現代のように100円でビニール傘を購入して使い捨てのように使用するには江戸時代の傘は高額でした。当時の安い傘の値段が300文程度でした。江戸中期頃ならそばが16文が350円前後、浮世絵の大判が20文で400円前後だったりと1文が10円から20円前後だったので300文で現代なら5000円前後の価格だったと考えると現代なら質の良い傘を買うことができます。

お金がある人や身分の高い人が使う傘になると現代の価格で2万円以上になるものもありました。

さて、今では安くて手に入る傘ですが工業技術がなければ手作業でつくるので高価なものになり、ビニール傘ではなく唐傘(からかさ)や番傘(ばんがさ)といわれる竹、木、糸、和紙で作られており、雨を防ぐ部分は油紙が使われていました。そのため今以上に壊れやすいものでした。

当時、高価な傘は古骨買い(ふるほねかい)と呼ばれる商人が壊れた傘を買い取ったり、物々交換したりして回収してはまた使えるよう油紙を張替にして300文程度で販売していました。

テレビの時代劇では浪人(仕事のない武士)が食べていくために仕方がなく、傘張りの仕事をしていることがあるが江戸時代の下級武士になると副業をしないと食べていくことは難しく、傘張りなどの内職は当たり前となっていて、、青山百人町(港区)あたりに住んでいた甲賀組の傘張りは有名だった。

回収した傘の中にはもう傘としては使えない状態の物は、使われている材料を用いて他のことに利用する。油紙ならその防水性から水気のある食材や味噌を包むのに利用され、骨の部分である竹から凧を作った。


貸し傘でお店の宣伝をする呉服屋


余すことなく再利用された江戸時代の傘ですが、この傘を店の宣伝として利用したのが三井越後屋や大丸でした。お店に来たお客さんが帰るときに雨が降るとお店の番傘を貸し出すことをはじめました。

川柳で「ごふくやのはんじやうを知ルにわか雨」といった貸し傘についての作品が読まれています。

残念なことに貸した傘は必ずしも返却をしてくれる人ばかりではなく、「ごふくやの傘内心ンはかへさぬ気」や「古骨にいつも越後が二三本」と酷い者には古骨買いに売ってしまう者もいたようです。