸前期では旅行をする人は本当に限られた人だけが行っていた。しかし、平和な時代が長らく続き幕府の人の旅行に対する締め付けが緩くなり、参勤交代という地方から江戸へと大名が移動を行うことで街道が整備されることで江戸中期以降にはだんだんと旅行に出る人々が増えいきます。

 

江戸の町で人気になったのは近隣で行けるような地域で、大山詣でや徳川家康を祀っている日光東照宮などへの参拝されるようになりました。それ以後も旅のブームは増えていきます。それからブームに合わせて歌川広重の「東海道五十三次」のような浮世絵の観光案内がいくつも出版されていきます。

 

それ以外にも神社仏閣が自分たちの寺や神社へお参りしてもらうために御師(おし)と呼ばれる人々が属する仏社の宣伝や参拝者のための宿泊の手配などを行う人たちによって江戸の旅行ブームは加速します。

 

御師を利用する旅行者は村の人々がお金を積み立ててくようにお金をかけて一生に一度という気持ちで行っていた旅行でした。

 

お金がないと旅行には簡単にいけないのはどの時代も同じようです。それでも一生に一度は多くの人が伊勢に参拝したいという人がいました。人たちの中にはお金を持たずに旅に出る無謀な人たちがいます。

 

お金がない人の旅行

お金がなくても旅行をするという目的は一生に一度は行きたい伊勢参りのために江戸を出て伊勢をめざします。そんな無謀な人たちは着の身着のままの格好で旅立ちます。食事も寝どこも人々の施しを頼りにして旅に出て、持ち物はゴザ、日よけ笠、柄杓をもって無一文で旅をするのです。

 

ゴザは野宿をするための寝袋の代わりに使用します。日よけ笠はもちろん旅のさなかの太陽の日差しから頭を守るためです。笠に目的の巡礼先を書き、行き倒れたときのためにも生国、名前の記入も忘れてはいけません。

 

最後に柄杓(ひしゃく)は無一文で旅行する人には絶対に忘れてはならないアイテムでした。お金がない旅人は道中での人々の施しによって旅を続けることができます。

 

その施しを受けるときの施しを受ける際はきまりがあり、施しをそのままうけるとことは良い行為とはされず、受け取るときは柄杓を使って米や食料、お金をいただくのが礼儀とされていました。手でそのまま受け取ることは良くない行為として扱われていたのです。

 

伊勢への参拝の旅がブームになってから御接待という旅の人に食べ物を分け与えるという文化が形成されました。この文化が今でも残っているのが四国の88か所巡りです。四国は歩いて巡礼するという文化があるために人との交流があることからいまでも風習として残っています。

 

この御接待のような旅人への施しをおこなう文化の形成は地域によって違います。四国の御接待は弘法大師によって巡礼者への施しをする人は巡礼をしているのと同じだけの功徳を得ることができるとして始まりました。伊勢では御師たちの活動や旅行者が村々でお金を使うことで潤ったことからその一部を困っている人々に分け与えていました。

 

1ヶ月以上かかる旅行

 

江戸時代では旅行をするにも移動は基本的に歩きです。天候によっては足止めをされたりと簡単に旅行が可能というわけではありませんでした。それでも行きたい伊勢参りといって旅に出られたのでしょうか。

 

江戸でもっとも有名な旅行者といえば「東海道同中膝栗毛」の弥二さん喜多さんでしょう。彼らは奉公先のお金を使い込んで逃げるように旅に出るのです。

 

そうではない多くの旅人の仕事はほとんどが自営業として働いていました。この時代はどこかに属して仕事をしている人は武士や商家といった限られた人たちで、多くの人は自分の技量で仕事をしていました。そのため旅を終えて戻ってきてからも仕事を再開することができました。

 

当時では飛脚が7日で大阪から江戸を走り切ったといわれます。基本的に時代劇のように馬での移動というのはありません。移動手段としてほかに籠を使った移動もあるのですが、こちらは高額な費用が掛かります。

 

普通に伊勢まで旅をして帰ってくると1ヶ月ほどだったといわれていますが、季節によっては東海道では橋のかかっていない大井川で足止めをして停滞する場合もありました。

 

そのため時間の目算が立てやすい中山道を使えばいいのですが東海道には名所や名物があるために様々なところへと寄り道しやすい東海道を多くの人たちが利用しました。

中山道は旅ではなく大名や飛脚などの時間の目算がつくことから利用されることが多かったようです。

お伊勢参りの目的は伊勢に行くこと以上にそこへと辿る観光が重要だったようで、伊勢に行くまでにお金を使い切ったという笑い話もあるほどです。